いまこそ「グローバル言論人」を輩出せよ

大岩 央(政策シンクタンクPHP総研プログラム・オフィサー)

本稿は『Voice』2023年2月号に掲載されたものです。

人類の未来を左右するグローバルリスクが顕在化するなか、求められているのは移行期を理解し、とるべき行動を指し示す新たなナラティブだ。危機の時代において日本がナラティブ・パワーを発揮するための課題と具体的施策を考える

なぜいま、ナラティブか

2016年は、節目の年だった。米国ではトランプ大統領が誕生し、大西洋をへだてた英国では、国民投票の結果、ブレグジットが決定された。その4年後の2020年、世界は新型コロナウイルスによるパンデミックという大災厄に見舞われ、さらに2022年にはロシア・ウクライナ戦争が勃発した。これらの出来事は衝撃をもって受け止められたが、実際には以前から水面下で広く、深く進行していた分断や社会の矛盾が、この数年のうちに一挙に表出したに過ぎない。

30年前、ソ連の崩壊とともに人類は資本主義と民主主義を携えて、平らかな発展の道を邁進していくと思われた。1992年にフランシス・フクヤマが著わした『歴史の終わり』という書籍が(著者本人の意図とは多少異なるかたちで)広く受け入れられたのは象徴的だ。資本主義と民主主義の勝利というナラティブ(物語・語り)は、次なるパラダイムを告げる大いなる説得力をもっていた。

しかし、四半世紀以上の月日を経たいま、パンデミックやロシア・ウクライナ戦争は、現在の世界がいかに多くの矛盾や問題を抱えた脆いものであるかを、われわれにあらためて痛感させた。さらに、世界では格差やポピュリズム、気候変動など現代文明の行き詰まりが、ますます明らかになっている。

こうした世界情勢の不安定化・流動化を背景に、ナラティブが国際政治においてあらためて重要視されるようになっている。ナラティブの定義は論者によって異なり、しばしば言説(discourse)やストーリー(story)などの言葉と同義で使われることもある。しかし多くの場合、相手を説得し行動変容させる点、また時間・因果関係が存在することが重要視されている点が共通している。

ナラティブという概念は、従来は主に文芸批評や歴史学などの分野で用いられてきたが、近年、新興国の台頭など世界秩序の変化やテロとの戦い、リーマンショックなどの政治・経済的危機が起きるなかで、外交・安全保障・経済・政治などの分野でも重要視する向きが高まってきた。国際政治が不安定であるとき、人びとは物語の語りを求める(ロナルド・クレブス)からだ。

また、このような状況と歩を一にして、ナラティブをめぐる国家間競争が激化している現実にも目を向ける必要がある。ロシア・ウクライナ戦争は例外として、近年では兵器を使った大規模な熱戦は少なくなり、代わりにナラティブを駆使した情報戦、認知戦が全世界的に展開されることとなった。スマートフォンやSNSの普及などナラティブ流通における構造的変化が、フェイクニュースやフィルター・バブルなどの社会問題を引き起こしていることも見逃せない。

こうした構造変化が、ナラティブの両面性――結束を生む力と対立を引き起こす力――を新たなかたちで露わにしつつあるなか、自由民主体制が、自己批判をも含めた開かれたナラティブの場をどのように保持し、公正かつ優れたパフォーマンスを示せるかどうかが、あらためて問われていると言えるだろう。

力弱さが際立つ日本のナラティブ

世界が転形期を迎え、人類の未来を左右するグローバルなリスクが顕在化するなかで、移行期を理解し、とるべき行動を指し示す新たなナラティブが求められている。西洋近代の行き詰まりが明らかになったいま、西洋文明を吸収しながらも、欧米型とは異なる発展を遂げてきた日本だからこそ発信できるナラティブがあるはずだ。

そうした問題意識から、PHP総研では筆者を中心に「日本のナラティブ・パワー研究会」を起ち上げ、さまざまな角度から議論を重ねてきた。本研究会の提言報告書は近日中に公開予定だが、本稿ではその中核的内容を紹介することにしたい。

パンデミックへの対応や気候変動、新たな平和的秩序の構築などの世界的課題(グローバル・アジェンダ)に対しては、国際会議などさまざまな場で議論が交わされ、一定の方向づけがなされているが、こうした国際的な言論の場で日本発のナラティブが存在感を示してきたとは言い難い。

