教育現場と子どもの世界のニューノーマル

放課後NPOアフタースクール 代表理事 平岩国泰 (聞き手:PHP総研 山田花菜)

平岩さんのインタビュー第一回はこちら:「コロナ禍は見過ごしてきた課題を一気に進めるチャンス
 
 
1、学童保育は最前線を支える「準最前線」
 
――アフタースクールはいま何校くらいあるんですか?
 
平岩:法人として11年目を迎えて、今まで21校開校しました。今年の春に開校したのが21校目です。5年前の取材時の倍くらいになっているかと思います。
 
――個々の学校や自治体の事情もあったと思いますが、全体としてコロナ禍のような危機にうまく対応できたところ、できなかったところはどのようなところですか?
 
平岩:全体的にはよくやったなと思っています。点数をつけるなら80点くらいでしょうか。
 いちばんよくやったと思っているところは、社会的使命を果たしたということです。混乱はありましたが、休校初日の朝から学童として開けることができた。医療従事者のお子さんもいますから、絶対必要としている人がいる。
 
 私たちは、自分たちの現場を「準最前線」という言い方をしています。医療現場などの最前線で奮闘してくださっている方々を、その後方で支える。大事なお子さんを預かることで、安心して最前線でがんばってもらうためには、私たちは絶対に閉めてはいけないんです。
 
 そういう意味では、利用者の限定や、最大限のリスク予防をして、パワーを減らしながら運営をするのですが、絶対0にはしないつもりでやってきました。パワー0はアフタースクールを閉める事態ですが、それは自分たちスタッフ、あるいは通っているお子さんの中から感染者が出た場合だけです。その場合は2週間は閉めざるを得ないという判断でしたので、2月時点からスタッフはものすごく気を使って生活してきました。ステイホームが強調されるようになる前から、休みの日も含めて「申し訳ないけど、このような仕事に就く者の使命として、いまはリスクの高い場所には行かないでください」とお願いしました。結果、ひとりの感染者も出ることなく開け続けることができたので、社会的使命を果たせたと思っています。
 
 3月から4か月間、朝からずっと開校し続けるということは体力的にはとてもきついんですけど、そこもなんとか折れずに、倒れずにやってきました。保護者の方々からもたくさんの感謝の言葉をいただいています。
 
 一方で、大変だったこともあって、ひとつはスタッフの気持ちの揺れです。折れず倒れず、と言いましたが、やっぱり初めてのことだったし、出勤するのがつらいというメンバーもいました。子どもの数が少なかったので、スタッフの数も絞っていたんですが、メンバー全員が少しずつ出勤するのではなく、ある程度決まったスタッフが集中的に出勤して現場を支える方針を取りました。出入りする人の絶対数が増えると、その分リスクにさらされる人の数が増えるので、高齢のスタッフやお子さんがいるスタッフなど、感染した場合のリスクが高い人には休んでもらっていたんですが、そういう中で、出勤するスタッフへの負担が重くなり過ぎたのではないか、もっと支えられたのではないか、という反省はあります。ずいぶんそのことでは自分自身悩みました。
 
 もうひとつは学校との関係づくりが不十分だったこと。ふだんから、こういうことが起きたらこうしましょうという話が今一つできていなかったので、危機的状況になって初めて話し合いをすることになりましたが、先ほども申し上げたようにできないことの方が多かった。また、私たちも体力がもたなくなるとアフタースクールを続けられなくなってしまうので、行政とも短縮運営や土曜休校をしたいといった話をしたんですが、こちらもほとんど認められなくて。土曜日に子どもが1人も来ない日があって、その日に「スタッフを休ませたい」と行政に話したところ、「規定通り出勤してください」と言われた時にはさすがに膝から崩れ落ちる気持ちにもなりました。
 
 ふだんから話ができていないと、急に言われても向こうもいいですよとは言えないですよね。そのあたりがうまくいかなかったと思っている反省点です。
 
――こうした状況は初めてのことだったと思うので、今後の危機に備えて取り組んでおくべき課題が洗い出されたということですね。
 スタッフの方が気持ちの面でつらい部分があったというのは、勤務時間が伸びてしまった体力的な面からきていたのでしょうか? それとも感染が怖くて、ということだったのでしょうか?
 
平岩:感染への恐怖が主です。3月の段階では社会的使命への自覚もあって、そういった声はほとんど出なかったんですが、4月の頭にたくさん入ってきた新一年生にソーシャルディスタンスを保ってなんて言っても当然難しいし、「この現場で感染者が出たらどうしよう」とやっぱり怖くなってきたんですね。当時が感染のピークだったこともあり、徐々に使命感を不安が上回り始めて、出勤したくないという声も出始めました。そのあたりがすごく揺れた時期でした。
 
 ゴールデンウイークに入ってちょっと休みが取れたりして、5月以降はスタッフの気持ちも感染者の増加も落ち着いてきてなんとか乗り切れましたが、4月の上旬がいちばんきつかったです。
 
――世間的にもいちばんピリピリしていた頃ですね。開けているお店に対してクレームをつけるような人が出てきた時期でもありました。
 
平岩:「なんで開けているんだ」という声を私たちが直接言われたことはありませんでしたが、保育園などでは「なんでこんな時期に開けているんだ」という苦情があったという話は聞きました。それはさすがに心が折れるだろうなと思いました。
 
 私たちも学童利用の子どもが日中に校庭で遊んでいたら「学校が休校なのに、なんで子どもが校庭で遊んでいるんだ!」とクレームが学校に入ったことはありました。その学校の先生は残念なことに「校庭遊び禁止」を私たちに命じました。世の中全体がストレス状態にあった時期ならではのエピソードだと感じますが、そのような大人のストレスで最も損をするのが子どもであるのは今振り返っても納得いかないことではあります。
 
――そうした方々は保育園や学童がどのような場所なのかわかっていないのだと思いますが、逆に保育園で医療関係者の子どもが受け入れを拒否されたというニュースも流れていました。アフタースクールではそうしたご家庭のお子さんを最優先で受け入れていたんですね。
 
平岩:ぜひ来てください、とお伝えしていました。すごく感謝していただきましたが、そのために私たちも存在しているようなものですから。
 

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