仕事と社会をつないで、忘れていた熱さと志を取り戻す「留職」プログラム

NPO法人クロスフィールズ 代表 小沼大地

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「変える人」No.20は、ユニークな人材育成プログラムを展開しているNPO法人「クロスフィールズ」代表の小沼大地氏をご紹介します。
 
――クロスフィールズが手掛けている「留職」プログラム。2012年のパナソニックを皮切りに、名だたる大企業が続々と導入していると伺っています。どのような取り組みなのでしょうか。
 
小沼:“留職”は私たちの造語なのですが、日本企業の方々が新興国、とくにアジアの新興国に数ヶ月間にわたって赴任し、そこで現地のNGOと一緒に課題解決に取り組むという、青年海外協力隊のビジネス版のようなものです。企業の力を使って途上国に貢献すると同時に、日本企業にとっては人材育成と、新しいマーケット開拓として現地の事情を探ったり土台を構築したりする一助になる、win-winの仕組みだと考えています。
 
――人材と一緒に、寄付金やその企業の製品や技術といったものも現地に提供されるのですか?
 
小沼:資金を送ることはありません。企業の資材やプロダクトを持って行くということもないですね。技術に関しても、その企業から特定技術を提供するわけではなく、赴任するその個人がそれまでの仕事の中で培ってきたスキルや経験といったものを活かして現地の課題解決に貢献するというかたちです。
 
 ただし、青年海外協力隊と違って在職のまま赴任するので、ケースにもよりますが、日本にいるほかの社員を巻き込んだ取り組みになっていくこともあります。たとえば、ある食品メーカーの研究者の方がインドネシアに行かれて現地NGOとともに農作物の新たな加工方法を考えていたんですが、現地には十分な実験設備がなく、困ってしまった。そこで、日本にいる同僚の方々とやり取りをし、設備の整った日本のラボで研究してデータを送り返すといったサポート体制を組まれていました。
 
 こういったことは個人だけではできないことなので、まさに会社の力を使って現地に貢献するということになります。しかし、基本的には、その人が一人で、裸一貫で闘ってくる、そういうプログラムです。

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留職先候補団体を訪問するプロジェクトマネージャー(写真提供:クロスフィールズ)

――留職プログラムの過程で、クロスフィールズはどのような役割を果たしているのですか?
 
小沼:プログラム全体のコーディネートをさせていただいています。
 
 たとえば、ある企業さんから3人を留職に派遣しましょうということになったら、留職者を面接などで選定した上で、様々な留職先の団体とコミュニケーションを取りながら、誰をどこに派遣するかということを決めていきます。その上で、事前研修を行ったり、現地での業務が上手く進んで留職者の成長も担保できるように留職者の「伴走」をしていきます。
 
 現地業務が始まるタイミングでは、現地へ同行したりもします。そして、最終的には留職の経験が本業にどう生きるかを棚卸しする研修まで実施させていただきます。
 
――留職先を探すのも大変そうですね。
 
小沼:単純に人を受け入れたいという団体を探すのはそれなりにできるのですが、たとえば「エンジニアで35歳、これまで音響機器の開発や整備に携わってきました」という人を活かせる受け入れ先はどこかという視点で探すのは、やっぱり難しいです。その人がもっとも力を発揮できるところはどこだろうと探して、たとえば超音波を活用した活動をしているインドの医療系のNGOにたどり着いて、「こんな人がいるんですが」と話を持ちかけてマッチングして、というように取り組んでいるのですが、こうしたマッチングができるのが、僕らの強みだと考えています。
 
――そのリサーチはどうやって行っているのですか?
 
小沼:皆で頑張ってやっております(笑)。もともとクロスフィールズには国際協力に強いバックグラウンドを持つメンバーが集まっていることもあり、皆で手分けしてアジアの10か国ほどに出張したりしながら、これまで4年間、現地でのネットワークを開拓し続けてきました。いまでは数百団体とのネットワークを構築できていますし、今後はインドに駐在スタッフを常駐させることも予定しています。まだまだ発展途上ですが、留職する本人にも現地にもwinのあるマッチングを目指して、日々努力を重ねています。

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(写真提供:クロスフィールズ)

――これまでの実績では、留職されたのは30代の方が多いようですね。
 
小沼:そうですね、入社5年目から15年目くらいの方に参加していただくことが多いです。マネージャーの一歩手前くらい、これから管理職などの役職に就いていくポジションの方ですね。
 
 逆に新入社員とか、入社から1、2年目の方の留職は、あまり受けていません。理由は、このプログラムは現地に貢献できることが前提となっているからです。現地への貢献という観点から、主な派遣者は入社5~15年目くらいの、技術でも営業でも、何かしらの専門性を身につけている人材です。現地に貢献することで人は育つし、人が育つくらいの経験だからこそ現地への貢献にもなれる、と僕らは考えています。
 
