憲法は社会の変化にどう応えるべきか グランドデザインを展望する(後編)
新型コロナウイルスの感染拡大、新しい国際秩序に向けた世界の動き、デジタル化、人権問題など、さまざまな問題を背景にして今般、PHP「憲法」研究会が発表した提言報告書『憲法論3.0 令和の時代のこの国のかたち』(以下、『憲法論3.0』)。
憲法改正の是非ばかりではなく、こうした社会の変化にいかに応えるべきか、具体的な論点は何か、社会や政治はどのように動いていくべきか、『憲法論3.0』で登載した論考に込めた思いや考えについて、2回に分けて執筆陣が会し、議論しました。
本稿は、第1回目前編に続く座談会の後編。曽我部、上田、大屋の3氏に、「自分以外の論考の面白かったところ、読みどころ」「これからの憲法論の課題、期待される議論」「読者へのメッセージ」を語っていただきました。
1.自分以外の論考の面白かったところ、読みどころは?
■デジタル社会における「個人」「社会」への配慮と「国家の役割」の重視
曽我部 各論考はさまざまな角度から論じられていますが、シンクロしている点が少なからずありました。まず、宍戸さん、山本さん、大屋さんは比較的、現実の政策形成に近い所におられることもあり、それぞれのご経験をふまえて理論的な考察をされていました。今回書かれたことは、現実政策への影響力があると思いました。
このうち、宍戸論考、山本論考は、デジタル時代の憲法論を包括的に論じており、言わば対になっています。憲法論を宍戸論考は統治の観点から論じ、山本論考は人権の観点から論じています。それらのモチーフとして、技術としてはAI、組織としては巨大プラットフォームがあります。各論考の中では、個人の自律とか法の支配といった、憲法の基本原理をどう守っていくのか、あるいは、どう適用させていくのかが論じられ、共感するところがありました。
個別には、2つ挙げたいと思います。1つは、宍戸さんも山本さんも、「国家の役割」を非常に強調しているという点です。たとえば、宍戸さんは、立憲主義は権力を制限するだけではなく、国家権力を構成しつつ制限するという両面性を強調されていますが、これには共感するところ大です。
2014年の集団的自衛権に関する政府解釈の変更の際に、これは立憲主義に反するという批判がなされ、立憲主義という言葉が割と流行りました。その時は権力をライオンに喩え檻の中に入れるというイメージが強調されましたけれども、それは立憲主義に対する見方としては一面的であるように思うわけです。
それから、山本さんは、プラットフォーマーの権力が強まる中、国家の役割を改めて強調しています。そこは国家の役割を強調するという点で宍戸さんとも共通しており、賛同するところです。
もう1つは、山本さんの「表現の自由論」ですね。表現の自由は特に、今まで国家が介入すべきでないとされてきた領域ですが、情報空間が変容していく中で、国家の一定の役割、環境整備的な部分ですね、それは表現の内容に介入して言論をコントロールするとかいう話ではありませんが、インフォメーションヘルスと表現されるような「健全な空間」の確保、環境整備において、国家の役割が重要だと述べています。この表現の自由論に関しては、国家の役割を強調しており、ある種のパラダイム転換を求めるものですので、注目されるところです。
大屋さんの地方自治についても勉強になりました。地方自治については理想と現実の落差が非常に大きい。地方自治は、理念的にも重要とされていますし、憲法でも「地方自治の本旨」(憲法92条)が挙げられており、理念としてものすごく訴求力を持っています。
その一方で、社会が複雑化していく中で、地方自治は現実への対応能力が充分でないし、リソースも充分でない。今後の人口減少社会においては、その状況がより一層際立っていくでしょう。理想と現実の落差が大きい中で、どのようにあるべき地方自治の姿をデザインしていくのかを模索された論考だと思いました。
最終的には、人的資源と権限が水平連携、垂直補完を通じて柔軟に移行することを前提とし、さらに、その範囲を拡大調整して適切な資源を確保するというアプローチを支持されているものとして拝読したところです。
