「子どもが売られない世界をつくる」―かものはしプロジェクトの挑戦

かものはしプロジェクト 共同代表 青木健太 (聞き手:PHP総研 山田花菜)

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――現地に仕事をつくるために、最初はIT事業を始められたけれども、そうするとリーチできる層が本来思っていたのとは違うことに気がついた、ということもあったそうですね。
 
青木:そうなんです。現地に仕事をつくるといっても、僕たちも仕事をもっているわけではないし、なんなら自分たちも働いたことはないし、というような状態で、資本がなかった。工場誘致とかはできないわけですよね。
 ですがITであれば、資本がなくても始められると考えたんです。いろんな選択肢がありましたが、学生によるIT起業みたいなものが2002~2003年くらいに盛んになってきていたこともあり、ITを使って仕事をつくればいいんじゃないかということを、3か月のプランニングの段階で考えるようになりました。
 一方で、現地に渡って調査するにしても活動費が必要ですから、なにか収益のエンジンを持たなければいけないんじゃないかという話もあって。現地に仕事をつくりながら、活動費にあてる収益をもたらせるものって何だろうね、と考える中で、当時ITを選んだんですね。
 どちらかというと、資本がないからという理由が大きくて、僕たちがITになにか強みをもっていたわけではなかったんですけどね。僕が多少パソコンが得意だったくらい(笑)。
 
――資本がそんなに大きくはかからないとは言っても、パソコンなどのIT機器を準備する初期投資はかかりますよね? また、現地の人はどのくらいITリテラシーがあったのでしょうか。
 
青木:まずは日本側で仕事を企業から請けてちゃんと回せるようになりましょうということで、最初は日本側でIT事業を始めたんですね。同時にカンボジアの孤児院でパソコン教室を始めたんですが、実は、そのふたつは結局接続していないんです。
 日本でのIT事業とカンボジアでのパソコン教室事業というのは、接続する予定でどちらも始めたものの、接続する前に現地での活動を孤児院から農村に切り替えてしまったので。
 だから日本で、日本の学生や僕が、かものはしプロジェクトとしてIT事業でお金を稼いでいました、というのが「結果として起きたこと」ですね。かものはしは最初6年間くらいはそれで活動費をつくっていたんです。
 
――いまはかなり寄付を集められていると思うんですが、最初は寄付より事業収益で活動費を賄われていたんですか?
 
青木:活動開始当初はやはり寄付は集まらないですからね。2008年くらいまでは、メジャーな収入源はITだったんです。
 
――それは、なぜやめられたんですか? IT事業や孤児院でのパソコン教室が直接ミッションに結びつかなかったということはもちろんあると思いますが、稼げる事業をひとつ持っていて、そこであげた収益をお金にならない事業の活動費に回すというのは、とても安定的なモデルだと思うのですが。
 
青木:その「稼げる」という観点からも、ITの賞味期限が来ていたんです。ITにもいろいろ変遷がありましたけど、僕たちがやっていたWebの一部をつくる作業も賞味期限が来はじめていた。今後もIT事業を続けるのであれば、当然儲かる領域に事業をシフトしたり、技術を高度化したり、なにかしていかなければいけないわけですよね。
 という中で、ミッションとつながらなくなってしまったIT事業の改革に注力するよりも、当時集まりつつあった個人からの寄付をあつめることに全力で集中したほうがいい、という判断をしたんです。ありがたいことにそういう時期だった。
 ITの最後の時期というのは、別の人に仕事を渡して僕自身はカンボジアに行っていたということもあり、わざわざITでもう一回事業を作り直そうという人がいなかったということもあったと思います。
 
――それまでと同じようにIT事業を収益の柱としていくためには、内容も高度化していく必要があって、そのための人材育成の手間やコストを考えると、そこに投資していくのも、ミッションと合ってもいないのに変だな、というような感じになったわけですね。
 並行して支援対象を孤児院から農村に切り替えられたのは、どのような経緯があったのですか?
 
青木:2004年に初めてカンボジアに事務所を開くことになり、駐在員を二人雇って、最初は村田も一緒に行ったんですけど、現地の孤児院でパソコン教室を始めたんです。それはそれで、孤児院からは喜ばれて、ニーズはあって、身に着けたスキルを生かして進学や就職するような人もいたんですけど、現地で実際に事業をしながら感じる感覚と、最初学生のときに調査したものっていうのは、情報量というか、ものが違ったとでもいうんでしょうか。ギャップがあったんですね。「これはこれで社会的に意義があるけれど、この事業では僕たちが本来目指している予防とは遠いから、子どもが売られるという問題を解決したいのであれば農村に行くべきだ」という意見が現地の駐在員から出てきたんです。
 もう一度調査・分析をしてみたら、子どもが売られるという問題の背景には、農村部の貧困があった。「いい仕事があるよ」と騙されて売られてくる農村の最貧困層の家庭の子どもが圧倒的に多かったんです。それで話し合いを重ねて、ターゲットを孤児院から農村に変更したということがありました。

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