被災地支援の現場から防災へ

一般社団法人 防災ガール 代表 田中美咲 (聞き手:PHP総研 山田花菜)

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3、どこに避難していても地元の情報を受け取れる仕組み
 
――甚大な被害を受けた岩手・宮城・福島の中で、福島県を選ばれたのには、何か理由があったのですか?
 
田中:大きく分けて二つ理由があります。
 
 ひとつは、私自身の実感としても、メディアの報道を見ていても、現地の仲間たちから話を聞いても、福島がいちばん復興が滞っていたことです。岩手と宮城は、「やるしかない」というか、「みんなでがんばろう」という雰囲気になっていたのですが、福島はそこまでいけていなかった。津波被害にあったという点では岩手や宮城も同じだったのですが、福島ではそれに加えて原発の問題があったので、直接津波被害を受けていなくても、危険区域や警戒区域に指定されたり、避難先が近隣自治体ではなくて、遠く離れた都道府県だったりしたので、全然知らない土地で、違う文化の中で避難生活を送ることに対するストレスがあるなど、ほかの2県とは違う問題を抱えていたんです。それを見て、この課題を解決しなければいけないと思ったことがひとつめの理由です。
 
 もうひとつは、タイミングです。「助けあいジャパン」は、岩手・宮城ではすでに支援事業に取り組んでいたんですが、福島県からの助成事業の進捗や放射線量の問題などで、福島県への支援はまだスタートしていませんでした。ようやく福島県庁の協力を得て事業を始められることになったタイミングで、私が事業責任者として現地に行ったというかたちになります。
 
――福島ではどのような活動をされていたのですか?
 
田中:福島では、県の広報課からお仕事をいただいて、情報発信に取り組みました。福島県では県外に避難する方が非常に多かったんですが、地元を離れてしまうと情報が全然入ってこなくなるという課題がありました。いちばん人気のある新聞が全国紙ではなくてその地域でしか購読できない地元紙だったり、生活に密着した情報になればなるほど、回覧板とか地元のチラシ、公民館の掲示板といったもので情報共有がされていたりしたので。
 そうした状況を受けて、どこに避難していても、地元の情報がちゃんと受け取れるような仕組みをつくるというお仕事を、福島県からいただいたんです。そこで、auさん、docomoさん、Softbankさんと連携して、避難している全世帯にタブレット端末を配って、福島県・沿岸部8市町村の広報課からもらった情報をわかりやすく編集して流すという、電子回覧板のような仕組みをつくりました。
 
――情報を翻訳して、「伝わりやすく」「取り入れやすく」発信するという防災ガールの活動につながる取り組みですね。
 
田中:そうですね。土木作業やがれき処理といったボランティアは、体力的にも限界があると思ったので、それよりも自分の強みを生かした支援のほうが、ずっと続けられるなと思って。そうしたら、デザインとか、クリエイティブとか、情報の整理とか、わかりやすく伝えるといったものが、ちょうど現場のニーズとしてあったので、やらせていただいたという感じです。

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