その場合、たとえば、情報システムだとか行政管理系の法制度は、できるだけ統一しておくのが連携上も望ましいと考えられます。今般、個人情報保護法が一元化されて、いわゆる「2000個問題」1 が解決に向かっており、今後もこの方向が推し進められるべきでしょう。要するに、政策面では地方分権のいろいろな試みがあってもいいと思いますが、インフラとかOSに喩えられるような部分については、共通化していく方が、政策面での分権はやり易くなるのではないかと感じました。
上田論考については、『統治構造改革1.5&2.0』で重要なアジェンダとされた、90年代の統治構造改革の検証を引き継いだものと思います。『憲法論3.0』になってもこのアジェンダが無くなるわけでは全くありませんので、引き続き重要な点を指摘していただいたものと思います。折しも、令和臨調が立ち上がり、この憲法研究会のメンバーからも3人ほど参加しています。上田論考はそこでの議論に非常に貢献するだろうと思います。
上田論考に関して1つだけ総括的な点を申し上げると、最後で指摘されているインフォーマルな統治構造の弊害を指摘している所は非常に共感を覚えました。不透明な、インフォーマルな政策形成プロセスというのは、そこにアクセスできる利益集団を利することになります。また、その剥き出しの利益が政治に反映されることを助長します。ですから、そこにアクセスできないマイノリティが取り残されるという、先ほど指摘した問題構造とリンクするご指摘だと思います。
上田 宍戸さん、山本さん、それから曽我部さんの前半部分の論考は、まさに情報化、デジタル化という社会変化の中で、人間や社会のあり方をどう考え直していたら良いのかを論じられています。それにはやはり、国家の役割が重要になるでしょう。特にGAFAのようなものをコントロールしていく国家の役割の重要性を3人とも共通認識として持っておられ、その上で、それぞれの切り口で論じられていました。
宍戸さんの論考で印象的だったのは、昔から国家は、個人の尊重を基本にしながら組み立てていく役割を持ってきたけれども、デジタル化社会の中で「デジタル現存在配慮」という言葉が入り、国家は、それにどう配慮していくべきかと論じられている点です。
山本さんの論考では、人権の切り口が中心ではあるけれど、従来型のものではなく、ある種のルールを新たに求めていく要素を組み込んで人権を構成していこうではないかいうことを論じられていて、憲法論としても非常に重要な問題提起をされています。
曽我部さんの論考で印象的だったのは、個人の尊重、それはマイノリティも尊重する社会を日本国憲法は理想としているはずだし、また、そういう方向に向かっていくべきだという想いを根底から持たれている点です。これを理想論だけでなく、統治構造に落とし込んでいくための仕組みとして、賢人会議、独立機関、それから請願権を挙げられています。請願権は従来からの仕組みを現代的にバージョンアップして活用していくことを具体的に提示されています。
政治が開かれていなければならないという理念は、私の論考にも入れているつもりですが、メインの統治過程は多数決により多数者が中心で進んでいくところがあります。そこで、こぼれ落ちる声を選挙以外の仕組みで、統治機構のプロセスに上げることを具体的に提案されている所は非常に大事で、今日的なご指摘だと感じました。
大屋さんの論文は、地方自治を扱っており極めて重要なテーマですが、従来、憲法学者は地方自治をあまり論じておらず、抜けているパーツをきちんと補ってくださるかたちになっています。
具体的に印象的だった点は、地方の問題は、人口が少ない地域=過疎の問題と見てしまいがちですがそうではなく、大都市近郊でも起こっており抜け落ちている問題であることを指摘いただいた点です。多様な人口規模の自治体があることを前提にして、水平連携や垂直補完で地域課題を柔軟に解決していく方向性を示しています。これは、従来、「地方分権が正義だ」みたいな所があったけれども、それでは実際に解決しない問題の存在を鋭くご指摘いただいたものと思います。
