平和安全保障法制をめぐって国民世論は大きく割れている。他方で、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変わっており、これまでとは異なる対応が必要になっていることについては、国民の多くが理解しているのではないだろうか。
この大切な時期に本来行われるべき安全保障論議はどのようなものか、『国を守る責任』を出版した折木良一元統幕長と金子将史PHP総研首席研究員が語り合った。
1.平和安全保障法制論議をどうみるか
金子 平和安保法制は、日本の戦後平和主義を転換するものではないものの、わが国の安全保障政策をバージョンアップする契機になると思います。法制をめぐる最近の議論についてどうお感じですか。
折木 やはり不安に思っていた部分が出てきていると言いますか、本質的な、本格的な安全保障論議よりも、政治的思惑や政争という観点が優先されている感じがしています。今回の安保法制の審議は、戦後70年を経て原点に返って将来の日本の安全保障政策を考える絶好の機会だと思っているのですが。
つい先日『国を守る責任』という本を出しましたが、それも、国際的な安全保障環境が本当に大きく変わってきていて、日本の安全保障を真剣に考えなくてはいけないのに、このままでいいんだろうかという思いが原点だったんです。
衆議院では7月16日に法案が可決され、審議の舞台は参議院に移りましたが、戦争法案だとか、徴兵制度だとか、そういう話ではなくて、安全保障環境から本格的な議論をしてもらいたいと思っています。
東日本大震災での一番の教訓は、「安全神話というのはなかった」、「平時の備えというのはものすごく大事だった」ということだと思います。安全保障の論議に置き換えれば、「備えがなければ平和は守れるものではない」ということです。
備えには、法的な裏づけというのがきちんと要るわけで、それに基づかないと防衛整備も訓練もできないし、外交もできないわけで、「まず法体制をしっかり整えておく、備えておくというのが大事だ」ということが、東日本大震災の教訓から私が今回の安保法制に関して考えることなんです。
金子 「自衛隊にとってリスクが大きくなるのではないか」というリスク論についてはどう思われますか。
折木 もちろん任務が増えるわけですから、リスクの可能性は大きくなるともいえます。けれどもリスクが多くなるか少なくなるかは、条件が異なればそれはわかりません。その時の状況によって違います。全体として、任務そして行動の範囲が広がれば、一般的にリスクの可能性は大きくなる可能性があるということだと思います。
それからこの前、国会の衆議院参考人として申し上げたのは、量だけの話ではなくて、リスクの質も考えるべきだということです。それぞれの対応する状況によって質の軽重も変化するでしょう。
金子 その大きなリスクを下げましょうというのが今回の平和安保法制の基本的な考え方なわけですよね。
折木 リスクには国家と自衛隊の二つのリスクがあって、本来法制について議論すべきはまず国家のリスクなんです。
それが最初に、自衛官、自衛隊のリスクの議論になっていて、自衛隊にとっては本当にありがたいことなのですが、まず議論することは違うだろうと。徴兵制の話とか、論点の優先順位が違うと思います。
憲法違反の話も、どこまでが憲法違反なのか、自衛隊も憲法違反なのか明確ではありません。
金子 立憲主義と言っている人の中には、自衛隊も憲法違反だと考えている人もいるわけですが、そこについては議論に持ち出さないんですよね。ほとんどの国民は自衛隊の合憲性についてはもう問題視していないわけですし。
折木 だから、都合のいいように論理が変わっていて、そこがちょっと寂しいんですよね。