シルバー民主主義「論争」を越えて<2>

島澤諭(中部圏社会経済研究所主席研究員)×小黒一正(法政大学教授)×亀井善太郎(PHP総研主席研究員)

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4.政策議論のベースに必要なのは哲学だが……
 
本来議論すべきは制度、枠組みだが、そこまでできない懸念も
亀井 スケジュールとして考えると、6月くらいに骨太方針が出てくるとすれば、与党内の議論は、ゴールデンウイーク前後までに終わらせないといけなくて、そうなると、水面下では2月、3月の予算の裏で実質的な議論が行われていて、4月ぐらいから各部会に出てきて、ゴールデンウイークまたいで政調でとりまとめのような感じになりますよね。
 ただ、いまの小黒さんのご指摘では、そこに出てくるものは小粒なもの、本格的な議論には及ばない懸念があるということでしょうか。
 本来であれば、保険の適用範囲、終末期医療のあり方、年金制度等、これからの社会を考えながら、社会全体の負担を抑制するための方針や施策を具体的に考え、何をやっていくかということを示さないといけません。
 
小黒 そのとおりです。給付を抑制する時に、現行制度を前提にして抑制するには限界があります。本来であれば、医療でいえば、どういう薬を保険の対象にするのか、といった公的保険と民間保険の役割分担とか、そういう議論をしなければいけません。例えば、薬局で買える薬は保険の対象にしなくてよいのではないかとか、高額所得者の選択する特別な治療は外すか、自己負担を高めてもよいのではないかとか、そういう議論が求められているのです。
 医療費は全体で40兆円ありますが、入院が15兆円ぐらいで、外来が15兆円くらいです。その際、家計に対する財政的リスク保護の観点から、高リスクの治療は保険でしっかり守りつつ、低リスクの風邪などの場合はもう少し自己負担を増やすとか、そういうところから議論を始めないといけません。
 本当は、こういう話は、社会保障・税の一体改革で、2015年10月に消費税が引きあがっていて、そこからちゃんと一、二年かけて議論して、フレームをつくってもっと細部に落とし込んでいくという流れのはずだったのですが、先送りになってしまってしまい、ずっと積み残し状態です。
 
亀井 だから、それを数カ月でできるはずはないということですね。消費税の引き上げ先送りの影響は、ここにもあります。こうした議論から政治全体が逃げてきたわけです。
 加えて、すでにご指摘があった、子育てや教育といった新しい分野についても、単に給付を増やすだけでなく、もっと深いレベルで議論しておく必要がありますね。
 
子育てや教育も、単なる給付額だけでなく、制度設計の議論が必要
小黒 私、理論的には、人的資本市場というのは、株式の物的な資産を、外からお金、投資家から集めてやるというような、そういう市場がありません。だから、所得が高い家庭に生まれた人と、そうでない家庭に生まれた人の間に、受ける教育に違いが生まれてしまいます。つまり、所得格差、財産格差は、教育格差になるということです。
 教育は個人にとっての投資であり、そのための資金調達の方法として、株式市場のようなものが必要です。いま、自民党が議論し始めている「所得連動型奨学金」は、いわゆる「出世払い方式」で、将来、自分たちが獲得する賃金のベースの一定割合で返済する仕組みです。社会全体として、これからの知識経済における成長エンジンである人的資本に投資する機会をつくる、市場が存在しないために過小資本になっている現状をあらためるという理論的な背景も含んでいます。
 いくらもらえるのか、どこからとるか、という短期的な議論ばかりに終始しがちですが、こういう、理念や制度から立ち上げた議論が出てこなければいけません。
 
亀井 結果としての平等ではなくて、機会の平等を取る政策は何かという基本的な考え方に基づいて出てきた具体策ということですね。
 
小黒 高等教育の支援ということでは、無償の奨学金の拡充という方策もあります。しかし、高等教育に進めば、高卒の人や中卒の人と比べれば、賃金は5,000万円、場合によってうまくすれば7,000万円増える、そういう現実を考えれば、当事者の負担はあってしかるべきだと思うのです。機会の平等は担保しなければなりませんが、税金を投じる意味も考えなければなりません。
 先ほど、島澤さんがご指摘されたように、全体として貧困化が進んでいて、財政も持続可能な水準ではないとすると、負担と便益の関係もしっかり確保し、制度として相当スリム化しなければいけません。そういう、今後の社会の変化まで視野に入れた議論が、いまの政治に求められているのです。
 
