「子どもが売られない世界をつくる」―かものはしプロジェクトの挑戦

かものはしプロジェクト 共同代表 青木健太 (聞き手:PHP総研 山田花菜)

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――児童買春に関しては、現地の団体さんなど、ほかに活動されている方もいらっしゃったと思うんですが、その中でかものはしプロジェクトが「孤児院支援」「警察支援」「最貧困家庭の女性を雇用するコミュニティファクトリー事業」といった活動の手段を選ばれたのは、そこに強みというか、課題解決の鍵があるという確信があったんですか?
 
青木:そうですね、当時の見方の中での確信ですけど。
 いちばん最初は、日本人もこうした問題に加害者としてかかわっていたりもするので、そうした場合に日本人が罰せられるように法律を変えたり、そのために署名運動をしたりしたらいいんじゃないか、という発想があったくらいで、いろんなことがわかっていなかったんですね。
 そんな僕らに、藤沢烈さんが「行動力があるのはいいんだけど、そうやって思いつきで始めた活動は長続きしないし、ソーシャルインパクトがあまり出ない。それはやっぱりプランニングが甘いからだ」というようなことを言ってくださったんです。
 そこで、まずはプランニングに専念しましょうということになって、当時、烈さんがマッキンゼーにいたということもあると思うんですけど、調査と事業計画づくりだけを3か月間かけて徹底的にやったということが、すごく印象に残っています。
 徹底的にといっても学生ですから、いまから考えれば甘かったと思う部分もあるんですけど、その問題がなんで起きていて、どこで起きていて、どういうアプローチをしている団体がいて、空いている場所はどこか、自分たちがなにかしらの強みを生かせるとしたらどの部分かということを、一旦立ち止まってちゃんと考えた、ということが、原体験としてあります。
 そのときの体験は、うちの団体のDNAとしていまも受け継がれているように感じますね。
 
――それは現地に行って、聞き込みのようなことをやられたりとか。
 
青木:そうですね。
 
――その中で、自分たちの強みとして、いちばんコアになるものは、どんなものだと思われたんですか? 優位性を発揮できるというか、あるいは、先ほどのお話でいくと、「空いている場所」だったのかもしれませんが。
 
青木:そのときすごく意識していたのは、仕事をつくるということでした。カンボジアに十分な仕事があるわけではなかったし、そうした活動をしている団体もほとんどなかった。日本のほうが経済的に進んでいるのであれば、現地に仕事をつくるということはできるかもしれないということを当時考えたんです。それがいまも活動のコアになっているように思います。
 というのも、「子どもが売られる」という問題に対し、「予防したい」という思いが強くあったんです。好みのようなものもあるのかもしれませんが、この問題に一人でも多くの人が遭わないようにしたいという思いがあって。
 被害に遭った人をケアするとかリハビリをするといったことも、とても大事なことではあるんですが、最初から被害者をつくらない「予防」ということに、僕たちはスタンスを寄せていきました。
 
――子どもが売られる問題には、「これから被害者になりうる人」と、「現在被害にあっている人」と、「売春宿からは救い出されたけれど苦しんでいる人」の三層の被害者がいて、それぞれに必要な取り組みが違う。かものはしプロジェクトの場合は、これ以上被害に遭う人を増やさないことを主軸に活動することにした、ということですね。
 
青木:とくに私はそうでしたね。もう一人でも被害に遭わないように、ということを強く思ったのが、スタンスを決めるひとつの理由になっていて、それはいまでもかなり強く意識しています。

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