憲法は社会の変化にどう応えるべきか グランドデザインを展望する(後編)
2.これからの憲法論の課題、期待される議論は何ですか?
■現代にふさわしいグランドデザインを展望する議論を
曽我部 今後に期待したいことは2つあります。1つは訴訟ですね。クラウドファンディングで資金を集めて公共訴訟を支援するというものがあります。その代表的なものがCALL42 という日本で初めての「社会課題の解決を目指す訴訟」の支援に特化したウェブプラットフォームです。そこでは、公共訴訟を支援していくことと世の中に向けた問題提起、アドボカシー的なことをやっています。
CALL4では、研究者を巻き込んでいますし、法学者だけでなく様々な分野の専門家が訴訟で提出するための意見書を書いて、それをネット上で公開しています。その意味では、先ほどのアゴラと言いますか、議論の場がきちんとした証拠、訴訟書類に基づいて議論できるフォーラムになってきています。こういう動きに注目と期待をしています。
もう1つは、令和臨調です。今後、どうなるか全然分かりませんが、あれだけ大掛かりに始まったものですから頑張っていただきたいですね。そこは大屋さんが先ほどから仰っている制度エンジニアリングの話、上からと言うか、机上で制度設計してみたけれども上手くいかないということに陥らないためにはどうしたらいいかを、同時に考えなければいけません。
結局、試行錯誤を続けるしかないでしょう。節目に1回大きな改革をすればお終いということではなく、プロセスとして見ていかないといけません。結果に合わせて修正し改革を続けることを、最初から考えて議論しなければならないと思います。
上田 先頃、参議院の憲法審査会で「参議院の選挙制度」と題して、投票価値の平等について申し上げてきました。令和臨調でも多分、1つのテーマになると思いますが、参議院をどうするかは具体的な課題です。
たとえば、今回の憲法研究会の提言報告書でも、宍戸さんは国・地方関係の延長で、参議院に地方の府としての機能を持たせるというアイデアを提示しておられますし、それと同じ方向でいくと、大屋さんは垂直連携が大事であるという1つの方向性を示しておられます。そうすると、都道府県は重要な役割を担ってくるはずで、都道府県のあり方をもう1回考え直す。その延長で都道府県代表として国政に意見を反映する仕組みとしての参議院を考えるという方向性も考えられます。
あるいは、全く違う方向性として、曽我部さんが強調していらっしゃるマイノリティ、いろいろなバックグラウンドを持った方の声を国政に上げる仕組み、それは請願権などのいろいろなツールも大事ですが、もしかしたら、選び方を工夫することでマイノリティの方が参議院に入れるようにできるかもしれません。現に、れいわ新撰組のように、特定枠という拘束名簿式の選挙制度を利用して、政党のアイデアで、重度障害者の方が参議院に入られた例もあります。そうではない別のやり方、いろいろなバックグラウンドを持った方が入れるような選挙制度、参議院のあり方を考える方向性もあると思います。今後の議論の1つのきっかけになればと考えています。
大屋 集権と分権の間や関係のようなことがコロナ禍ですごく問われました。それに地方自治の観点からどう応えるかについては、総務省の第32次、第33次「地方制度調査会」や「デジタル時代の地方自治のあり方に関する研究会」の中でも議論されてきました。そこでは端的に言うと、自治体をまとめてしまえば良いという答えは上手くいかないということが見えています。一方で、独立していれば良いということでもない。やはり、レジリエンスというか、必要な時に必要な規模の連携ができるようにしましょう、という原則的なことが確認されたわけです。
では、それをどうやってやるのか?がまさに重要なわけです。その「どうやって」の中に、やはり、システムの標準化とか、整合性の保持、総合運用性の拡張が必要だという認識が広がってきました。それを物語る一例が、個人情報保護条例の2000個問題の立法的解決や自治体システム標準化でした。そういう形で、自治体の相互運用性、規格統一は確保しましょうという話が行われてきました。
この動きの中に、国政レベルではデジタル庁の発足が位置づけられ、What to do(なにをなすべきか?)は住民自治の重要な部分だが、How to do(その際にどのような手法を採るか)はそうではないのではないかという話を共有できる環境が整ってきたように思います。たとえば、婚姻届や住民票の請求用紙に個性や独自性は要らないだろう、という話をみんなが考えるようになってきたことは大きな変化だと思います。
ただ、これが「地方自治の問題ですよね」で片付けられてしまっている面がある。総務省が地方自治をやっておけば良いという感じになっているところに若干の不服はあります。本来、地方自治の事務をどう編成していくのかは、国のガバナンスで非常に重要な要素のはずです。だから、国レベルにおいて重要な関心を持って地方自治に取り組んで欲しいんだけどなぁ、憲法に位置づけて欲しいんだけどなぁと思うところはありますね。
これが非常に難しいのは結局、地方の声を統一して届けようという気運は、実は地方側にはあまりなく、全国知事会で活動される知事も、率直な問題として東京、大阪、京都の知事さんではありません。地方の声を形作る機関が、マイナーな人口規模の小さい自治体が中心になってしまい、自らの声を出せる大規模な都道府県の知事さんはむしろ、国政の中でトリックスター的に行動されてしまうという問題も生じている。だから、ある意味、地方側の自治は国政レベルで非常に大きな課題になっているというのは、個人的には強く思いますね。
亀井 いろいろな課題に対して、私たちの社会がずっとやってきた癖として、仏とかハコとか、枠組みや制度の方にしかみんな目が向かなかったという反省は忘れてはなりません。枠組みや制度だけでうまくいくほど、政治や行政は簡単なものではないのですから。
これは、先ほどのデザイン思考の話にも通じます。何をデザインして、その先にどういう社会をもたらすかがないまま、個別のタマを出そうみたいな議論になってもいけません。そういうところに対するアンチテーゼとして、現代にふさわしいグランドデザインを展望した『憲法論3.0』があるように思います。やはり、「魂を入れてこなかったよね。でも、仏も大事だよね」というところの行き来を繰り返さないと、社会にアウトプットもアウトカムも、ひいてはインパクトも出すことができないのではないでしょうか。
今日のお話を伺いながら、それぞれの分野で丁寧な議論が行われなければならない。そして、実際にやってみてどうだったのか。その結果を踏まえ、また改善して動いていくことが必要だと思います。ある種の設計主義に陥ると、これは大変なことになるだろうということを改めて実感したところです。