真の課題は世代間の負担と給付の格差

島澤諭(中部圏社会経済研究所)×小黒一正(法政大学教授)×亀井善太郎(PHP総研主席研究員)

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3、保険として対応すべきリスクが曖昧で、解決手段としても整合性がない
 
亀井 いくつか問題提起がありましたので、整理したいのですが、まず伺いたいのは、保険の設計において前提として考えなければならないリスクが何かという問題です。提言では、「こども保険」は「子供が必要な保育・教育等を受けられないリスク」に対応するとありますが、この点、いかがでしょうか。
 
小黒 保険というのは名ばかりで、この提案に、保険としてのリスクは存在しません。主に保険料として現役世代が負担を担うわけですが、子育てを終えた人や子供を持たない人も担い手となります。保険というのは、将来のリスクを想定して保険料を払うものです。例えば、年金は、引退後の収入がない期間が長寿によって長引き貯蓄が足りなくなるリスクが対象です。労災ならば、仕事中のケガ、雇用保険ならば、職場を失うリスクです。こうしたリスクには全員が直面しています。だから社会保険でプールして、いざと言う時に保険金の給付で対応するのです。
 しかし、「こども保険」が想定しているリスクである、きちんとした保育や教育が受けられないというのは、あくまでも乳幼児がいる人等、特定の状況に直面している人だけが対象であって、それ以外の現役世代の人は対象ではありません。もし、この設計通りであれば、子供が一定の年齢になったらリスクがなくなります。それでも、「あなたは現役だから保険料を払ってください」、「でも、私たちには将来そんなリスクないと思うんですけど。もう子供産まないですし、つくらないですし」となった時に説明ができません。
 現在の提言では「こども保険」という名称ですが、例えば「こども基金」という名前にして、現在の年金制度に組み込めば、それなりの論理的整合性が取れるのではないかと思います。
 
島澤 小黒さんが今お話されたとおり、提言に示されたリスクは、リスクでは全くありません。小黒さんご指摘のリスクの捉え方もあるのかもしれませんが、そもそも子育てをリスクとして捉えること自体、おかしな話だと思います。
 彼らが示したリスクに関連して申し上げれば、保育や教育が受けられないリスクに対して児童手当の増額という形で現金給付しようというのは、リスクの解消策になっていません。保育の場合、サービス供給量が絶対的に足りないのが問題です。そこにお金を出せば、供給量がない中で需要だけ出てきて、問題は解決せず、むしろ深刻化するだけです。彼らの言うリスクがさらに顕在化していくだけです。目的と実際の手段が全く嚙み合っていません。地域によるばらつきも含めて、課題に対する認識が間違っています。
 
小黒 その通りです。供給量が限られている中で、公的補助を入れると価格が下がるから、需要が増えます。需要が増えるのですが、供給量は限られているから、ますます事態は悪化します。
 

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