何としてでも、復興を成し遂げる
南相馬ソーラー・アグリパークでの体験学習の様子
原発事故の加害者の側として
2011年3月11日、あの大地震によって津波が、そして福島第一原発の事故が起き、半谷さんの故郷に襲いかかった。
「東京電力の執行役員を務めた身ですから、今度の大震災で起きた原子力災害について、私は加害者の側の人間です。ほんとうにお詫びのしようもない責任があります」
地元出身者として被害者であると同時に、加害者でもあるという厳しい境遇。それでも、半谷さんは、すぐさま支援に向かうことを決断する。
「どういうふうに迎え入れられるか、正直不安はありました。だけど、それが不安だから行かない、行けないということは、やっぱりありませんでした。事故は許されないことだと思いますし」
津波と原発事故で混乱する故郷へ、みずから向かっての支援。まさか東京電力の役員であったことを隠すわけにもいかない。
「冷たい視線を感じたことも、正直言えばあります。でも、それ以上に、祖父母や両親の生き様のようなものが勇気を与えてくれたというか、地域社会で築いてきてくれた信頼に助けられました」
それでも、東京電力にいたという思いが重くのしかかっているのだろう。南相馬で復興事業に取り組む半谷さんの姿には、防げなかった原子力災害への贖罪の意識がにじむ。
「原子力災害による風評被害を払拭して、農業も工業も観光も、本来の評価を取り戻せたときにこそ福島は復興したと言えます。ものすごく時間がかかりますが、それを支えていくのは、長期的に復興を担っていける人材。そのために私ができることはといえば、体験学習を通した子どもたちの成長への支援なんです」
何としても復興を成し遂げる。そのために、地域に貢献できる手立てを。半谷さんの揺るぎない覚悟が、周囲を動かし、理解と協力を呼び込んでいくことになる。