大屋 割と上手い役割分担みたいなものが暗黙の裡にあったように、論考全体がまとまっていると思います。宍戸さんと山本さんの話は、デジタル時代に対応した仏の作り方、つまり、統治機構のあるべき姿の話ですよね。統治機構の作り方として、こういう事に配慮しなきゃいけないですよね、そのためにはこんな権利が必要ですよねということをきちんと提言しておられる。
特に、Society5.0という、規範的個人像と現実的個人像が乖離していく現実の所で、憲法は現実の個人に対してきちんと配慮しなければならない。彼らをきちんとした秩序に掬い取っていくために「現存在配慮」を考えていくべきだ、ということを提言されています。ある意味で、近代的なモデルとは違う話に踏み込んででも、あるべき社会の姿を構想しようという、非常に価値のあるお話だと思いました。
その一方で、「仏を作ったら魂が入るか?」という問題は、これまで繰り返し言われてきました。特に重要なのは、宍戸さん、山本さんが言及しておられるが、プラットフォーマーが非常に重要になってきているということです。国家が一定の権利や法規制を作ったところで、それに実効性があるのかと言うと、プラットフォーマーを直に監視して強制することはなかなか難しく、現実的には媒介者たるプラットフォーマーにいろいろなものを期待せざるを得ないとも述べています。
この「魂の入れ方」、その実効性あらしめるためにどうすれば良いのかに結構、力を入れて論じられているのが曽我部さんの後半部分だとか、仏作って魂入れなかっただろうコラッっという話を上田さんがしておられる。ウエストミンスターの仏の姿だけ描いても、魂が入らなかったのです。その魂を作っているのはむしろ、具体的な規制や法制度なのですという話が強調されているように思います。
論考全体として、仏の姿に当たる部分の話が浮ついていると言っているわけではなく、デジタル社会に対応した統治機構のあり方という地に足の着いた話だけれど、その地に足の着いた話のさらにその下にきちんと着地させる、足の裏がちゃんと地面に立ってワークするような土台を作る仕事がありますよねという話です。新しい時代が来たのだから、新たな法律が必要だと言っているわけではないのです。それは、ワークするために必要な道具とは何かという話として、論考全体をまとめることができるように思いますね。
それから、これは残された課題だと思いますが、プラットフォーマーに何とかしてもらうしかないというのは、割と通説的な見解として定着しています。問題は、なぜ彼らにそのようなことをさせる正統性、legitimacyがあるのかという点については、多分に空白なわけです。何となく支配的だからとか、何となく巨大だからみたいな話で留まっています。
デジタル社会における現行の法規制が、かつての福祉国家と同様に、社会的な必要性から成立してしまって、その正当化理論の構築はこれからという話だろうと思います。福祉国家についてそれを試みたのが、1971年のジョン・ロールズの『正義論』だったわけですが、要するに、そういう形でなぜ、プラットフォーマーに対して一定の特別な規範を負わせるのか、その根拠は何なのかという話に今後、展開していかなければならないと思います。
曽我部 先ほど大屋さんがプラットフォームに規範を負わせる際の根拠について指摘されましたが、これは私もちょっと気になっている所です。欧米の議論を見ていると、「デジタル立憲主義」という議論があり、その中の1つに、プラットフォームに立憲主義を適用するというような事を言っている大きな流派があるようです。
これは、大屋さんが仰った点と直接関わりますが、どういう根拠で立憲主義の義務を負わせるのかは非常に疑問です。プラットフォーム事業者は私企業なので結局、影響力があるということ以外に義務を負わせる根拠があまりないですね。こういう議論は、大屋さんがご指摘された、そもそも論が踏まえられていないものとして議論しなければならない点だと思います。
2.これからの憲法論の課題、期待される議論は何ですか?
