「地元から出ていた人間」の強みを生かして
津波到達地点に植樹された桜の若木
僕らみたいな思いを、もう誰にもしてほしくない
陸前高田市の津波の犠牲者は1,735人。震災関連死を含めると2,199人にもなる。こんなにも多くの住民が津波の犠牲になってしまったことが悔しいと、岡本さんは言う。
「ぜったいもっと少なくてすんだと思うんです。1,100年くらい前に今回と同規模の津波が来ていたっていうことが、震災後の地質調査でわかったんですけど、それをこの町の人たちが知っていたらと思うと、本当に悔しくて」
明治三陸津波、昭和三陸津波の記録は、石碑として市内数か所に残されていた。だが、それが町の人たちの生きた知識にはなっていなかった。岩手県大槌町のコラボ・スクールに通う吉田くんと同じ後悔がつのった。
「石碑がだめとは言わないですけど、今後どう伝えていくのか考えることは、残された人間の責務だと思うんです。僕らみたいな思いを、もう誰にもしてほしくない。もし今後似たような災害が起きて、また大勢の人が亡くなるようなことがあったら、僕らの震災の経験がなにひとつ役に立っていないことになる。それだけは何としても避けたいんです」
スイスの再保険会社スイス・リーが2013年9月に発表したレポート「自然災害の脅威にさらされる都市のグローバルランキング」で、東京は「自然災害の影響を受ける人々が多い、世界で最も危険な都市」第一位と、非常に自然災害のリスクの高い都市とされた。
「世界的に見ると、日本はちょっと怖くなるくらい災害が多いんですよ、地震やら台風やら。日本に住んでいると、年に数回起きる災害なんて、割とふつうのことだと思ってしまうけれど、そのリスクをちゃんと意識するべきだと思うんです」
耐震や治水の技術がどんなに進んでも、災害自体をゼロにすることはできない。災害が起こること自体はどうしようもないならば、いかに自分たちが受ける被害を減らす努力をするか。その普及・啓発のために、講演で全国各地に赴いている。
「咳をしたら手で押さえるじゃないですか。それと同じように、災害があったらこう対応する、ということが、一種の常識のようなレベルで身についていれば、日本の災害による死者って、限りなくゼロに近づけると思うんです」
桜ラインの活動には、様々な願いが込められている。津波到達地点に並ぶ桜の木は、震災の象徴であるとともに、記憶を風化させないための仕掛けでもあるのだ。
(第三回「住民の、住民による、住民のためのまちづくりをめざして」へ続く)
岡本翔馬(おかもと しょうま)*1983年、岩手県陸前高田市高田町生まれ。仙台の大学を卒業後、東京で就職。震災を機に陸前高田へUターンすると同時に一般社団法人SAVE TAKATAを立ち上げる。その後NPO法人桜ライン311を立ち上げ、現在は代表を務める。
【取材・構成:熊谷哲(PHP総研)】
【写真:shu tokonami】