よりよき「国づくり」という観点から憲法の見直しを―与野党憲法改正案を比較する―

政策シンクタンクPHP総研 研究主幹 永久寿夫

 2012年、自民党は『日本国憲法改正草案』を発表した。前文を含め、すべての条項を見直した110カ条からなる改正案である。いま憲法改正論議が盛んになっているが、憲法改正が進むとすれば、この『草案』がたたき台になると思われる。我われは、権力を抑制するという立憲主義の立場から憲法改正には慎重であるべきだが、同時によりよき国づくりの設計図という観点から憲法の見直しをはかっていくべきではないか。

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国民投票改正案で前進するのか憲法改正
 
 この4月に、衆議院の憲法調査会が、国民投票法改正案の審議入りを決定した。この改正案は、共産、社民両党を除く与野党8党、すなわち自・公・民・維・み・結・生に加え、参議院にしか議席がない新党改革が共同で議員立法として提出したものである。その骨子は、
(1) 民投票年齢の18歳以上への引き下げ
(2) それにともなう選挙権年齢の均衡と法制上の措置
(3) 憲法改正に関する裁判官・検察官・警察官などの勧誘運動の禁止
となっている。8党による共同提出であるこの改正案は、大きなもめごともなく通過するはずである。
 
 この改正案は憲法改正発議後の国民投票の手続きのあり方を改正するものでしかないが、衆参8党の合同で提出されたこともあり、憲法自体の改正を前進させたかのような印象をあたえる。たしかに、この8党はいずれも憲法改正に対して否定的ではない。議席を合計すると、衆参ともに90%を超える。8党そろわずとも、自民と民主が合意すれば、両院において国会発議の要件である2/3を超える。とはいうものの、改正に関する各党の視点や主張は異なっており、簡単に合意形成が行われるとは考えにくい。

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いまも色あせない改正の論点とは
 
 政策シンクタンクPHP総研は、ちょうど10年前の2004年、「国のあるべき姿」を憲法レベルで描いてみようという試みで、『二十一世紀日本国憲法私案』をまとめた。発表当時、現実の政治状況を考慮しない理念型であり、非現実的であるというご批判をいただいたように、さらなる検討が必要と自覚している部分も少なくない。
 
 しかしながら、そこで示した論点は、現在でも色あせているとは思わない。むしろ、社会状況や国際環境の変化は、当時の問題意識をさらに強くさせている。主な論点を示せば、(1)地方自治の強化、(2)首相の権限の強化、(3)安全保障の強化、である。これらの論点は、同時期に発表された『憲法改正 読売試案2004』(読売新聞)や『憲法改正試案』(世界平和研究所)にも共有されているばかりか、近年発表された民間の提言である『日本国憲法草案』(2012年、日本青年会議所)や「国民の憲法」要綱(2013年、産経新聞)もまた、立場は異なるものの、やはり同様の論点に注目した内容になっている。
 
   もちろん、このほかにも論点は多数あり、各提言における重点の置き方もそれぞれ異なる。しかし、いずれの提言にも共有されるこれらの論点は、今後の憲法改正論議においても避けては通れないものになるはずである。この3つの論点について、各党の姿勢を比較しながら、憲法改正への方向性を検討をしてみよう。

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地方自治では保守的な自民党
 
 第一の論点は、地方自治の強化である。現在の日本の統治システムは中央集権的であり、地方が行う事務に対する中央の決定とそれによる地方への資源配分が、行政の非効率化と財政の肥大化を招いていると考えられている。これを解決するには、地方自治を強化し、国の地方に対する関与を制限することが肝要であるとの認識から、これまで地方分権や道州制の議論が進められてきた。この議論を憲法レベルでいかに組み込むかが、注目すべきポイントである。
 
 自民党の『日本国憲法改正草案』における地方自治に関する改正案は、実質的には現状維持と判断できる。現行憲法で規定されていない地方自治体の種類や、地方自治が二層制をとること、さらには国と地方自治体、地方自治体同士の協力について言及する一方で、専門家のなかで必要性が論じられている、自治体が発する条例の国が定めた法律への「上書き権」や、政権公約で示している道州制の導入などについては触れていない。地方財政については、地方自治は自主的財源に基づいて運営されることを基本とする、とはしているが、課税自主権や財政自治権などに関する記述は見られない。
 
 公明党は、憲法改正ではなく、「加憲」という姿勢を見せている。加憲とは、現行憲法を優れた憲法とみなし、基本的人権の尊重、国民主権、恒久平和主義の3原則を堅持しつつも、新しい時代に対応した理念・条文を書き加えること、と説明される。公明党は、政権公約において、「中央集権的な国の統治機構のあり方を改めます。地域の自主決定により、地域特性を活かした経済発展をめざし、住民本位の行政サービスを提供できる『地域主権型道州制』を導入します」と述べ、さらに加憲議論の対象として地方自治の拡充を挙げているが、具体的な加憲案までは示していない。

