被災地支援の現場から防災へ
4、おしゃれな防災、おもしろい防災
――助けあいジャパンには、どのくらいいらしたんですか?
田中:福島県に滞在していたのは1年くらいです。その後の半年ほどの間に、助けあいジャパンの中でもフェーズが変わっていって、被災支援から防災に力を入れようという方向になっていきました。私もせっかくの現場での支援経験を活かそうということで、防災のほうに移って活動に取り組み始めました。
ただ、団体としてやるべきことは、私がやりたかったこととは違っていました。私がやりたかったのは、民間に防災意識を広めることだったり、生活の中ですぐに役立つ防災だったのですが、公益社団法人だったので、内閣府によってカテゴライズされた範囲の中で活動しなければならなかった。それはもちろんとても重要なことなんですが、私がやりたい防災とは違っていたので、団体の活動は仕事としてきちんとやりながら、プライベートで仲間たちを集めて、おしゃれな防災、おもしろい防災、自分がやりたいと思える防災ということを考え始めたのが、「防災ガール」の始まりです。
――最初の仲間たちというのは、やはりどんな方々だったんですか?
田中:復興支援仲間です。仲間たちもみんな、震災が起きた年は学生だったけれども、翌年には社会人になって東北まで行く時間もなかなかとれなくなったりしていたので、「いまいる場所でできることはないのか」って、もやもやし始めていたタイミングだったんです。
「防災ガール」の活動は、災害が起きる前の普及啓発がメインなので、現地に行けなくても、インターネットさえあれば、どこででもできる。それはみんなの「やりたいけれど、やれない」というもやもやを解消するには、ちょうどよかったみたいです。一気にメンバーが集まりました。
――防災ガールを法人化する際に、NPOではなく一般社団法人を選ばれたのには、なにか理由があるのでしょうか。
田中:2013年8月から2年ほど任意団体として活動して、2015年3月11日に一般社団法人になったのですが、どの法人格にするかは、すごく迷いました。
どの法人格でも活動しやすい空気は年々できてきているのですが、防災業界は古くから活躍されている方が多いので、その方々とライバルにはなりたくなかったんです。株式会社にすると、「営利目的でやっているんだろう」と嫌がられることになると思ったので、一般社団法人かNPOにしようと。
その中で、これは「復興支援あるある」なんですが、震災を機に立ち上げられたNPOは、事業が回るようになった段階で、経営を乗っ取られるということが実は多かったんです。そこで、そういう制度が成り立たない一般社団法人にしようと。消去法ですね。
NPOは会員を選ぶことはできないと法律で決められています。株式会社で言えば株主にあたる人を選べない。会員になりたいという人は、誰でも受け入れなければならないんですね。さらに、NPOでは代表よりも会員の権利が重いので、代表の意見に反対する人が会員に増えてしまうと、代表のやりたい活動は続けられなくなってしまうんです。
なので、NPOのほうが助成金をとりやすいという面はあるのですが、助成金の獲得よりも、自分たちが本当にやりたい防災をやり続けられる団体にしたいと思って、一般社団法人にしたんです。
(第三回「社会課題の解決が加速する社会を目指して」に続く)
田中 美咲(たなか みさき)*1988年奈良県生まれ、横浜育ち。2011年、立命館大学卒業後、株式会社サイバーエージェント入社。ソーシャルゲームの制作を手掛ける傍ら、東日本大震災の被災地支援に携わる。2012年に同社を退社し、公益社団法人助けあいジャパン入社。福島県で支援事業に従事。2013年に防災に関する普及啓発を行う任意団体「防災ガール」設立。2015年に法人化し、代表に就任。現在に至る。
【写真:長谷川博一】