漁業のやり方を変えるところから始めよう

桃浦かき生産者合同会社 代表社員 大山勝幸

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桃浦の浜に建つかきの処理場

「全滅」したからこそ生まれたまとまり
 
 民間会社に漁業権が与えられ、生産から加工、販売までを組織化して一手に担えるようなしくみをつくり上げる。これは全国でも初の試みだった。
 
「ある意味で、桃浦はやりやすかったんです。浜全体がみんな同じように被災しましたから。被災状況がまだら模様の地区では、生活再建の考えもバラバラで、なかなか話がまとまらないですから」
 
 とはいえ、漁師たちはみな起業はもちろん、会社に所属した経験もない。県の提示する試算結果などを見ても、半信半疑のまま。何もかもが初めてだらけだった。
 
「私たちもかなり悩みました。でも、いつまでも悩んでばかりいられないから、浜を片づけて、使えそうな資材を拾い集めて海に入れておいたりして。そうしたら、種がきがついてくれたので、残っていた資材18台分を海に入れました」
 
 だが、ようやく足がかりをつかんだと思ったところに、さらなる天災が襲いかかる。
 
「台風が直撃したんですよ。地盤沈下している海岸沿いは危ないので、なけなしの資材を少し高台になっているところに運んだんです。そうしたら、台風で川が大氾濫して、それで結局みんな流されてしまいました」
 
 震災と台風のダブルパンチだった。だがこの出来事が、足踏みしていた「桃浦かき生産者合同会社」の立ち上げへの一歩を踏み出す、ひとつのきっかけとなった。
 
「せっかく拾い集めてきれいにした資材もみんな流されてしまって、新しいものを買うしかない。それには、みんなでお金を出し合わないと、とても間に合わない。そこで、会社組織の前に復興会を立ち上げて、ひとり100万円ずつ出し合うことにしたんです」
 
 これは資金集めとともに、結果としてほんとうにやる気があるのかどうか確かめる踏み絵にもなった。口座を設けて3日ほどで、16人が100万円ずつ振り込んだ。
 
「集まった資金を元手に、さあ資材を購入しようというときに、県の紹介で仙台水産さんが協力を申し出てくださったんです。そこから、販売ルートや加工の方法とか、いろんな話が具体化しました。このとき、ほんとうのスタートラインに立ったのかもしれません」
 
 かきの生産だけに専念してきた大山さんたちに、加工や販売のノウハウはまるでなかった。卸大手の仙台水産と手を組むことができれば、こんなに心強いことはない。ようやく会社の立ち上げが現実のものになろうとしていた。
 
(第二回「漁業を張り合いがあって楽しい仕事に」へ続く)
 
大山 勝幸(おおやま かつゆき)*1947年宮城県石巻市桃浦生まれ。父親の後を継ぎ、19歳からかきの養殖に従事。合併前の桃浦地区漁協の監事を23年務めた後、7つの漁協が合併した石巻地区漁協の監事・理事を経験。また、かき部長として地区漁協の管理に携わる。2011年より、水産業復興特区を活用し新たな技術や価値観を取り入れた新しい漁業を目指す「桃浦かき生産者合同会社」の立ち上げに携わり、現在代表社員を務める。
 
【取材・構成:熊谷 哲】
【写真:shu tokonami】

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