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 一歩踏み込んだ民主党の「分権型国家」
 
 民主党は、2005年に『憲法提言』を発表し、具体的条文の提示には至らないが、憲法改正に対する考え方をあらわしている。その第4章は、「多様性に満ちた分権社会の実現に向けて」と小見出しが付けられ、単一国家を前提としながらも、分権型国家への転換の必要性を述べている。すなわち、補完性の原理に基づいて、基礎自治体、広域自治体の権限配分・役割分担を憲法上明確にするとともに、課税自主権・財政自治権を含め自治体の組織および運営、自治体が主体となって実施する事務については、自治体に立法権限を保障し、中央政府にはそれらの分野には大綱的な基準を定める立法のみを許すなど、自民党よりかなり踏み込んだ内容になっている。
 
 以下、国民投票法改正案を共同提出した8党の、地方自治に対する姿勢は次の通りである。
 
【日本維新の会】:地方の条例制定権の自立(上書き権を認める)
【みんなの党】:地域主権型道州制(道州制)の導入、中央・地方の役割分担の明確化、自治立法権、道州・基礎自治体の課税自主権。住民参加などが保障された地域政府の確立
【結の党】:市町村本位の道州制移行で権限・財源を移譲
【生活の党】:中央・地方の役割分担の明確化、上書き権の検討。地方自治体の課税権明記
【新党改革】:中央集権国家から地方分権国家へと「廃藩置州」
 
 このうち、維新、生活の2党は憲法改正を念頭に置いているようだが、改正案の具体化までには及んでいない。また、みんな、結、新党改革については、それらの改革を憲法改正によって行うのか否かについて明確な方針が示されているわけではない。自公民を含め全体を見渡すと、地方自治の強化については、(1)中央・地方の権限・役割分担の明確化、(2)地方自治体の上書き権、(3)道州制の導入、が論点として示されているものの、それらを憲法改正によって実施するのか、あるいは現行憲法の枠内で立法措置で実施するのかについて、共通した認識が存在するわけではないし、党によってはそこまでの検討すら行っていないことがわかる。

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行政権に総理の専権事項を付けた自民党
 
 一時期「決められない政治」という言葉が流行ったが、「決める」ことは、近年の日本政治にとって長い間の課題であった。現行憲法では、行政権は「内閣」に属しており、その行使については「連帯責任を負う」ことになっているため、閣議で意見が一致しない限り行政権は行使できない。大げさに言えば、閣僚全員の意見が一致する程度のあまり重要ではない案件か、各論反対が出ない総論程度の案件しか決定されず、強い抵抗がありうる案件は敬遠されてきた。さもなければ、難しい問題については、長い時間をかけ、調整に調整を重ねて、タイミングを逸したころにようやく結論を得るという状況を生んだ。もちろん、総理が、反対する閣僚を罷免して、閣議の不一致を乗り切ることも可能だが、政治的混乱や対応の遅滞を引き起こす恐れがある。
 
 この問題を解決するために、自民党は、「行政権は内閣に属する」としつつも、総理が閣議に諮らずに自分ひとりで決定できる専権事項を3つ、すなわち(1)行政各部の指揮監督・総合調整権、(2)国防軍(後述)の最高指揮権、(3)衆議院の解散の決定権、を『草案』に盛り込んだ。もっとも注目すべきは、(1)の行政各部の指揮監督・総合調整権であろう。閣議を経ずとも、つまり、閣僚のなかに反対者がいたとしても、総理が行政各部に指揮監督ができるようになれば、時宜にあった迅速な意思決定と行動、さらにはタテ割り行政を越えた省庁横断的な調整や戦略的な政策も行いやすくなる。

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「執政権」を総理に付与する民主党
 
 
 公明党はこの点について、ほとんど何も語っていないが、民主党は自民党とほぼ同様の見解を『提言』のなかで示している。具体的には、「首相(内閣総理大臣)主導の政府運営の確立のため、統一的な政策を決定し、様々な行政機関を指揮監督してその総合調整をはかる『執政権(executive power)』を内閣総理大臣に持たせ、執政権を有する首相(内閣総理大臣)が内閣を構成し、『行政権(administrative power)』を統括することとする」とある。「執政権」と「行政権」の区別が明確には示されていないが、一般的には「決定」と「実施」と解釈してよいだろう。とすれば、内閣における決定の責任は総理一人に帰し、その実施については、決定者である総理が内閣という組織をもって行うということである。この内容は、総理の専権事項付きで行政権は内閣に属する、とする自民党より「過激」といえる。
 
