ひとりでは難しいなら、みんなで一緒にやればいい

NGOテラ・ルネッサンス 鬼丸昌也

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刺し子プロジェクト事務所の作業風景

若者と、ばか者と、少しのよそ者と
 
 テラ・ルネッサンスがここまでやってこられた秘訣がきっとあるはずと尋ねると、鬼丸さんは「だらしないリーダーシップですから」と言って憚らない。
 
「たとえば、僕が英語を話せていたら、活動はここまで大きくなっていない。英語を話せる人間に海外での事業を任せるしかないから、できる人間がうちの職員になってくれて、カンボジアやウガンダで困難な仕事をやりとげてくれるわけです。結果的に、僕ひとりでやるよりも、大きな仕事ができて、より多くの人を支援することができました」
 
 自分に足りないものがあるのはありがたいと言い切る中に、だらしなさとは裏腹の、人の力を信じて繋いでいくことのできるしなやかな強さが感じられる。
 
「逆説的なんですけど、『自分の限界、自分の微力さを認めたときに、無力を超えることができる』とよく言うんですね。一人ひとりは決定的に微力なんだから、みんなで一緒にやればいい」
 
 自分の殻に閉じこもるのではなく、衆知を集めることによって事態を動かし、変えていく。その考え方は、いまの自治体にも言えるのかもしれない。
 
「自治体職員向けに、研修をさせていただくと、下から燃え上がるように変えていこうとしている職員の皆さんが、とりわけ震災以降は増えていると感じます。そういう自治体を見てみると、足りないもの(こと)だらけなんですね」
 
 東京から遠い。人口は減り、若者は町を離れて戻ってこない。この状況をなんとかしなければならないと奮闘する人たちの姿が目に浮かぶ。
 
「でも、足りないことって、実はすごく恵まれていると思います。足りないからこそ、人の力を呼び込むことができますから。絶望と違って、希望は自分からとりにいかないとつかめない。だからこそ、足りないことだらけなんだから、あるものを活用したり、縁をたどったりして必死になって頑張る。そうやって頑張る『ばか者』と『若者』に、少しの『よそ者』がそろうことで、実際に組織やコミュニティが変化した事例を、たくさん見てきました」
 
 心はともにしながら、外からの目線は保ち続ける。そこにこそ、外から来た人間として果たすべき役割がある。
 
「やっぱり、よそ者がばかになりきらなくては、と思っているんです。現地の人からばかにされるくらいで、かわいがられるくらいで十分だと。そうなってこそはじめて対等に話ができるし、同じ画(ビジョン)を見ることができる。大事なことは僕らが画を見せるのではなくて、こういう画を一緒に見ようって呼びかけられる存在に、一緒に汗をかいてもらえる存在に、その地域でなれるかどうかだと思います」

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