「共感×解決策」の掛け算で社会を変える
――鵜尾さんがそうしたNPOの活動を拡大する必要性や、ファンドレイジングの重要性に気がつかれたきっかけはなんですか?
鵜尾:私が最初にこの話に関心を持ち始めたのは、20代前半の頃でした。1994年当時、私は外務省に出向していて、タンザニアに出張していました。外務省で調査団を組織してタンザニアに行き、日本の成長や発展の歴史を振り返りながら、日本がODAでタンザニアを支援した成果などを報告するシンポジウムを開いたんですが、そのコーディネーターを務めていたんです。
日本からは名だたる学者さんや経済界の重鎮をお連れして、タンザニアからも政府の高官が出席していたんですが、一通りプレゼンテーションが終わって質疑応答の段で、こんな質問が出たんです。「非西欧社会で初めて先進国になって経済発展を実現した日本社会は、次になにを目指すんですか?」と。この質問に、日本側の誰も答えられなかったんです。そのときから、日本はこれからなにで世界に貢献するのかな、ということを考えるようになりました。
私は、もともと国際協力を行うJICAで働いていたんですが、94年頃のJICAの年間予算は1,800億円くらいでした。一方、当時日本でいちばん規模が大きいNGOの年間予算は2億円。1,800対2。ものすごい規模の開きがあるんですけど、当時の私はNGOというのはそんなものだと思っていたんです。
ところが、JICAのコーディネーターとして途上国の現場へ行くと、たとえばアメリカからケア・インターナショナルやワールド・ビジョンといったNGOが来ているんですが、彼らは「年間予算は800億円なんですけど」とか言うわけです。800億円!?みたいな。
アメリカでも、国際協力や援助を政府のお金を使ってやるUSAID(米国国際開発庁)という組織があるんですが、彼らにはものすごい緊張感があるんですよ。彼らの年間予算は1,500億円くらいだったんですが、すぐ傍らには800億円とか600億円とかの予算をもったNGOが控えている。「うかうかしてるとやられるぞ」と。組織内で誰かが「こんなイノベイティブなことをやりましょうよ」と提案しても、そんなのうちでやる必要ない、なんて言っていたら、NGOがさっさとやってしまうかもしれない。政府のほうも、USAIDがもたもたしていたら、「それじゃあ予算の20%をこちらのNGOに回します」みたいなことができる。だから、いい意味で緊張感があるんです。
アメリカのそうした社会を見て、社会サービスには競合があるんだということを知った。そのことにすごく衝撃を受けたんですが、日本に視線を戻すと、NPOやNGOの予算規模は当時は大きくても2億円とか。あとは5,000万円とか3,000万円とか。それでも国内では相当大きい団体なんです。「あれ?」と思って国内を見渡してみると、国際協力の分野だけではなくて、環境や福祉といった分野でも、みんな行政がやっている。NPOもないわけじゃないんだけど、小さくて、ボランタリーな感じで、もちろん意義ある活動をしてはいるんですが、緊張感のある協働関係みたいなところまではいっていない。
90年くらいまでは、それでうまくいっていたんですよね。だけど、もうそれでは回らなくなってきたので、どうすればいい緊張感が生まれて、いい社会システムになって、現場の課題がイノベイティブに解決していって、行政もそれを追いかけていくような社会になるかと考えたときに、必要なものはマネジメントだと思ったんです。NPOは経営力があまりにもないと。
それで、99年に中小企業診断士という資格を取りました。当時はNPOマネジメントを勉強するところがなかったし、MBAもなかったので、コンサルティングの資格である中小企業診断士の勉強をして、NPOの経営改善をやろうと思って。
29歳の頃に資格を取って、NPOのお手伝いをしていたんですが、やっていて気づいたんですよ。いくら経営改善をやっても、お金が続かなかったら、優秀なスタッフから辞めていくんです。すごくいい事務局長がいて、しっかりした人事制度をつくって、マネジメントの仕組みをつくっても、「結婚するので辞めます」と。「家族のこともあるから、これからの人生を考えてサラリーマンになります」と。
それを目の前で見て、やっぱりお金に向き合わないといけないと思ったんです。お金のことは気にしないほうが格好いいような気がしていたんだけど、やっぱり誰かがお金に向き合わないとだめだな、と思うようになったのが、30代になった頃。それでアメリカに行って、ファンドレイジングについていろんなことを学んで、やっぱりこれだなと確信して帰ってきて、いまに至るという感じです。