危機対応でも日本のナラティブの力弱さは際立っている。2019年から2020年にかけて起きた「ゴーン・ショック」はその象徴的な例だ。日産自動車の元会長であるカルロス・ゴーン氏は、金融商品取引法違反などで起訴され、保釈中に国外逃亡。その後、氏は持ち前の語学力やネットワークを活かして英語・フランス語など多言語でメディア出演や会見を行ない、みずからの正当性を訴え続けた。日本の司法制度が「人質司法」として海外メディアで大きく報じられ、国際的な非難を巻き起こしたことは記憶に新しい。海外有力紙なども軒並み日本の司法制度を糾弾する記事や論説を掲載し、ゴーン氏が発するナラティブが国際世論を席巻した。

日本政府も遅ればせながら法務大臣が記者会見を開くなどして対応したが、会見での大臣の失言なども重なり、日本のナラティブがゴーン氏のナラティブに対抗できるまでには至らなかった。日本の司法制度がはらむ問題を早急に改善すべきなのは明らかとしても、あまりに日本側の言い分が伝わらなかったのは、平時におけるナラティブ・パワーの欠如が影響しているとも言えよう。また、ゴーン氏に対抗するナラティブの語り手が不在であったという点でも、象徴的な出来事であった。

「質」という観点から見えてくる課題

本稿では日本のナラティブ・パワーにとっての重要課題を「ナラティブの質」と「ナラティブを発する主体」の2点に分けて論じたい。「ナラティブの質」という観点からまず指摘したいのは、日本の対外発信におけるグローバル・アジェンダへの知的貢献の弱さである。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された時代と異なり、アジアにおいても中国を筆頭に発言力を増す国が現われ、日本の存在感は相対的に低下している。昨年、英ブランド・ファイナンス社が発表した国家の「ソフトパワー・ランキング2022年版」では、中国が前年の8位から大きく順位を上げ、世界順位4位、アジアでは日本を抑えて1位となった。

国際情勢が大きく変化しているにもかかわらず、日本の特殊性を強調するだけで注目された時代のマインドセットを引きずっているのではないか。一方で、日本社会が長年育んできた知的蓄積や知見を過小評価し、日本からナラティブを発信することすら諦めてしまう向きもしばしば見られる。日本語で培われてきた豊かな知的蓄積を過剰評価も過小評価もすることなく、冷静に認識することが肝要だ。

これから日本が世界でナラティブ・パワーを発揮するには、グローバル・アジェンダへの貢献が必要不可欠だ。カギとなるのは「unique solution for global issues」(グローバルな問題に対する独自の解決法)だ。ダボス会議などの国際的言論の場において、日本人はえてして自国中心に語りがちと指摘されるが、それでは国外のオーディエンスに響くナラティブは編み出せない。「世界が直面する課題はこのようなものであり、日本はそれに対してどう貢献できるか」といった、世界を起点にしたマインドセットへの転換が求められる。

グローバル・アジェンダへの貢献に留まらず、日本から新たな「問い」を世界に投げかけるという姿勢も重要である。現代世界は、さまざまな問題が同時に発生し、互いに影響しあう「システムの相互連結性」(クラウス・シュワブ)という点で特徴づけられる。先が予測できない時代に、日本の知や経験に根差した問いを世界に投げかけ、新たな価値観や知の枠組みを提示していくことこそが、真にパワフルなナラティブのあり方だろう。

また、質という観点からは、ナラティブの「チューニング不足」も大きな課題である。言うまでもなく、国によってコミュニケーションスタイルは大きく異なる。同じテーマを扱っていても、フレーズや論理の組み立て方によって、波及先は大きく変わる。記事、論説や書籍といったメディアにおいても、日本で流通しているコンテンツの内容をそのまま翻訳するだけでは、広く受け入れられるナラティブにはならない。しかし、現状においてこうした課題が十分に認識されているとは言い難い。

日本発「グローバル言論人」の不在

次に、「ナラティブを発する主体」という観点から指摘したいのが、日本発「グローバル言論人」の不在である。ナラティブ(narrative)は多くの場合「語り手」(narrator)と対になっている。プラトンが『国家』で詩人の追放を訴えたことはあまりに有名だが、人びとに影響をもたらすナラティブはしばしば、その語り手の名とともに人口に膾炙する。現代においても、ポール・クルーグマン氏やユヴァル・ノア・ハラリ氏など、世界の論壇をリードし、その発言が耳目を集める知識人は世界に相当数存在する。

