漁業のやり方を変えるところから始めよう
かき処理場の作業場
ここを廃墟にするわけにはいかない
担い手の高齢化と後継者不足。それは桃浦も例外ではなかった。
「もともと、ここの生業をどうしていくのか、みんな考えていました。そこに震災が起きて、家は流され、港は壊れて。いままでの生活を取り戻すだけでも、どう見ても5年はかかる。年齢のことを考えても、もうとても無理だなってね」
ただ、仕事の第一線から退くことになっても、昔のような故郷を取り戻すことには真剣に向き合っていた。
「被災した漁港の数が多いから、大きな漁港から修復していって、集約的にしていこうという話が出ていたんです。そうしたら、自分のところはどうするんだと、いろんなところから反発が出て。結局、全部やることになって」
そんな中、地元の漁師たちが廃業を決め、担い手のいなくなった漁港の再生には、復興予算がつかないという話が聞こえてきた。
「それじゃ瓦礫だっていつまでも片付かないし、復興なんてできない。桃浦は長年住んで、子どもたちを育ててきた私たちの故郷だから、まさかこのまま捨てるわけにはいかない。廃墟にしてしまうわけにはいかないんです」
そこで、何かいい方法はないかと模索している最中に、村井知事が提唱した『水産業復興特区』の話を耳にする。