――活動開始以来、人材育成プログラムとして高く評価され、現在では20社ほどが導入しているということですが、大手メーカーが多いような印象を受けます。
 
小沼:最初の事例がパナソニックさんだったこともあり、留職プログラムの提供開始当初はたしかにメーカーからのお問い合わせが多かったですね。ですが、最近ではそうでもなくなってきていて、リクルートさん、博報堂さんといったサービス系の企業でも導入していただいています。決して、ものづくりの技術を持っていないと参加できないプログラムということではありません。
 
 本当にありがたいことに、いまのところ、一度導入してくださった企業のほとんどがリピーターになってくださっています。留職の意義や効果に半信半疑だった場合でも、実際にやってみると、「確実にここに未来がある」と感じてくださる企業が多いということだと思います。
 
――留職プログラムの導入のきっかけは、クロスフィールズと企業、どちらからのアプローチが多いですか?
 
小沼:電話でアポイントメントをとって、留職プログラムを売り込みに行く、というような営業活動は一切やったことがありません。そういうことはやっても全く反応がないと思っていて、NPOっぽいといえばNPOっぽいアプローチをしています。
 
 講演をしたり、メディアに取り上げていただいたりする中で、「こんなビジョンを実現したい」「こんな活動をしていきたい」ということを表現して、それに共感してくださった方が企業の人事部に掛け合ってくださったり、というケースが多いんです。そうやって活動伝道師のような役割を担ってくださる方を、クロスフィールズでは“チャンピオン”と呼んでいます。チャンピオンには「優勝者」という意味のほかに、「ある考えを擁護する」とか「ともに闘う闘士」という意味があるんです。
 
 そうしたクロスフィールズのビジョンに賛同してくださるチャンピオンの皆さんに、ある種営業マンになっていただくようなかたちで活動しているという感じです。

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――そもそも、留職事業を考案したきっかけをお伺いできますか?
 
小沼:いまから8年ほど前、大学院進学と同時に青年海外協力隊でシリアに行ったんですが、2年ほど現地で活動してから帰国したら、久しぶりに会った大学時代の友人たちと会話が合わなくなっていたんです。
 
 僕は以前にも増して熱い想いを持って帰ってきたんですが、先に就職した友人たちはすごく冷めていて、「お前、まだそんなこと言っているのか」「そんな熱いことを言っても、世の中では通用しない。お前も早く会社に入って大人になれ」というようなことを言われた。協力隊に行く前に話をしたときは、「俺は商社に行ってビジネスのやり方を変えることで世の中を変えるんだ」「金融の力で世の中をもっと活性化したいんだ」と言っていて、頼もしく思えた同期たちだったんです。
 
 だけど、僕はシリアに行って、友人たちは企業に就職して、そこからたった2年間で、日本企業という組織が、彼らの熱さや青臭さ、志みたいなものを奪ってしまったように僕には見えて、「なんてことしてくれたんだ」と思ったんです。それが僕の強烈な原体験になっていて、かつて持っていたはずの熱さや志をもう一度取り戻す方法を模索するようになりました。
 
――そうして行き着いたのが、「留職」プログラムだったということですね。
 
小沼:具体的に留職を考え出すヒントとなったのは、青年海外協力隊として訪れたシリアでの体験です。
 
 大学を卒業したばかりでシリアに行った僕は、ビジネスのことなんてなにもわかっていなかったのですが、僕の働いていたNPOに、ドイツ人の経営コンサルタントがCEO(最高経営責任者)とCFO(最高財務責任者)として出向してきたんです。そのときに、ビジネスの力を使ってNPOの活動に貢献することが可能なんだということを知ったことがひとつ。
 
 もうひとつ、その過程で、出向してきたドイツ人上司たちがどんどん生き生きしてきたことがあります。シリアの村にやって来て、自分の持っているビジネスのスキルで貢献することでシリアの人々の生活が改善されて、『ありがとう』と言われたりするという経験を通して、彼らの目の輝きが変わっていくのがはっきりとわかりました。
 
 このふたつの経験がオーバーラップして、シリアでドイツ人の経営コンサルタントがしたような経験を、僕の日本の仲間たちも経験すれば、かつての想いを取り戻せるのではないかと考えました。
 
 自分自身の協力隊での経験もあり、社会課題の中で、自分が価値を提供して、そのことによって「ありがとう」と言われる、そんな経験を提供したい。日本の大きな組織の中で、縦にも横にも細分化されてしまって、自分の仕事が社会に生み出している価値を見失いそうになっている人たちにも、小さな組織の中で、その働きが社会に生み出す価値や影響を全身で感じられるような、そんな体験を積んでいただきたいと考えたことが、留職プログラムの始まりです。

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――青年海外協力隊に参加されたということですが、もともと国際協力やボランティアに関心が高かったんですか?
 
