シルバー民主主義「論争」を越えて<2>

島澤諭(中部圏社会経済研究所主席研究員)×小黒一正(法政大学教授)×亀井善太郎(PHP総研主席研究員)

DJ9A0858

2.歴史の転換点にいるという認識の必要性
 
私たちは、いま、歴史の転換点に立っているのではないか
小黒 私は、歴史学者ではありませんが、日本の政治経済には80年周期みたいなものがあるような気がしています。明治維新は1868年。日本は開国して、途中から大陸に出て行き、日露戦争を含めて領土を拡大していくプロセスに入り、是非も含めて、いろんな見方はありましょうが、これでひとつの国家というか社会システムの成長プロセスに入りました。
 ところが、国際政治の枠組みが変わっていくわけですね。日本は後から参入したわけですが、領土の取り合いというのはちがうんじゃないかという声が出て来ます。実際のところ、先に進んでいた英国、米国、フランス等といろいろなところでぶつかるわけです。そうなると、国家の成長プロセスは止まります。
 実は、もっと前の1905年(明治維新から約40年後)、日露戦争に勝った時ぐらいからモデルが変わっていて、変えなければならなかったのに、それを変えられないまま、対中戦争が対米戦争となり、最後(明治維新から約80年後の1945年)に敗戦を迎えたわけです。
 戦後は、キャッチアップ型の経済構造で高度経済成長を実現しましたが、その頂点はプラザ合意の85年(敗戦から約40年後)で、その後は高齢化と人口減少、加えて、最近は貧困化も進み、この三つがトリプルダメージみたいな形になってきています。
 やはり、ここでも、過去の成功のモデルを変えなければいけない状況になっています。前編での話で言えば、国民に負の分配、そのお願いをしなければならなくなっていますが、それができていません。
 1945年からちょうど80年は2025年で、団塊世代が全員75歳以上になる時でもあります。だから、もっと何か深いレベルで、根本的な認識を変えなければいけ状況にもかかわらず、国民も、政治家も、できていませんし、専門家のほうも、もっと深いところを掘って、情報を出していかねばならないのですが、それもできずにいるのです。
 人生100年時代という言葉も、そういうひとつの根本的な認識を変えるキーワードのような気がしますが、それで、根本的な制度改革に手を付けているかといえば、そうはなっていません。
 もっと深いレベルで我々の社会システム全体の構造を変えていかなければいけない状況になっている、自己変革していかなければいけない話になっているにもかかわらず、その警鐘ができておらず、現状追認のような話ばかりが出てきます。それが、社会に対する忖度なのか、自己保身なのか、そこは何とも言えませんが。
 書店を見ても、とりあえずのおカネ儲けの本、それに、あなたはいまのままで大丈夫ですよという本ばかりです。それが売れるのはなぜかと言えば、買う人たちが、それが気持ちよくて、そういうところにはまってしまっているのです。いまのままではいけない、根本のところで意識も、社会構造も変えていかないと、と言っても、それを読む気力もないのですからね。
 ただ、やはり、それではいけないのです。もっと深いレベルで、いまの人口増加を前提にしてきた社会システムではもう無理だということを、社会全体で、きっちり認識していかねばなりません。そのために、専門家はそういうことを書かねばならないし、言っていかねばならないのだと思います。それこそアカデミアの責任なのです。
 
現実を直視しない方に向かうことに加担する官僚、アカデミア、政治家
亀井 専門家と言えば、官僚も、そういうことに対して、自分の機能を活かして、問題提起しなくなったように思います。ひとつの具体的事例は、内閣府の推計ですね。過去の検証をせず、薄い根拠で、将来は大丈夫だと安易に言ってしまうわけですから。
 アカデミアは、いま言っても、あまり支持されないし、叩かれるばかりなので、社会を相手に言うのはやめておこう、身内の学会に集中しよう、みたいな感じになっているように感じます。どちらかというと閉じる方向、閉じる方向へ向かっているように感じます。それでは、社会は本当の危機の正体や構造変化や意識変化の必要性は認識できません。
 
小黒 前回、世代会計の話をした時に、困っている人を中心にして議論するべきだという島澤さんのご指摘、まったくそのとおりだと思います。
 いまの政権でも、そういう意味では、現役世代の困難にも着目して、人づくり改革や子育てとか教育関係に少し力を入れるようにはなってきました。方向性としては悪くないのですが、やはり全世代型の社会保障を目指すのであれば、単に、その人たちへの給付を増やすという安易な方法ではなく、社会保障の全体像をどうしていくのか、また、その前にそうした議論のベースとなる、亀井さんも別のところで言われていますが、社会保障に関する哲学が必要です。そこがまずないと、あるべき方向に議論は進みません。
 
亀井 政治が先か、社会が先か、そこは、鶏か、卵か、どちらが先なのかと言えば、やはり、リーダーである政治家が引き受けなければならないことなんでしょうね。国民に忖度している場合ではありません。次なる時代に一歩踏み出すのが政治家の仕事であり、そうした次なる時代を結晶化した言葉を発するのが政治家の役割でもあります。古代から、政治家の仕事は言葉にすることだったわけですからね。
 言葉が出てきて、あっ、そっちへ行くのかなと社会が思い始めて、だからみんなが言えるようになるというのは、政治家のもっとも重要な仕事のひとつでしょう。
そこが突破できないから、80年周期で、ミゼラブルなところまで落ちないとまた次に進めない、戦争を終えるには御前会議がなければと次に進めなかった過去を繰り返してはいけません。
 
国民は気付いていて、気付いていないのは政治家だけではないか
島澤 最近気になっていることのひとつに、外国人タレントを使って、日本はこんなにすごいんだという話が、テレビやメディアで多くなったことがあります。私は、あれこそ、日本人の自信の無さの裏返しだと思うのです。
 国民の深層心理の中では、日本はもうこのままではだめなんだ、あるいは、もう没落していくんだという認識はできているようにも思えます。どういう言い方が適切かはわかりませんが、要は、国民全体の中で薄々、日本は昔と違うんじゃないかという認識は拡がっているように感じるのです。
 そこで問題なのは、政治家、それもいまの政権を動かしている人たちの年代なんです。彼らは日本が絶好調な時に若い時代を過ごしていて、その時の考え、経験というのが非常に刷り込まれていると思うんですね。そうすると、日本はまだまだ実は大丈夫なんだと、ちょっとやれば成長するんだというのがあるのではないか。その辺の認識のギャップが、いまの状況を生んでいるのではないかなとも思います。
 ですから、成長さえ実現できれば制度を変えなくてもよいのだと、悪いのは、これまで成長を実現できなかった官僚、学者なんだと。
 
亀井 政治が一周遅れになっていて、モラトリアムになっている、こういう認識でしょうか。
 
島澤 そのとおりです。非常に不安定な状況ではありますが、不思議と安定しています。ベストではありませんが、何も動きません。ある種の政治闘争も起きないし、政党内でも政争が起きにくいというのは、そこかもしれません。隘路に入ってしまったような話で恐縮ですが。
 

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