デジタル社会における憲法のあり方を考える(前編)

宍戸常寿(東京大学大学院法学政治学研究科教授)&山本龍彦(慶應義塾大学法科大学院教授)&亀井善太郎(政策シンクタンクPHP総研主席研究員)


新型コロナウイルスの感染拡大、新しい国際秩序に向けた世界の動き、デジタル化、人権問題等、さまざまな問題を背景にして2022年4月に、PHP「憲法」研究会が発表した提言報告書『憲法論3.0 令和の時代のこの国のかたち』(以下、『憲法論3.0』)。
 
憲法は、改正の是非の議論を克服し、社会の変化にいかに応えるべきか、具体的な論点は何か、社会や政治はどのように動いていくべきか、『憲法論3.0』掲載の論考に込めた思いや考えについて、2回に分けて執筆陣が会し、議論しました。
 
第2回目の「前編」となる本稿は、宍戸常寿氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)、山本龍彦氏(慶應義塾大学法科大学院教授)に、「PHP憲法研究会の意義」「ご自身の論考のポイント、『憲法論3.0』に込めたもの」「自分以外の論考の読みどころ、新たに気づいたところ」を語っていただきました。モデレーターは、PHP総研主席研究員の亀井善太郎が務めました。

1.PHP「憲法」研究会の意義は?
 
■未来志向に立った憲法論議の方向性を提示

亀井 前回の座談会に続いて、今回は、PHP「憲法」研究会メンバーの宍戸さんと山本さんとお話を進めていきます。
 
お二人には、憲法研究会の前身の「統治機構改革研究会」にもご参加いただきました。この研究会で取り上げたのは、平成の時代に取り組まれた一連の統治機構改革でした。日本は変わらないとしばしば言われますが、統治機構は変化を遂げ、ある部分では成果をあげた一方、課題も残されています。その1つが、本来、統治機構のあり方を明記するべき憲法のあり方です。グランドデザインとしての憲法をしっかり考えていかねばなりません。この問題意識が憲法研究会を立ち上げるきっかけとなりましたし、研究会では、「令和の時代のこの国のかたち」と銘打ち、グランドデザインたる憲法というものを意識した形で検討を重ねました。
 
山本 提言報告書のタイトルが『憲法論3.0』となっていますが、これは、従前の憲法論議の展開、変遷からすると、大まかにこんな感じで整理できるのではないかと思い、私の方から提案しました。

まずは「憲法論1.0」。これは、日本国憲法を象徴するような規定を改正する/しないといった、イデオロギー色の強い護憲・改憲論を念頭に置いています。ここでは、特に憲法1条や9条がその対象となってきたと見ることができるでしょう。
 
続けて、「憲法論2.0」は、前身の研究会で検討した統治機構改革論と多くの部分が重なります。政治の世界では、たとえば1990年代の政治行政改革は「憲法論」として意識されずに行われてきたかもしれませんが、憲法研究者から見れば、「憲法改革」として捉えられる部分もありました。この「憲法論2.0」の議論でもう1つ重要なことは、いわゆる憲法附属法の存在を前景化して、「日本の憲法とは憲法典だけではない」という意識を広めたことです。憲法論議のあり方を巡る大きな動きがあったと認識しています。
 
日本が現在直面している課題等を踏まえれば、今後、「憲法論2.0」の密度をより高くしていくとともに、デジタル化の動きを正面から捉えた未来志向の憲法論が必要だと思います。これが「憲法論3.0」です。デジタル化には、個人と国家のあり方をラディカルに変容させる部分があるからです。
 
「憲法論3.0」のあり方についてはいろいろな考え方があると思いますが、「憲法論1.0」でなされたような硬直的で分断的な論議を乗り越えて行かなければならないという点については、研究会メンバーに共通認識があったように思います。
 
亀井 ありがとうございます。では、宍戸さん、いかがでしょうか。
 
宍戸 第一に、“日本が近代国家として法に基づく政治をやっていく”と言う以上、現在の高等学校公民科の学習指導要領で言うところの「公共的空間をつくる基本原理」、たとえば、法の支配、人権尊重、民主主義等が一番根っこにあり、そのことへのコミットメントは変わらないはずです。
 
しかし、「憲法論1.0」の時代は、その基本原理自体を咀嚼する過程でもあったのだろうと思うのです。そこには、明治憲法から日本国憲法への移り変わりをどう受け止めるのか、日本国憲法は行き過ぎで明治憲法へ戻すべきではないかということで、どうしても憲法9条と天皇制の部分、人権の制限に関する公共の福祉の強調という議論が、前面に出ていました。
 
その背後には、立憲主義とか近代的な国家のあり方に対するエモーショナルな反発が潜んでいたように思います。そうしたなかで「憲法論2.0」は、公共的空間を創る基本原理をどう具体化していくか、バージョンアップする議論だったと捉えています。
 
時間軸で言えば、1989年の東西冷戦の終結、湾岸戦争があり、国内では政権交代がありました。人口減少・少子高齢化や、日本の経済力、ファンダメンタルズの相対的な低下を見据え、強い統治機構を創らなければならないということで始められたのが「統治機構改革1.0」でした。そして、それが完全に実現していない、積み残しの部分を議論したのが「1.5」ですし、「1.0」をバージョンアップさせなければならない部分が「2.0」で、それらを合わせたのが、憲法研究会の前身の統治機構改革研究会がまとめた『統治機構改革1.5&2.0』だったわけです。
 
それに対し「憲法論3.0」は、デジタル社会により国家の自明性が目に見えて相対化していくなかで、公共的空間を実現する基本原理をいかに発揮するかという大きな話です。ややもすると、統治機構改革では収まらない話になるでしょう。
 
ここで懸念されることは、「憲法論1.0」の世界に戻ってしまうのではないかということです。天皇制の問題については、男系男子の皇位継承を維持できるかという大きな議論がありますし、また、憲法9条を巡っては、新冷戦、デカップリングの問題、それからウクライナの問題があります。
 
そうしたなかで、デジタル化のなかでの日本における民主主義社会、個人としての自由や利益をどう守っていくかという「憲法論3.0」に相応しい部分と、憲法は国防論議を妨げているから良くないといった「1.0」に戻るようなエモーショナルな議論の両方の可能性が考えられます。
 
まさに今は、「憲法論3.0」が歪な「憲法論1.0」に堕するかどうかの分岐点にあるように思います。こうしたなかで今回の提言報告書『憲法論3.0』では、健全な憲法論議の方向性を議論し、その論考を集めたことに非常に意味があるのではないかと思います。
 
亀井 ご指摘のとおり、「憲法論1.0」に戻る力をいろいろなところで感じます。それは日本だけの問題ではないかもしれません。世界中で法の支配や人権が揺らいでいます。
 
これからの議論にあるかもしれませんが、人権についての再定義や、デジタル化をはじめとする技術進化による国家そのものの相対化、そこで求められるプラットフォーマーとの対話等、様々な論点について「憲法論3.0」に向かっていかねばならないでしょう。そうしたこと無しに「憲法論1.0」に戻そうというエモーショナルな動きは常に存在し、そこに対して「憲法論3.0」が確固たるものとしてあるべきと掲げ続けることが大切です。

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