子どもたちの意欲を育む大人の関わり方
――「カナエール」はスピーチコンテストということですが、子どもたち一人ひとりが「自分の支援者」を自力で獲得するということですか? それとも、寄付金はあくまで団体が集め、子どもたちに奨学金として配分するのでしょうか?
林:後者です。スピーチコンテストでは一応順位をつけるんですが、奨学金は出場者全員が平等にもらえるようにしています。
ときどき「私の寄付はこの子にあげたい」「私がこの子を支援しているということがわかるようにしてほしい」という方がいらっしゃるんですが、それはお断りしています。実はこのプログラムをつくるときにすごく悩んだ点なのですが、寄付者の方は、圧倒的に「私はこの子を支援している」という実感が欲しいんですよね。途上国支援などで、子どもの進学を支援すると毎月その子からお手紙が届く、みたいなプログラムもありますよね。おそらくそういったものをイメージされているんだと思います。
「あしながおじさん」のように、「私がこの子を支援しているんだ」ということがわかるほうが、支援者にとっても共感が生まれやすいということはわかるのですが、そのやり方にはリスクも大きいんです。たとえば、子どもたちには中退するリスクもありますが、そのときに支援者側が「私はこの子の卒業を支援したいと思っていたのに、途中でやめてしまった」という喪失感を味わうことにもなってしまいますし、お互いのことをもともとよく知っている間柄ならともかく、子どものほうにとっても、「この人から支援されている」ということがわかる関係というのは重いんです。
以前に奨学生の子どもたちとお食事会をして、自分が支援する子ひとりを決めたいというお話をいただいたことがあります。高額の寄付をくださる方だったので悩んだのですが、結局お断りしました。子どもたちからすれば、品定めされる場のようになってしまいますし、一対一の関係ではない仕組みの中で応援するほうが、双方にとってリスクを軽減できると考えたんです。
――支援者の思いを押しつけられるようなかたちになってしまうと、子どもたちにとっても余計なプレッシャーになってしまいそうですね。
林:それはやっぱり、「支援」というものを考える上で、難しいところですね。支援者の方々がなんのために支援をするのかというところなんですが、人のためになにかをすることで自分の存在意義を確認したり、自己肯定感を高めたいといったスイッチが入っている場合は、わかりやすい効果を期待してしまいがちです。
だけど子どもは思ったようには育ちません。どこの家の子どももそうだと思いますが、英語を身につけさせたいと思って子どもを英会話塾に通わせたのに、本人は嫌がって英語が身につくどころか嫌いになっちゃったとか(笑)、ありますよね。児童養護施設の支援に限らず、支援される人は、支援者の思い通りになる存在ではありません。でも、やって「あげている」という思いが強ければ強いほど、成果を求めてしまうというのが、支援の難しいところだなと感じています。