■現代にふさわしいグランドデザインを展望する議論を
曽我部 今後に期待したいことは2つあります。1つは訴訟ですね。クラウドファンディングで資金を集めて公共訴訟を支援するというものがあります。その代表的なものがCALL42 という日本で初めての「社会課題の解決を目指す訴訟」の支援に特化したウェブプラットフォームです。そこでは、公共訴訟を支援していくことと世の中に向けた問題提起、アドボカシー的なことをやっています。
CALL4では、研究者を巻き込んでいますし、法学者だけでなく様々な分野の専門家が訴訟で提出するための意見書を書いて、それをネット上で公開しています。その意味では、先ほどのアゴラと言いますか、議論の場がきちんとした証拠、訴訟書類に基づいて議論できるフォーラムになってきています。こういう動きに注目と期待をしています。
もう1つは、令和臨調です。今後、どうなるか全然分かりませんが、あれだけ大掛かりに始まったものですから頑張っていただきたいですね。そこは大屋さんが先ほどから仰っている制度エンジニアリングの話、上からと言うか、机上で制度設計してみたけれども上手くいかないということに陥らないためにはどうしたらいいかを、同時に考えなければいけません。
結局、試行錯誤を続けるしかないでしょう。節目に1回大きな改革をすればお終いということではなく、プロセスとして見ていかないといけません。結果に合わせて修正し改革を続けることを、最初から考えて議論しなければならないと思います。
上田 先頃、参議院の憲法審査会で「参議院の選挙制度」と題して、投票価値の平等について申し上げてきました。令和臨調でも多分、1つのテーマになると思いますが、参議院をどうするかは具体的な課題です。
たとえば、今回の憲法研究会の提言報告書でも、宍戸さんは国・地方関係の延長で、参議院に地方の府としての機能を持たせるというアイデアを提示しておられますし、それと同じ方向でいくと、大屋さんは垂直連携が大事であるという1つの方向性を示しておられます。そうすると、都道府県は重要な役割を担ってくるはずで、都道府県のあり方をもう1回考え直す。その延長で都道府県代表として国政に意見を反映する仕組みとしての参議院を考えるという方向性も考えられます。
あるいは、全く違う方向性として、曽我部さんが強調していらっしゃるマイノリティ、いろいろなバックグラウンドを持った方の声を国政に上げる仕組み、それは請願権などのいろいろなツールも大事ですが、もしかしたら、選び方を工夫することでマイノリティの方が参議院に入れるようにできるかもしれません。現に、れいわ新撰組のように、特定枠という拘束名簿式の選挙制度を利用して、政党のアイデアで、重度障害者の方が参議院に入られた例もあります。そうではない別のやり方、いろいろなバックグラウンドを持った方が入れるような選挙制度、参議院のあり方を考える方向性もあると思います。今後の議論の1つのきっかけになればと考えています。
大屋 集権と分権の間や関係のようなことがコロナ禍ですごく問われました。それに地方自治の観点からどう応えるかについては、総務省の第32次、第33次「地方制度調査会」や「デジタル時代の地方自治のあり方に関する研究会」の中でも議論されてきました。そこでは端的に言うと、自治体をまとめてしまえば良いという答えは上手くいかないということが見えています。一方で、独立していれば良いということでもない。やはり、レジリエンスというか、必要な時に必要な規模の連携ができるようにしましょう、という原則的なことが確認されたわけです。
では、それをどうやってやるのか?がまさに重要なわけです。その「どうやって」の中に、やはり、システムの標準化とか、整合性の保持、総合運用性の拡張が必要だという認識が広がってきました。それを物語る一例が、個人情報保護条例の2000個問題の立法的解決や自治体システム標準化でした。そういう形で、自治体の相互運用性、規格統一は確保しましょうという話が行われてきました。
この動きの中に、国政レベルではデジタル庁の発足が位置づけられ、What to do(なにをなすべきか?)は住民自治の重要な部分だが、How to do(その際にどのような手法を採るか)はそうではないのではないかという話を共有できる環境が整ってきたように思います。たとえば、婚姻届や住民票の請求用紙に個性や独自性は要らないだろう、という話をみんなが考えるようになってきたことは大きな変化だと思います。
ただ、これが「地方自治の問題ですよね」で片付けられてしまっている面がある。総務省が地方自治をやっておけば良いという感じになっているところに若干の不服はあります。本来、地方自治の事務をどう編成していくのかは、国のガバナンスで非常に重要な要素のはずです。だから、国レベルにおいて重要な関心を持って地方自治に取り組んで欲しいんだけどなぁ、憲法に位置づけて欲しいんだけどなぁと思うところはありますね。
