政策提言「新しい勤勉(KINBEN)宣言―幸せと活力ある未来をつくる働き方とは―」【2】
5.世代と新しい働き方の関係
鈴木 新しい企業で新しい働き方をつくるのもいいと思います。地域全体で変わるのもあると思います。
磯山 八丈島を全部特区にして、そこに本社を移したら、現在の法律は適用除外にするのはどうでしょう。必要なルールを一から作る。福岡市は国家戦略特区に手を挙げて、東京でなくアジアに向いた働き方ができる場所になろうと模索しています。新しい企業を誘致して大きく変わろうとしています。
鈴木 今オリンピックの関係で様々な資源が東京に集まっている一方で、若い世代は、東京でなくてもいいと思っている。その流れがかみ合い、新しい働き方、新しい場や地域が生まれ始めていて、その流れは今後さらに加速すると思います。
磯山 地方に移住する若い世代が増えています。最近、知り合いの夫妻が、奥さん主導で、1歳の子供を連れて、神山町(注5)に引っ越した。重要なのは子育て環境なんです。従来東京に集中してきたのは、教育機会が優れていて、地方の優秀な人材が集まってきたからです。ところが、インフラが変われば人は移動し、働き方が変わります。
だから、地方も工夫すれば人を引っ張れる。政府主導での地方移住よりも、政府の規制がない地域をつくる方がいい。
鈴木 地方創生も、政府の声がけはいいが、本人が来たくなければ、地域が元気にならない。発想を変え、新しい働き方や仕事をつくる視点がないと意味がない。
磯山 国の場合、例えば3年間に限って年収300万円保証で補助金を出すのですが、自律的に生きられる場ができるわけではないので、お金が終わるとそれで終わりになってしまいがちです。
鈴木 小林さんは、そういう地域があれば行かれますか。
小林 私は3人兄弟の長男ですが、弟2人が福島と宮城で働いています。気仙沼にいる弟は現地でカフェ開業や人材づくりをしている。現地にはそういう方々が大勢いて、東京の会社勤務以外の発想で、地域に入り活性化させ、自分の仕事をつくっています。
その方向が根付くのは簡単ではないが、情報技術が進展して、例えば遠隔地でもフェイス・トゥ・フェイスと同様のコミュニケーションが出来れば、東京に集中する必然性はなくなるでしょう。
鈴木 ヒアリングしたマイクロソフトは、IT技術等々を使って、職場に集まらずとも仕事ができる仕組みをつくっていました。それは大きな変化だと思います。
磯山 他方でフェイス・トゥ・フェイスが大事な部分は絶対にある。それ以外はバーチャルでも構わない。時間は減っても、濃密なフェイス・トゥ・フェイスができればいい。
鈴木 職場の会議もダラダラが多いですよね。重要なのは1時間のうちの10分とか。IT等を使って下準備をして、10分だけ直接会えれば、濃密な議論や結論が出るのではないでしょうか。
磯山 20年前と比べて、仕事の仕方は大きく変化してきている。以前は夜中に米国に電話しアポを取るのに膨大な時間をかけていた。今はメールを送り、翌朝パソコンを開けば返信がきている。従来の仕事の時間の大部分はなくなっています。
鈴木 本プロジェクトのメンバーの中で一番若い小林さんは、新しい働き方をどう考えているのですか。
小林 日本でNPO法(特定非営利活動促進法)の成立は1998年ですが、私が大学に入学したのが2000年になります。私より少し上の世代が団塊ジュニア世代で、彼らはNPOに関わった第一世代です。20歳半ばぐらいの弟の世代になると、よりソーシャルな分野に関心が高く、組織より個々人がつながり物事をつくりだすなど、働き方についても新しい感覚をもっていると思います。
磯山 小林さんの弟の世代の学生を教えていますが、今の大学生や大学院生は変わってきていますね。
私は、新人類世代ですが、バリバリ働いたモーレツサラリーマンの息子で、その文化を引きずり、本当の意味では新人類ではないのです。
私たちから見ると、今の若い人たちは、非常に豊かで、今日食えないという切迫感はない。NPOで働きたい、社会に貢献したい人が膨大にいて、本提言を先取りしている人たちが存在しているわけです。
その状況に世の中が追いつかないと、優秀な人材が採れない状態が生まれてくるのではないでしょうか。その世代の例としては、最近有名な気仙沼ニッティングの御手洗瑞子さんなんかがいる。東大出てマッキンゼーに入ったのに、辞めて被災地で社会貢献の事業をやる人がいるとは、前の世代までは考えられなかった。
鈴木 今の若い世代はみんな、そういうチャレンジングなことを平然とやりますからね。
磯山 そういう生き方を平気でできる人が増えています。
(注5)神山町は、徳島県の中山間部として、過疎に苦しんでいた。だが近年は、全国屈指であるICTインフラなどを武器として、 企業のサテライトオフィス誘致などに成功し、若者世代の移住も増え、地域再生の事例として取り上げられることも多い。