拡大フェーズの混乱と代表の交代を迎えて
――拡大フェーズを迎え、創業期とはまた違うさまざまな問題が起きてきたのですね。
三輪:それに追い討ちをかけるように、2014年、アツが早稲田大学を卒業し、ロンドン大学のに留学することに決まりました。彼としてはイギリスにもうひとつ拠点をつくり、そこで世界中の仲間を集めてe-Educationの活動をさらに広げたいと考えていたんですが、そうは言いつつ、やはりその状態で代表を務めるのは厳しいし、e-Educationも次のフェーズに移行しなければならない、ということで、代表を交代することにしたんです。
このときのいちばん大きな問題は、e-Educationがどこを目指しているのか、誰も語れない状態になってしまっていたことでした。私はもともとあまりNOと言わない人間で、AとBという選択肢があったら、どちらかを選んでどちらかを捨てるのではなく、AもBも両方できる方法を考える、というやり方でこれまで生きてきました。極端に言えばなにかをやめる、捨てる、ということをしてこなかった人間なんですが、アツから私へ代表を交代したとき、誰もが私に決断を期待していることを感じていました。つまり、「プロジェクトを切ってください。国を絞ってください」ということですね。
2014年11月、私もすごく悩んでいたのですが、「3年後のe-Educationの姿をみんなで一緒に考えよう」ということで、海外で活動するメンバーも含めて、これまででいちばん大きな会議を開きました。3年後e-Educationがこうなっていたらいい、と思い描く姿をみんなに出してもらったんですが、そうすると、やはり国を絞って活動を展開しているイメージが多かったんです。「これだけは本当にやれる。絶対に世界に広がる」というモデルをつくりたいという思いを誰もが持っていた。
止めになったのは、インドネシアで活動していた学生の言葉でした。「もし開人さんが、インドネシアでの活動を止めると決めたのであれば、僕はその決定に従います」と。現地でがんばっているのに、せっかく始めた活動を止めるなんて絶対嫌だろうなと思ったんですが、僕以上に現地の学生たちが腹をくくってくれていたんです。たぶん、日本にいた僕以上に限界も感じていたんだと思います。
それで、みんながこれだけ覚悟を決めてくれている中で、私だけが決断をしないわけにはいかないと思って、国を絞ることと、学生も前ほどは採用を増やさないこと、このふたつを決めました。やることというより、やらないことを決めた。これが、代表を交代してから一番の大きな変化だったんじゃないかと思います。