子どもたちが主体的に学べる居場所を
大人が描く理想像が子どもを苦しめる
奥地さんが22年間務めた公立小学校の教師の仕事を辞め、雑居ビルの一室を借りて東京シューレを始めたのは、1985年のことだった。それぞれの理由で、学校に行けない、あるいは行かない子どもたち。当時は「登校拒否」と呼ばれていた。
「学校へ行かないのは怠けだとか病気だとか言われて。学校へ行ける子がまともで、行けない子はどこかおかしい。そんな考え方が社会にあって、学校へ行かない子も、その親も苦しんでいました」
そんな中で奥地さん自身も不登校に悩むことになる。
「1978年に長男が不登校をしたんです。実は当時は私も、不登校は“治す”ものだと思っていました。子どもは学校へ行かなければならないと信じていたんですね。でも、ある児童精神科医との出会いがきっかけで、いかに自分が学校を絶対視する価値観に染まっていたのかに気づかされました。ありのままの子どもを、受け入れてあげられていなかったんですよね」
ほとんどすべての親、あるいは大人は、無意識に子どもの「あるべき姿」を決めつけている。理想の子ども像を描き、子どもをそこに近づけることが大人の役割だと思っていると、奥地さんは自身の反省を踏まえて指摘する。
「そんな理想像なんて大人が勝手につくったものでしかなくて、子どもたちのニーズとは違う場合も多い。なのに『みんなそうできているのに、なんでこの子だけ』と、大人たちも必死になる。そうすると、子どもは健気だから、親や先生の期待に応えなければと思って、もう必死になったり、理想の子どもを演じたりしますよね」
だが、それが自分の望むものと違ったり、合っていないと、子どもたちは非常に苦しい思いをすることになる。親や先生の期待に応えられなくなったとき、「自分はだめな子だ」と罪悪感や自己否定感に苛まれ、その苦しみが不登校や暴力といったかたちで表れてくることさえある。
「毎日学校に行って、しっかり勉強していい点数をとって、なるべくいい学校に進学してっていう生き方を目指すことが、大人も子どもも常識みたいになっていますよね。そうじゃなくて、その子にはその子の個性があることを認め、その子が生き生きするにはどうしたらいいのか考えるのが、ほんとうの教育なんじゃないでしょうか」
その気づきから、東京シューレに先駆けて1984年に誕生したのが、「登校拒否を考える会」、通称「親の会」。
「当時は『親の育て方が悪いから子どもが不登校になるんだ』なんて言われて、子どもばかりでなく親も辛い思いをしていたんです。そうした悩みを持つ親同士が支え合い、子どもに対する理解を深め、受け止めるための会をつくったんです」