受けたい教育を選べるしくみに

NPO法人東京シューレ 理事長 奥地圭子

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奥地圭子さんのインタビュー第一回はこちら:「子どもたちが主体的に学べる居場所を
 
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子どもたちが安心して学べる社会を
 
 子どもたちの学校外の居場所として始められた東京シューレだが、ほんとうの「居場所」とはなにか、奥地さんも子どもから教えられたという。
 
「場所があって、そこへ自由に来ていいよ、というだけでは『居場所』にはならない。そこにいる自分が、この自分でいいんだ、と思える場所が、ほんとうの『居場所』なんですよね」
 
 学校へ行っていない子どもの多くは、「こんなところにいてはだめだ」「学校へ戻れる子にならなければだめだ」「受験に成功しなければだめだ」という葛藤を抱えたままフリースクールへやってくる。
 
「そんな葛藤で頭がいっぱいの状態でやってきても、どうしても安心できないし、ここにいる自分を認めることができない。それでは苦しいですよね」
 
 親の会ではずっと不登校を肯定的・受容的にとらえ、対応するよう訴えてきたが、世間では否定的な見方が相変わらず根強い。不登校に苦しむようになってから出会った親子に「こう考えましょう」と伝えても、そう簡単にそれまでの価値観を変えることはできない。だったら、そんな価値観が育ってしまう社会のしくみを変えていこうと、奥地さんは考えている。
 
「フリースクールを学校と対等に位置づけ、学校に行く代わりにフリースクールで育つという選択肢もありだし、どこにも通わないで家で学び育つ“ホームエデュケーション”もあり。そうやってその子に合ったいろんなかたちで学びの場を選んでいくことが、社会の中でちゃんと認められれば、自分がだめだとか、ちゃんとした大人になれないといった自己否定感が強くなることはないと思うんです」
 
 自分に合った学びの場を選べる社会のしくみに。そのために奥地さんたちが推進しているのが、「多様な学び保障法」の実現だ。

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多様な学び保障法」がもたらすもの
 
 海外でも公的な学校からフリースクールへ移る子どもがいる。日本と違うのは、「自分はこっちのほうがいい」と、自らの意思で肯定的にフリースクールを選び、堂々としていることだという。この、学校以外を「選べる」ことが重要なのだと、奥地さんは言葉に力を込める
 
「自殺まで思いつめた経験を持つ子はやっぱりいるんです。シューレに来ているのは、幸い自殺まで至らなかった子たちですが。子どもは学校へ行くものだと、本人も周囲も思い込んでいるから、休んでいい、学校に行かなくていいなんて思いもしなかった。だから、こんなにつらいんだったら、もう死んだほうがいい、なんて考えてしまうんですよね」
 
 いじめ被害者の自殺という痛ましい事件が起きるたび、社会では議論が盛り上がり、いじめの防止や早期発見の対策を国や学校側に求めるが、それだけでは足りないと、奥地さんは言う。
 
「いじめがあって苦しいときに、ほかの学びの場も選べたら。そうなるようにしくみを変えることが必要だと思いますね。でないと、いのちが救えない」
 
 さらに、「休む」という選択肢を認めるべきだとも、奥地さんは付け加える。
 
「学校でいじめとか苦しい状況があれば、まずはそこから離れて逃げること。逃げる先はまず家庭になりますよね。だから学校を休む。じゃあフリースクールに、ってなったとしても、そんなにすぐには合うところも見つからないと思うし、一旦休むことが大事です」
 
 苦しんで学校に行けないまでになっている子どもたちは、疲れ切って、人が怖くなっていたり、信頼関係を築けなくなっていたりするものだ。そんな状態で新しい学び場を選ぶことはできない。
 
「休んでいることに焦ってすぐに次を見つけてくる親もいますが、ちょっとがんばっても、回復しきっていないと、またすぐに疲れてしまう。ただ、自分に合う学び場が学校以外にも選べるようになれば、子どもたちもそこまで無理をしなくてもよくなるので、休み方も少なくて済むと思いますね」
 
 一人ひとりの子どもに合った学習権を保障することは、社会全体の力が伸びることにもつながっていくはずだ。また、多様な学び保障法の実現は、現状の社会的な矛盾や親たちが抱えている負担の解決にもつながる。
 
「ひとつは二重籍の問題。学校にもう行きたくない、行けないという事情からフリースクールに通っていても、親が負っている就学義務の関係から、籍は学校にある。実際に通ったのはフリースクールなのに、卒業を認めるのはもとの学校なんですよね。校長に理解があればいいのですが……」
 