しかし、残念ながら「グローバル言論人」と称しうる日本人人材の層は厚いとは言えない。日本国内では高度な議論が活発に交わされており、また個別の学会・業界で国境をまたいで意欲的に活躍する有為の人物は存在する。日本語という障壁があるにもかかわらず、優れた業績を残している彼ら彼女らは手放しで称賛されるべきだ。

とはいえ、一部の例外を除き、そうした人材が海外で一般的に広く知名度を得ているわけではない。ダボス会議、シャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)などの重要な国際会議で毎年大きな存在感を発揮する、あるいは海外主要メディアに継続的に登場する、などの大きな影響力をもつグローバル言論人の層が厚いかと問われれば、自信をもって首を縦に振ることは難しい。

かつて、19世紀末から20世紀初頭にかけて『茶の本』や『代表的日本人』など、グローバルなオーディエンスに向けた優れた日本論・日本文化論が、立て続けに世に出た時代があった。当時の日本は日露戦争に勝利するなどライジング・パワーとして世界の耳目を集めており、東洋の新興国への異国趣味的な興味も手伝って日本論・日本文化論が広く受け入れられる素地があった。しかしその後、鈴木大拙など一部の例外を除き、世界水準の波及力をもつ日本文化論は展開されておらず、それを語るグローバル言論人も不在のままである。

日本から世界の言論空間で自由闊達に議論し、力強く問題提起するグローバル言論人を輩出することは、日本のナラティブ・パワーを左右する最重要課題だと言える。

状況を打開する3つの施策

グローバル言論人を輩出するために必要な施策は無数にあるが、本稿では「有為の人材の長期的視点での育成支援」「ナラティブ流通のプラットフォームの創出・強化」「政府の役割」の3点を指摘したい。

(1)有為の人材の長期的視点での育成支援

これまでも、政府や各種財団などを通じて、有為の個人への公的・私的な助成は行なわれてきた。これらはグローバル言論人の揺籃に一定程度貢献している。しかし、単年度の短期的な助成であったり、世界の知識産業においてスケールアウトさせるプロデューサー的な視点が不足していたりと、グローバル言論人の輩出において十分なものであるとは言えない。

世界の課題を一人称で語れる見識・経験とともに、人としての魅力や周囲を動かす熱意、それを伝えうる技量を持ち合わせた人材を見出し、継続的に国際的な舞台で「場数」を踏む機会を提供するなどして、長期的にサポートしていくことが必要だ。

(2)ナラティブ流通のプラットフォームの創出・強化

国際政治学者のイアン・ブレマー氏、歴史学者のニーアル・ファーガソン氏など、自国以外でも活躍している知識人に多く共通するのは、自身のナラティブを継続的に流通させるための「仕組み」を有しているということだ。ブレマー、ファーガソン両氏はともに企業の代表やディレクターを務め、自身や自社を広く知らしめるためのPRパーソンを擁している。日本人では、1980年代から海外でも名前を知られた大前研一氏は当時マッキンゼー・アンド・カンパニーの日本支社長であり、米国本社の経営幹部でもあった。大前氏本人の資質についてはもちろん、マッキンゼーというグローバルコンサルティングファームが大前氏のナラティブ流通に一役買っていた面にも着目すべきであろう。

才能あるグローバル言論人候補が手持ちの「仕組み」を駆使できるならそれにこしたことはないが、それを前提にはできない。みずからの仕組みをもたない才能を世界に橋渡しできるプラットフォームを創出することが望ましい。プラットフォームが担うべきは、具体的には「優れた才能や世界にとって価値あるナラティブの発掘・スカウト」「メッセージのチューニング支援」「世界のナラティブ・コミュニティへのアクセス確保」などの機能である。

The Japan Times、NHK国際放送など、海外発信を行なう日本メディアは、プラットフォームとして重要な役割を果たしうるであろう。NetflixやTEDx、Googleなど、グローバルプラットフォームとの協働も大きなインパクトをもちうる。さまざまな助成プログラムや賞などを主催する各種財団やシンクタンクなどもアクターの一つとして考えられるだろう。各メディア企業、シンクタンク、財団などが、みずから日本からグローバル言論人を輩出する気概をもち、互いに連携してインパクトを最大化することが求められる。