これが非常に難しいのは結局、地方の声を統一して届けようという気運は、実は地方側にはあまりなく、全国知事会で活動される知事も、率直な問題として東京、大阪、京都の知事さんではありません。地方の声を形作る機関が、マイナーな人口規模の小さい自治体が中心になってしまい、自らの声を出せる大規模な都道府県の知事さんはむしろ、国政の中でトリックスター的に行動されてしまうという問題も生じている。だから、ある意味、地方側の自治は国政レベルで非常に大きな課題になっているというのは、個人的には強く思いますね。
亀井 いろいろな課題に対して、私たちの社会がずっとやってきた癖として、仏とかハコとか、枠組みや制度の方にしかみんな目が向かなかったという反省は忘れてはなりません。枠組みや制度だけでうまくいくほど、政治や行政は簡単なものではないのですから。
これは、先ほどのデザイン思考の話にも通じます。何をデザインして、その先にどういう社会をもたらすかがないまま、個別のタマを出そうみたいな議論になってもいけません。そういうところに対するアンチテーゼとして、現代にふさわしいグランドデザインを展望した『憲法論3.0』があるように思います。やはり、「魂を入れてこなかったよね。でも、仏も大事だよね」というところの行き来を繰り返さないと、社会にアウトプットもアウトカムも、ひいてはインパクトも出すことができないのではないでしょうか。
今日のお話を伺いながら、それぞれの分野で丁寧な議論が行われなければならない。そして、実際にやってみてどうだったのか。その結果を踏まえ、また改善して動いていくことが必要だと思います。ある種の設計主義に陥ると、これは大変なことになるだろうということを改めて実感したところです。
3.最後に、読者へのメッセージをお願いします
■国民一人ひとりが関心を持ち憲法論に関わり続けることが大事
曽我部 1つめは、憲法は9条とか、緊急事態とかといったある意味でおどろおどろしい話ばかりではなくて、多様な人びとがそれぞれ、「自分らしく生きることができる基盤」に係わるものだということを広く知っていただきたいですね。2つは、今日の対談でも幾度と出てきた「グランドデザイン」ということですね。憲法は、みんなに関わるものだということ。そうであるからこそ、皆さんも関心を持って、関わっていっていただきたいということをお伝えしたいと思います。
上田 憲法典を変える、変えないというのは、大屋さんの比喩をお借りすれば仏を作るということが、大事なのは魂を入れることだと思います。形が変わらずとも、魂の込め方、中身を議論し、考え続けること自体にすごく意味があるし、それがどこかのタイミングで形にも繋がっていくと思います。憲法改正を巡る一般の議論とは真逆のアプローチかもしれませんが、そういう論じ方が憲法についてもできることをこの報告書で感じてもらえたら嬉しいですね。
大屋 私が一番強調したいのは結局、法律は1つのプロセスだということです。立法を投げ込んだら社会にリアクションが起きるわけで、それをモニターして、改革するなり何なりしなければならない。一旦作ってしまえば終わりで、その通り社会が動くというものではないのです。
だから、法律は生き物で継続したプロセスなのです。最近、アジャイルガバナンスという言葉が流行っていますが、この一番の教訓はモニターするということだと思います。何が社会に起きているかを調べ、知らなければ、きちんとした改革に結びつけることはできない。そうした魂の込め方を、法哲学者である私が話しているのは何なのかと思う人もいるでしょうが、実は、立法とモニターの両面が揃わないと、法律は何もできないということを物語っているのです。
亀井 同感です。あいかわらず、〇〇分野に〇億円といった投入額の大きさばかりを競い合う政治家も多いですが、政策課題にどのような望ましい具体的な変化をもたらすのか、そのために何をすべきかといったインパクト、アウトカム志向を持って政策立案に臨む政治家や官僚も増えてきています。そもそも、社会に応じつつ、ありたい未来をつくる政治の役割はきわめて難しいものですが、そうした難しさを前提に、インテレクチャルな力を駆使して、立案段階でしっかりと仮説を立てながら、一旦社会に投げてみてモニタリングしていく。そして、その反応を見て、必要な改善を加える。そうしたプロセスをしっかりと回していくことが求められます。
私自身、いま、政府内で取り組んでいるアジャイル型政策形成も同じです。こうした考え方、行動の仕方は、憲法も同じなのかもしれません。そもそも憲法課題は、より良い生き方ができる、自己実現ができるようにするために、一人ひとりに必要で密接なものです。それは憲法何条に書き込むという話だけではないということが、今日の話の肝だったと思います。
今日のお話を通じて改めて、『憲法論3.0』の「はじめに」に記した「変えるか/変えないか、といった二元論ではなく、また、政治家や一部の専門家だけに委ねるべきでなく、幅広い国民全体の議論として、分厚い憲法論を興していかねばならない」という言葉のように、地道にきちんと憲法論に向き合っていくことが、とても大事だという思いを強くしました。今日はそれぞれに貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。
※【前編を読む】2022年9月2日掲載