制度と現場の全体像を知る強みを活かした貢献
――10年の活動を経て、課題に対する社会の認識や状況も変わり、Living in Peaceも転換期を迎えている様子がよく分かりました。
最後に、社会的養護については、子どもの利益の最大化のためにいろいろ考えていくということになるかと思いますが、慎さんは、幸せのために必要な条件とはなんだと思われますか。なにをもって幸せと感じるかは人それぞれだとは思いますが、最低限これは絶対要るでしょう、というもの。たとえば、安心とか安全とか選択肢があることとか、Living in Peaceで掲げられている機会の平等とか。
慎:生きていることですね。死んでしまったら、幸せという認識そのものができませんから。あとは考える力。幸せだなと感じられるくらいの、頭の状態であること。
幸せというのは自分の内的な世界において抱かれる感覚ですよね。外的な状況によって決まるものである限りは、変わったり失われたりする可能性がありますから。
安全や安心、お金や選択肢といったものもそうです。それらがないと幸せになれないのであれば、いつ失ってしまうんだろう、いつ不幸になってしまうんだろうとびくびくしながら生きなければいけなくなります。そんな人が幸せになれるわけがない。
機会の平等に関しては、私自身はそれがあることが幸せなことだと思ってはいますが、機会の平等がないと幸せになれないのであれば、やっぱりこれも違う。私にとって機会の平等は、幸せの絶対条件などではなくて、個人的な好き嫌いに近いもので、機会の平等がある世界のほうが私は好きなんです。
だから、幸せに関して言うと、生きてさえいれば、本当は幸せになれるはずだと個人的には思っていて、ほかには何もないですね。
ただ、そう思えるためにはいろんな紆余曲折を経なければならないと思っています。いろんなことを経験してみて、「ああそうか、前提条件なんて何も要らないんだな」と思えるまでには、けっこう時間がかかるんじゃないかなと。
ゲーテの『ファウスト』という作品がありますが、万能の天才ファウストは、メフィストテレスという悪魔の手によって、世界中のありとあらゆる享楽を経験します。その結果、その人なりの幸せのかたちというか、これが最高であるというものを見つける。その過程は必要だと思うんです。
生まれてすぐに、「何もなくても幸せです」なんて言っている子がいたら、ちょっと変じゃないですか。ある程度いろんなものを見たり聞いたりして、「ああ、そうか」と気づく日が来るはずで、そこに至るまでの経験は必要だと思います。
これって、別に私が考えたことではなくて、お釈迦様が2,000年以上前に言っていることなんですよね。仏陀というのは、本当にすごい人ですね。結局、すべてのものは変わっていってしまうのだから、外的なものによって幸せと不幸せが決まるのであれば、一生恐れを失うことはできないと。人間が人間である限りそうなので、心が落ち着いてハッピーだと思える状態を得るためには、何かに寄りかかっていてはだめなんだと。
ただ、仏陀も王子様として生まれ育って、その環境を捨てて苦行もしてといういろんな経験をしたから、そう思えるようになったんだと思うんです。彼が元王子様じゃなかったら、違うことを言っていたかもしれないという気はします。
話は尽きませんが、そんな感じです。
――本日はありがとうございました。
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慎 泰俊(しん てじゅん)*1981年生まれ。朝鮮大学校(政治経済学部法律学科)、早稲田大学大学院(ファイナンス研究科)卒業後、2006年からモルガン・スタンレー・キャピタルなどを経て、2014年に五常・アンド・カンパニーを創業。現在に至る。