受けたい教育を選べるしくみに
自ら動けば社会は変えられる
日本の教育のしくみを大きく変える「多様な学び保障法」。国の政策を変えることなどほんとうにできるのか疑問に思う人もいるだろう。だが、これまで実際に東京シューレの運動で勝ち取ってきたものもある。
「フリースクールに通うのに通学定期を使えるよう働きかけて、認めてもらったんです」
85年に東京シューレを立ち上げてから、通学定期の認定を求めて運輸省(当時)や文部省(当時)、鉄道機関に何度も足を運んだが、「勝手に学校に行かないでおいて、定期が欲しいとはなにごとだ。だったら学校に行け」ととりつくしまもなかったという。
「だけど、92年の文部省(当時)の認識転換のときに、いまならやれるかもしれないと思って、子どもたちと親たちが一緒になって運動しました。全国の人たちに署名をお願いして国会議員さんに持って行ったりしたんです」
それまで文部省は、「登校拒否は子どもの怠けやわがまま、あるいは家庭での親の育て方に原因がある」という認識を示してきたが、92年になって、「登校拒否は必ずしも本人の性格や家庭に問題があるわけではなく、誰にでも起こりうる」と認識の転換を発表したのだ。これは大きな変化だった。
「認識転換のいちばん大きな理由は、不登校の子どもが増えたことによって、社会の人々と不登校の子どもたちが出会う機会も増え、理解が広がっていったことだと思います。そんな中で東京シューレの子どもたちが独自に行ったアンケート調査も、反響が大きかったんですよ」
88年の文部省による学校基本調査の結果を見て、東京シューレの子どもたちが自分たちでアンケートをとることを考えたのだ。文部省による調査では、登校拒否の原因の第一は「怠け」だった。
「その新聞記事を見た子どもたちが、『自分たちもここに入ってるんだよな。だけど怠けにしてはきついよな』『大人が調べるからそうなるんじゃないか。子どもが調べたら違う結果になりそうだよな』って言い出したんですよ」
全国の親の会やフリースクールと連絡を取り合い、不登校の子どもたちにアンケートを呼びかけた。そして集めた回答は264通。翌89年に発表されたその結果に対する反響は大きかった。
「結果を集計した冊子をつくって発表したんですけど、全国から注文が来て、2,000冊くらい売れたんです。不登校の子どもをもつ親からの注文が多かったですね。新聞でも取り上げてくれたりして、そのころから文部省の調査の項目も少しずつ変わっていきました。そして92年の認識転換につながった部分もあると思います」
自分たちで動き、考えを表現していくことで、社会は変わる。そのことは、子どもたちにとって大きな自信となった。