 子どもの卒業を認めるよう、フリースクールの関係者から学校の校長に求めに行くこともあり、そのために両者の間に軋轢が生まれることもあった。
 
「さらに、教育にかかる費用の二重払いの問題があります。公的な学校を支えるために税金を払うのはもちろんですが、親はフリースクールの費用も負担しなければなりません。不登校の小中学生が東京シューレに来るんですが、ここを成り立たせるためには運営費がいりますから。法律には“義務教育は無償”と書いてあるのに」
 
 税金とフリースクール費用の二重払いは、不公平感以上に実際の家計の負担が重い。フリースクール側も経営は苦しく、スタッフはほとんどボランティア的に働いている団体が多い。ふたつの矛盾を解決するためにも、フリースクールの公的な認知や財政的な支援は重要だ。

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自ら動けば社会は変えられる
 
 日本の教育のしくみを大きく変える「多様な学び保障法」。国の政策を変えることなどほんとうにできるのか疑問に思う人もいるだろう。だが、これまで実際に東京シューレの運動で勝ち取ってきたものもある。
 
「フリースクールに通うのに通学定期を使えるよう働きかけて、認めてもらったんです」
 
 85年に東京シューレを立ち上げてから、通学定期の認定を求めて運輸省(当時)や文部省(当時)、鉄道機関に何度も足を運んだが、「勝手に学校に行かないでおいて、定期が欲しいとはなにごとだ。だったら学校に行け」ととりつくしまもなかったという。
 
「だけど、92年の文部省(当時)の認識転換のときに、いまならやれるかもしれないと思って、子どもたちと親たちが一緒になって運動しました。全国の人たちに署名をお願いして国会議員さんに持って行ったりしたんです」
 
 それまで文部省は、「登校拒否は子どもの怠けやわがまま、あるいは家庭での親の育て方に原因がある」という認識を示してきたが、92年になって、「登校拒否は必ずしも本人の性格や家庭に問題があるわけではなく、誰にでも起こりうる」と認識の転換を発表したのだ。これは大きな変化だった。
 
「認識転換のいちばん大きな理由は、不登校の子どもが増えたことによって、社会の人々と不登校の子どもたちが出会う機会も増え、理解が広がっていったことだと思います。そんな中で東京シューレの子どもたちが独自に行ったアンケート調査も、反響が大きかったんですよ」
 
 88年の文部省による学校基本調査の結果を見て、東京シューレの子どもたちが自分たちでアンケートをとることを考えたのだ。文部省による調査では、登校拒否の原因の第一は「怠け」だった。
 
「その新聞記事を見た子どもたちが、『自分たちもここに入ってるんだよな。だけど怠けにしてはきついよな』『大人が調べるからそうなるんじゃないか。子どもが調べたら違う結果になりそうだよな』って言い出したんですよ」
 
 全国の親の会やフリースクールと連絡を取り合い、不登校の子どもたちにアンケートを呼びかけた。そして集めた回答は264通。翌89年に発表されたその結果に対する反響は大きかった。
 
「結果を集計した冊子をつくって発表したんですけど、全国から注文が来て、2,000冊くらい売れたんです。不登校の子どもをもつ親からの注文が多かったですね。新聞でも取り上げてくれたりして、そのころから文部省の調査の項目も少しずつ変わっていきました。そして92年の認識転換につながった部分もあると思います」
 
 自分たちで動き、考えを表現していくことで、社会は変わる。そのことは、子どもたちにとって大きな自信となった。

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法案の実現に向けて
 
 「多様な学び保障法」に向けて奥地さんたちが取り組んでいる活動はどんなものだろうか。
 
「3つあるんです。ひとつめは、いまつくっている『実現する会』。先日、実践交流研究集会をやったんですけど、この会を充実させていきたいんです」
 
 法律そのものの内容を検討して、よりいいものを目指す。だが、法案が通ったとき、内容の検討にかかわるためには、社会的な信頼を得ていなければならない。まずはそのために、実践交流研究集会を開き、学びを深めているところだ。
 
「次に、理解者を一般の方々に増やしていくということ。いろんなところで学習会を開いたり、会合は持てなくてもパンフレットを配るとか、ウェブで発信するとか、いろんなかたちで広報に取り組んでいます」
 
 東京シューレの活動に興味をもつ大学生も多く、彼らの協力も理解を広げる大きな力になっている。
 
「最後は、議員に対する働きかけです。議員立法になると思うので、国会の方々に理解していただかないと。議員さんの中にも理解の濃淡がありますが、関心の高い方とのパイプを大事にすることで、ほかの方々にも声をかけていただけるんですよね」
 
