子どもたちの未来に、たくさんの選択肢を

特定非営利活動法人 NPOカタリバ 代表理事 今村久美

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吉田くんが立てた木碑。「大きな地震が来たら戻らず高台へ」と刻まれている

震災の経験を、いちばん生かせるところにいたい
 
 そう語る吉田くんも、マイ・プロジェクトの開始当初は、なにをしていいかわからなかったという。彼の心を動かしたのは、2012年の年末に宮城県で行われた「全国防災ミーティング」。被災地内外から中高生が集まって防災について語り合う中で、彼のやる気に火がついた。
 
「最後に参加者全員で集まって、被災地の建物を原爆ドームのように保存するかしないか、二組に分かれて討論会をやったんです。僕は、残すのは費用もかかるし、だったらその分をこれからの防災のために使ったほうがいいと思って、反対派にまわりました。だけど、賛成派もなかなか譲らなくて、時間切れになってしまいました。あそこで、スイッチが完全に入りました。遺構として残す以外にも方法があるはずだって、もう、自分じゃないみたいでした」
 
 設置場所を確保するのは容易ではなく、加えて部活の最中には骨折と、その後も苦労は重なった。だが、コラボ・スクールのスタッフ、安渡古学校区の住民、クラスメイト。多くの方々の協力を得て、ついに今年3月11日に木碑を建てることができた。彼のマイ・プロジェクトは、ここで終わらない。夢は、大学に進学して防災を専門に学び、消防士になることだ。
 
「大槌に帰って来ようと思ってはいるんです。でも近い将来、東京で震災が起きるって言われているじゃないですか。もしほんとうにそうなったら、震災経験者である自分たちが役に立てるかもしれない。生きることの重みを知ったからこそ、一人でも多くの人たちを救いたい。そう思うと、自分の力がいちばん生かせるところなら、大槌でも、東京でもいいのかな、って思います。どっちにしても、常に最前線にいたいですね」
 
 東海・東南海・南海地震が起きた場合に、津波による甚大な被害が予想されている静岡県などで、自分たちの経験したことを伝えたい、という思いもある。学校の勉強に、部活に、マイ・プロジェクトに、と大忙しの吉田くんだが、全力で立ち向かっているうちに、志望大学や行政との縁もつながりはじめている。
 
「やばいかもしれない。ほんと、戻れないところまで来ちゃったかもしれない。いろんなところで話すと、話した分だけ、縁も責任も広がっていくから」
 
吉田くんのまなざしは、復興のその先に向けられている。その姿は、まさに、“Think globally, act locally”だ。

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