――東日本大震災で被災された地域でも、活動されていますね。
渡邊:東北グランマの仕事づくりですね。2011年からいままでずっと続けています。岩手県の陸前高田市や久慈市、南三陸といった地域の女性に、オーガニックコットンを使った製品を手作りしてもらっています。福島県南相馬市の小高区ではオーガニックコットンの栽培も始めたんですが、岩手は寒すぎて綿の栽培はできないんですよね。
――手内職で製品をつくって、工賃を払われているということですが、ビジネスとして成立しているんですか?
渡邊:成り立っています。オーガニックコットンの製品だけではなくて、着物地の小物とかも作っているんですが、数珠袋を毎月500個くらいつくって宗教法人に卸したり、社員が1万人ほどいる給食会社では、社員のお誕生日にグランマたちのつくったトートバックなどをプレゼントとして活用していただいています。
――東日本大震災の発生から6年が経ち、支援をうたった現地製品の売上などはやはり時間が経つにつれ厳しくなっていると聞きます。そんな中で、東北グランマがビジネスとして成立している秘訣はどこにあるのでしょうか。
渡邊:ものづくりの母体があったことだと思います。プロのデザイナーをつけて、プロの目で品質管理をして、製品化も値付けも販売もシビアにやりました。
「これを買うことが被災地の支援になるから買ってください」だけでは、やっぱり1年で終わってしまうと思うんです。私たちはプロの仕事として、お金を取れるかどうかをシビアに考えてやっています。
――PRISTINEの製品も、オーガニックコットンだからというのではなくて、デザインがおしゃれだし、肌触りもとてもいいですもんね。
渡邊:お金を取るものを、プロの意識でつくっていますから。お金は共通言語なんですよ。
社会問題をビジネスの手法で解決する人を、社会起業家といいますよね。私もいつからか社会起業家と呼んでいただけるようになりました。社会起業家の名に恥じないよう、ビジネスとしてきちんと利益を生み出しながら、社会課題を解決するものとして、オーガニックコットンの啓発・普及にこれからも尽力していきたいと思います。
渡邊智惠子(わたなべ ちえこ)*1952年北海道生まれ。1975年株式会社タスコジャパン入社。1983年同取締役副社長に就任。1985年株式会社アバンティ設立、代表取締役就任。2000年NPO法人日本オーガニックコットン協会(JOCA)を設立、副理事長就任。国内外問わずオーガニック・コットンの啓蒙普及活動に携わる。2008年「第26回毎日ファッション大賞」大賞受賞。2009年経済産業省「ソーシャルビジネス55選」に選出。日経ウーマン主催ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010総合7位受賞。同年、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に取り上げられる。2011年一般社団法人小諸エコビレッジ設立、代表理事就任。2014年一般社団法人わくわくのびのびえこども塾設立、代表理事就任。2016年 ラジオ番組「22世紀に残すもの」パーソナリティとして始動。2016年 一般財団法人森から海へ設立、代表理事就任。2017年 一般財団法人22世紀に残すもの設立、評議員就任。
【撮影:長谷川博一】