パラダイムチェンジだからこそ、理念と制度から考えなければならない
島澤 今までは、右肩上がりの経済で、何も考えなくともうまくいきました。
これからはやはり、ある程度、国の哲学というか、政策の哲学がないと、国はうまく動いていきません。
しかし、小黒さんが言われるような深いレベルの話ができているかというと、現実はそうではありません。
 これはいまの政権とか霞が関とか、そういう話ではなくて、日本全体にないのだと思います。どちらかというと、非常に近視眼的になっていて、今日明日のことに精いっぱいで、骨太ではなくて、対処療法的な方針しか打ち出せていないのだと思います。
 ですから、本当に骨太の哲学的な話をどこかでやっておかないと、これからの日本、おそらく、難しいことになると思います。
 全世代型の社会保障というのは非常に大きなパラダイムチェンジのはずなのに、深く議論された気配は全くないのが気になるところです。
 
亀井 政策シンクタンクとしても同じことを感じています。外交・安全保障は厳しい環境認識もあって、深い議論への関心は高いのですが、財政や社会保障については、そういう関心を持つ人があまりいません。
 まさに、シフトするということは、根本にある考え方を変えなければいけないのだけれども、相変わらず、政策の方法論にみんな飛びつくのです。その典型が「こども保険」ですね。
 経済構造、社会構造の変化を踏まえ、その上で、どんなモラルハザードが起き得るのかとか、そういうところまで考えた議論というのが、永田町からも、霞が関からも、アカデミアからも聞こえてこないというのは、実は、結構これは根本的な問題です。
 
制度そのものの原則に立ち返り、哲学を持って考えることができるかどうか
小黒 私は、社会保障を立て直す時のキーワードは、保険の機能と、税の再分配の機能を完全に切り分けるということにあると考えています。
 保険原理はリスク分散機能です。リスクが起きた人をみんなで助けるという機能です。そこでは所得の高い、低いは直接関係ありません。むしろ、これはリスクを分散させるために多くの人が一緒に入る必要がありますから、所得が低い人も高い人もみんな入ってもらう必要があります。
 ただ、やはり、保険料の負担は難しい人もいますので、そこは税金を投入します。それが再分配の機能です。
 そもそも、税を入れるというのは、そういう理屈だったはずなのですが、いまの社会保障は、一般会計から年金と医療に30兆円投入しています。
 
亀井 ご指摘のとおりです。その原理原則を壊してきたのがいまの社会保障制度ではないでしょうか。だから、一般会計、つまり、税金の負担が30兆円にもなっているわけですね。
そういう制度にしてきた人たち、つまり、官僚や政治家たちが、保険原理と税原理を整理できるのでしょうか。
 
小黒 だから、大改革なんです。哲学を持たなきゃできません。でも、哲学があるかというとそこがあやしいのです。
 年金制度で見れば、いまは、年金は基礎年金の半分に国庫負担が入っていますが、これは所得が高い人も低い人も国庫負担が入っているということです。本来、高い人は入れる必要はないのです。
 医療や介護についても、国庫負担があり、同じような問題があります。また、現役の自己負担は3割ですが、これも所得の差はありません。所得の高い人に税金をどれだけ入れるべきなのでしょうか。
 
島澤 懐疑的にならざるを得ないのは、例えば、雇用保険の財源があるからと、様々な形で援用して一向に意に介さない現実があるわけです。非常に厳しい言い方だと思いますが、こうした体たらくの霞が関の官僚に原理原則に立ち返ることができると思えませんし、あえて原理原則に立ち返る困難にチャレンジするとは思えません。
 
亀井 いまの官僚は、骨太方針に、自分たちがここ数年間でやりたい政策や事業の文言が入っているかどうかしか、見ていません。原理原則や理念を持ち込むという発想からはかけ離れてしまっているように感じます。
 社会保障行政をずっと担ってきた人の中には、社会保障に哲学をきちんと持っていて、それは保険、それは税、と区分けできる人もいるように感じます。しかし、一方で、それは、現行制度を是認するため、それらの原理原則を随分ゆがめてきた人たちの歴史でもあります。
 重要なことは、そうした制度の原理原則、その根本にある哲学、そして、それが具体的に表現される言葉のあやを理解できる人が、いまの永田町にはいないし、霞が関でも承継できているようにも思えません。
 全体として、視野狭窄で短期的になっていて、長期的視野で、原理原則を見極めることができない、政策の根本に哲学を持つことができていない、これは、日本の政治の根源にある課題ではないかとも感じています。
 

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