 他の政党に目を転じると、まず維新は首相公選制の導入をうったえている。これは憲法改正が必要と思われる制度改革ではあるが、首相のリーダーシップを強化させるメカニズムや具体的な制度設計についての提案はなされていない。また、みんなの党は「官僚主導から政治主導の統治機構を実現する」、結の党は「真の政治(官邸)主導の体制整備」を標榜するが、その実現方法についての検討はこれからのようである。生活の党と新党改革に関しては、この点についての言及はほとんど見られない。
 
 首相のリーダーシップについては、行政権だけではなく、「国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関」とされる国会との関係や政党内におけるガバナンスのあり方などとともに検討することによって、より効果的な強化が可能とも思われ、議論の幅をさらに広めていく必要があろう。同時に、立憲主義の立場からすれば、首相の権限を強化すればするほど、それを抑制する安全装置が求められるということになるが、この点については、社民党が「自民党『日本国憲法草案』全文批判(案)』で批判はしているものの、全体としては議論が深まっているとは言えない。

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第9条では不一致の連立政権
 
 憲法改正論議の主役は、やはり第9条であろう。第9条は、第1項で、戦争と武力による威嚇または武力の行使を放棄するとともに、第2項で、そのための戦力の保持をも否定するものであるが、日本は現実的に自衛隊という「戦力」を保有しており、その正当性をめぐって、長い間論争が続けられてきた。政府・自民党は憲法と現状の「齟齬」を「自衛のための抗争は放棄しない。陸海空軍その他の戦力の保持は認められないが、戦力にいたらない『自衛力』によって、自衛権(個別的自衛権)を行使することは可能である」と説明してきた。しかし、近隣諸国との緊張が高まり、集団的自衛権容認の求めが強まるなか、第9条そのものをより明確に改正すべきという議論が広がっている。
 
 自民党は『草案』のなかで、1929年に発行したパリ不戦条約第1条を翻訳して規定された第9条1項については、平和主義を貫くために基本的には変更しないとし、文章の整理を行うに留めている。ただし、第2項を「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」とするとともに、第9条の2を新設し、自衛権行使のために「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」という条文を加えている。解説によれば、国防軍という名称に特に他意はないようだが、「自衛権」には、個別的自衛権ならびに集団的自衛権を含んでいる。これを端的に解釈すれば、自衛隊の正当性を明確にするとともに、現在認められていない集団的自衛権をも行使できるようにするということである。
 
 公明党はこの点、戦争放棄を定めた第1項も戦力不保持を定めた第2項も堅持するとともに、集団的自衛権の行使は認めないとする政府の解釈も変えるべきではないとするばかりか、自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在についても慎重に検討すると、自民から見れば「後退」ともとれる立場をとっている。

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いま一つ不鮮明な野党の安保観
 
 一方、民主党の『提言』の表現はいささか分かりづらい。まず、「平和主義」は憲法の根本規範であるとし、「日本国憲法に『制約された自衛権』を明確にする」と述べている。そして国連憲章第51条に記された「自衛権」は、「国連の集団安全保障が作動するまでの間の、緊急避難的な活動に限定され」ており、我が国の「専守防衛」の考えに重なるもの、と続け、「政府の恣意的解釈による自衛権の行使を抑制し、国際法及び憲法の下の厳格な運用を確立していく」と締めくくる。
 
 集団的自衛権については直接的な表現はなく、『提言』を読み解くしかないが、民主党が我が国の「専守防衛」の考えに重なるとする国連憲章第51条は、個別的自衛権はもちろん集団的自衛権を国家が「生まれながらにもつ」自然権としており、そうなると「政府の恣意的解釈による自衛権の行使を抑制」するという意味は、個別的自衛権ならびに集団的自衛権の行使を否定しないということになる。ただ、その後の「国際法及び憲法の下の厳格な運用を確立していく」を読むと、「制約された自衛権」が、国連憲章が示す「国連の集団安全保障が作動するまでの間の、緊急避難的な活動」であると理解できる一方、憲法上いかなるものであるかが示されていないことに気付く。国際法上の制約だけであるならば、「憲法の下」という文言は不要であり、その文言を示すかぎりは、特別な意味があるはずである。かりに現憲法の解釈と同様に集団的自衛権行使の否定を意味するのであれば、全体的に矛盾が生じてしまうのだが、この部分を意図的にこのような記述に収めているとすれば、党内の見解が定まっていないとも解釈できる。
 