 電話やFAXで事務所にフリースクール世界大会などの活動案内を送るといった地道な活動からパイプづくりをはじめ、関心を示した議員にはさまざまなプログラムに参加してもらい、理解を深めて仲間になってもらう。
 
「大変なのは、文科省とか厚労省とのパイプ。大臣も担当者もよく代わって、代わるたびにゼロに戻ってしまうので、苦労しています」
 
 ほんとうに「草の根」という言葉のふさわしい、地道で堅実な活動。それは着実に実を結びつつあると言っていいだろう。

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フリースクールの公教育化を目指して
 
 小さな前進を積み重ね、2007年に東京都葛飾区に特区を活用した「東京シューレ葛飾中学校」が誕生した。
 
「フリースクールの公教育化って言っていますけど、東京シューレのようなやり方が、公教育の中で展開できたらいいなとずっと考えていたんです。二重籍の問題や公的な支援の不在、施設や人材不足を解消し、子どもたちの学ぶ権利を充実させたいと思って」
 
 東京シューレ葛飾中学校は、東京シューレの子ども中心のやり方をとりいれた学校だ。
 
「学校だから、東京シューレと同じにはできない部分もありますが、ほとんど同じようなやり方をしています。子ども中心で、個のあり方を尊重してやっていくっていうところは一緒ですね」
 
 教科ごとの学習の総時間数などは学習指導要領の9割程度と、時間割は一般的な中学校よりもゆったりと組まれている。
 
「不登校を否定的に見るんじゃなくて、必要なら学校と距離をとって休んだほうがいいって考えるのも、家で育つこともできるんだよっていってホームエデュケーションの応援をすることも、シューレと一緒です。スタッフと子どもが対等だということも」
 
 東京シューレおよび東京シューレ葛飾中学校では、学校にいる大人を「先生」とは呼ばず、スタッフと呼んでいる。子どもたちからの呼び方も、「○○さん」だ。
 
「私も『奥地さん』って呼ばれています。校長室っていうのも堅苦しいからって、子どもが上から『奥地ルーム』ってシールをぺたんと貼ってしまって、ずっとそのまま(笑)」
 
 東京シューレとまったく同じではないにせよ、かなり独自性の担保された運営ができているという東京シューレ葛飾中学校。だが、「学校」と名がついたことによって、葛飾中学校に通う子どもの親のほうが、子どもが苦しいときに「休む」という選択を受け止めるのが難しいようだ。「せっかく入った学校に通えないなんて」と、親がおろおろすることも多いという。
 
「休むことに対して子どもに愚痴をいったり怒ったりして。それでますます子どもが苦しくなるでしょう。だから親の学習会や個別面談をやったりして、親の理解を促すにはそうとう努力しています」
 
 そうして一緒に学んでいくと、親も変わっていくという。そうすることで子どもが元気になっていくのが、なによりの説得材料だ。

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不登校の子を持つ親の方へ
 
 奥地さんが目指しているのは、受けたい教育を子どもや親が選べる社会だ。
 
「いまある学校のしくみは、枠が固すぎる。いろんな子どもがいるんだから、教育も合わせて多様になってほしいんです。学校の中身を多様にするだけでなく、やっぱり学校外の枠組みをつくらなくてはいけないと思います」
 
 いまある学校のしくみをやわらかく多様化しつつ、フリースクールやホームエデュケーションを学校と対等な教育の場として共存させ、それぞれの子どもに合ったものを選べる社会に。学校の枠組みの柔軟化とオルタナティブな教育機関の充実に、両方から働きかけている。
 
「単一な教育のあり方しかないんじゃなくて、いろいろあって選べるほうが、豊かで強い社会になれると思うんです」
 
 最後に、いま不登校の子どもをもつ親の方へのメッセージをうかがった。
 
「苦しいときには、親の責任や役割を果たそうという観念からちょっと距離を置いたほうがいいと思います。子どもが学校へ行かなかったり、勉強に力が入らなかったりすることに親が責任を感じていると、子どもはプレッシャーに感じてますます苦しみます。描いたあるべき理想の姿に子どもをあてはめようとするんじゃなくて、ありのままの子どもを受け入れて、子どもとともに、やっていってください。ほんとうに困ったら、親の会に来てくださいね。きっと力になれると思います」
 
 
 
奥地圭子(おくちけいこ)*1941年東京生まれ、広島育ち。横浜国立大学卒業後、22年にわたり公立小学校の教師を務める。1984年に「登校拒否を考える会」通称「親の会」を立ち上げ、翌1985年に教師を退職、東京シューレを立ち上げる。
 
【取材・構成:亀田徹(PHP総研)】
【写真:shu tokonami】

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