(3)政府の役割

政府は政策領域におけるナラティブの主要な担い手であると同時に、広く日本のナラティブを流通させるための支援者の役割も担いうる。ナラティブの流通面においては、市場原理でカバーできない部分を政府が後押しし、援護射撃をすることでグローバル言論人の輩出を促すことが肝要だ。それは国際貢献にもつながり、総合的に日本という国の影響力を増進させるだろう。世界水準の民間ナラティブと国内外で切磋琢磨することで、政府のナラティブもより力強いものとなるはずである。

政府はこうした視座に立ち、グローバル言論人候補に機会を提供することはもちろんのこと、彼ら彼女らを支える人材――国際的なプロモーター、プロデューサー、キュレーターなど――の育成支援や知的交流事業の実施、ナラティブの海外展開に対する金銭面での支援優遇、関連情報やノウハウの共有支援など、日本の民間ナラティブを世界に接続するにあたってのボトルネックを解消する施策を倍加させることが期待される。

こうした施策の多くは複数の省庁の領域にまたがっており、また1年単位で成果が出るものではない。現状でも官邸国際広報室を中心に、テーマごと、対象国・地域ごとの国際広報方針を定めているが、より中長期的に日本のナラティブ・パワーを強化することに特化して横串を通す仕組みをつくり、大胆な発想と資源投入で単年度主義と省庁縦割りを乗り越えることが望ましい。

「ゴールデンイヤー」の好機を見逃すな

折しも、2023年5月にはG7首脳会議が広島で開催され、日・ASEAN50周年の節目ともなる。とくに2025年に開かれる大阪・関西万博は、約6カ月間に渡り海外からの訪日客やメディアが訪れる。さらに同年には、第9回TICAD(アフリカ開発会議)も日本で開催される。このような国際的なメガイベントは、世界中から日本に注目が集まる、またとない機会である。

2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックは、当初日本のナラティブ・パワーを強化する好機として大きな期待を集めていた。しかし、コロナ禍の影響で日本への渡航やメディア取材が制限された影響は大きく、期待したほどの成果が得られなかったのは日本にとって不運だった。また、その後の東京オリパラをめぐる醜聞については、遺憾としか言いようがない。大阪・関西万博が同じ轍を踏まないよう他山の石とし、その教訓を2025年へ活かすべきだろう。

「アフター・コロナ」に初めて開催される万博として、開催国の日本から世界へさまざまな問いを投げかける意義は大きい。

1970年に開催された大阪万博では、梅棹忠夫、小松左京ら民間知識人たちがみずから「万国博を考える会」を起ち上げ、万博を「知的国際協同作業」の場たらしめようとした。残念ながら70年の大阪万博では「知的国際協同作業」の実現はかなわなかったが、2025年の大阪・関西万博がたんなる大型展示会、国威発揚の一過性イベントに終始することがないよう、「万博を契機に、万博を超える」ことが求められている。

テクノロジーと調和した社会のあり方や、少子高齢化などの「課題先進国」としての知見、サステナビリティ時代に即した生活哲学、米国型資本主義とは異なる日本型資本主義の可能性など、日本から世界に問いかけるべきナラティブは無数に存在する。そもそも日本人自身、みずからの文化や「深層的価値」(佐伯啓思)について深く理解し、言語化できているわけではない。世界のナラティブとの対話や応答を重ねることで、人類史やグローバルな視野から日本を捉え直すことも可能になる。それにより、日本文化はさらに奥深く豊かなものになるだろう。

米国、ロシア、インド、インドネシア、台湾で重要国政選挙が行なわれる2024年をはさむ2023年から2025年までの3年間を、日本のナラティブ・パワーにとってのゴールデンイヤーと位置づけ、志ある主体が力強い実践を展開することを期待したい。

※無断転載禁止

>>特集の内容はこちら(『世界を変える「日本の知」―『Voice』2023年2月号特集―』)でご確認いただけます。

大岩 央/政策シンクタンクPHP総研プログラム・オフィサー
2008年、大阪大学文学部卒業。同年、PHP研究所入社。雑誌編集部、書籍出版部を経て2021年より現職。2022年4月より、政府広報アドバイザーを務める。副編集長を務めたPHP新書編集部で「世界の知性」シリーズを創刊。同シリーズは日本国内のみならず、中・韓・台など各国で翻訳されている。