 第9条に対する他の政党の見解はといえば、生活の党が「必要最小限の実力行使は、個別的又は集団的な自衛権の行使を含めて、妨げられない」「自衛権を行使するために必要な最小限度の『自衛力』として、自衛隊を保有する」と、自民案とほぼ同じ姿勢を示しているほかは、維新が「憲法9条を変えるか否かの国民投票」という文言を維新八策に載せているにとどまり、みんなの党、結の党、新党改革にはこの件に関する言及がない。第9条改正派にとっては、主要な反対勢力である社民や共産の国会における勢力が衰えているいまこそチャンスなのだが、民主党を含め、他党の立場がいまひとつ鮮明ではない点が気になるところである。

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「共有制」と「緊急性」ではかる改正候補
 
 憲法改正を進めるとすれば、どの部分から着手すべきなのか、それを考える視点は「共有性」と「緊急性」であろう。共有性とは、いかに多くの政党が問題意識とそれに対する姿勢を共有しているかということである。
 
 「共有性」の視点に立つと、ここで取り上げなかった環境権などがもっとも有力な候補になるかもしれない。現憲法に記載がない環境権の重要性に対する認識は高く、自民党が『草案』のなかで、「国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない」という条文を入れているほか、公明党も加憲の対象にし、民主も「地球環境」保全及び「環境優先」の思想について言及することが望ましいとしている。他の政党については必ずしも具体的な言及があるわけではないが、おそらくいずれの政党も反対はしないであろう。
 
 しかしながら、1967年に「公害対策基本法」が成立、その後「環境アセスメント」が浸透し、93年には「環境基本法」が施行されている。憲法で環境権をあらためて保障する必要があるとしても、環境保全に対する法的整備は進んでおり、緊急性については切迫している状況ではない。環境権のほかに、文言の細かな修正などについても改正すべきという共通認識はあるが、それがもたらすインパクトはほとんどないといってよく、緊急性があるとはいえない。
 
 一方、「緊急性」の視点に立つと、近隣諸国との緊張が高まるなか、やはり集団的自衛権の解釈関連で第9条が改正候補の最有力になるのではないか。解釈のみを変更し、自衛隊法などの改正によって緊急性に対応するということも考えられ、憲法改正にまで至らない可能性も十分あるが、「共有性」の視点からも、真っ向から反対する社民党や共産党は別として、各党まだ煮詰まった見解がないとしても、問題意識も共有されているように思われる。あるいは、これまで触れてこなかったが、緊急事態に対する条項の新設も「緊急性」「共有性」の両面から見て、最初の憲法改正にふさわしい案件であるとも考えられる。有事や大規模災害が発生した時に、それに対処するため、首相などに一時的に特別な権限を付与するということである。東日本大震災に際し、その必要性がいっそう明らかになったとともに、具体的な提案をしている自民党や生活の党以外の政党にも受け入れやすいのではないだろうか。

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観念論ではなく実質的な議論を深めなければ
 
 ただ、忘れてならないのは世論の変化である。世論調査の結果は、調査主体や調査方法によって変動するが、全般的に、憲法改正を望む安倍政権の継続日数が増えるのと並行して憲法改正反対の数も増えるというパラドクスがみられる。例えば、産経新聞社とFNNが3月末に発表した調査では、昨年61.3%に及んだ憲法改正派が38%に減り、26.4%だった反対派が47.0%に急増している。朝日新聞が4月7日に発表した最新の調査では、昨年54%あった、憲法を「変える必要がある」という回答が44%に減り、37%だった「変える必要はない」が50%に上昇している。また、第9条については52%あった「変えない方がよい」が64%になっている。集団的自衛権に関する調査でも同様の傾向が見られ、昨年の参議院選の前後で容認と反対が逆転し、反対が多数になっている。
 
 いかに「共有性」や「緊急性」があろうと、国民の支持がなければ憲法改正は不可能である。この世論の変化をどうとらえるかは、詳しい分析が必要だが、一部から「右傾化」と批判される安倍政権の動向に対してブレーキをかけたいという国民心理が生じているとも判断できる。憲法改正議論は、政治の場でも、国民の間でも、長い間行われているわりには、観念論ばかりで、実質的な議論を深めてこなかったのではないか。実際、「憲法改正原案、憲法改正の発議」を審議できる憲法審査会ができたのは7年前、しかも長い間、開店休業状態が続いていたのである。安倍政権はあせらず、与野党間の議論を深めるとともに、細心の注意を払って改正案を選択し、分かりやすく丁寧に国民に説明していく必要がある。勢いで憲法改正をはかっても、逆に抵抗は大きくなるばかりである。国民もまた、雰囲気に流されるのではなく、実利という側面からも、憲法改正のあり方を考える必要があろう。

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