小沼:いえ、ボランティアであるとか、社会貢献というものに興味はほとんどありませんでした。僕は教員を目指していたんですが、高校の社会科の先生になる前に、社会を知りたいと考えていました。それで、会社勤めよりもおもしろいことはないかなと思っていたところに、電車で青年海外協力隊募集の広告を見て、これだ!と思った。ただそれだけの理由なんです。本当に出来心ですね。いま考えると、よく受かったなと思います(笑)。
 
――それで派遣先がシリアというのも、またすごいめぐりあわせですね。
 
小沼:そうなんです。僕は環境教育という職種だったんですが、環境教育の派遣先リストの95%は中南米。だから僕もてっきり中南米のどこかに行くと思っていたんですが、なぜかシリア。最初は本当に位置もわからなくて、中南米の地図を見て一生懸命シリアを探したくらいです(笑)。
 
――大学を卒業されて、大学院進学と同時に青年海外協力隊で2年間シリアに行かれて、帰国されてからクロスフィールズを立ち上げるまでは、どんな活動をされていたんですか?
 
小沼:大学院に戻って修士号をとって、その後コンサルティング会社で3年ほど働きました。青年海外協力隊での活動を終えて、国際協力、あるいは社会貢献の世界とビジネスの世界をつなぐということが、僕自身のテーマとして明確に見えてきたんですが、そのときの自分のキャリアに、社会貢献の経験はあっても、ビジネスの経験はまったくなかったので、一度ビジネスの世界に入らないと、ふたつをつなぐことはできないと思ったんです。
 
 だけど、僕も実は流されやすいほうなので、会社に入って仕事をする中で、自分の想いが流されて消えてしまったら嫌だなと思って、仲間内で「コンパスポイント」という勉強会を立ち上げて、熱い想いを保てるようにしていました。
 
――ビジネス経験を積む場としてコンサルティング業界を選ばれたのは、それがもっともその後に役立ちそうだと思われたからですか?
 
小沼:そこまで深く考えていたわけではなくて、青年海外協力隊のときと同じで、これも単純な理由です。シリアで活動している中で、ビジネスセクターの知り合いは、ドイツ人コンサルタントの上司だけだった。その人に、「僕もビジネスというものを知りたい」と相談したら、「それにはコンサルタントが最高よ」と言われて、じゃあ、って(笑)。
 
 実は、キャリアの節目節目で、「この人かっこいいな」と思う人の背中を追いかけるようにしてここまで生きてきました。青年海外協力隊のときも、広告を見てから、実際に会った協力隊の人の中に、「この人かっこいいな。こうなりたいな」と思う人がいて、参加を決めましたし。コンサルティング会社もシリアで一緒に働いたドイツ人上司を見て「かっこいいな」と思って入ったし、NPOを立ち上げたのも、NGOで活躍する先輩に「こういうふうに生きたいな」と憧れる人がいたから。ロジカルに考えるところももちろんありますが、最後に腹を決めるときは、「この人かっこいいな」が決め手になることが多いんです。
 
――そのNGOの先輩というのは?
 
小沼:アフリカのスーダンなどで医療活動を行っているロシナンテスというNGOの川原尚行さんです。
 
 シリアから帰国して、NGOとビジネスをつなぐために、まずはNGOについて勉強しなければと思ったので、大学院ではNGOの研究をしていました。いろんな団体を見たいという気持ちと、アフリカに行ってみたいというミーハーな気持ちもあって、アフリカで活動するNGOにインタビューすることにしたんですが、現地に伝手もなかった。僕は2年間シリアにいたのでアラビア語ができるんですが、スーダンはアラビア語だったので、現地で活動しているロシナンテスという団体に「アラビア語ができるので、なにかお手伝いができるかもしれません」とメールをしたら、すぐに返事が来て、来て通訳をしてほしいと言ってくださった。それが川原さんだったんです。
 
 現地に行ったら、そのまま無医村に連れて行っていただき、田舎の小さな村の診療所で川原さんの通訳をやらせてもらいました。川原さんと寝食をともにしながら、いろんな話を聞いて。僕が出会ったタイミングで40代でしたが、すごい人なんですよ。もともと外務省の医務官を務めていた人なんですが、外務省の医務官は在スーダンの日本人しか診療してはいけないという決まりになっていることに、「現地にこんなに困っている人がいるのに、なんで俺は日本人しか診てはいけないんだ」と憤って、外務省を飛び出して、自分のNGOをつくってしまった。
 
 「そうやって人生ってつくれるんだな」ということを見せてもらったような感覚があって、自分で自分の人生を切り拓いていくのって、なんてかっこいいんだろうと。彼に対する憧れは非常に強かったように思います。いまでもときどきお会いしていますが、本当にこういうふうに生きたいなと思える、尊敬する方です。
 
――コンパスポイントのセッションのゲストとして、ロシナンテスの方がよく登場されているのには、そんな背景があったんですね。
 
小沼:そうなんです。このすばらしい人の話を、僕の周りの友人たちにも聞いてもらいたいと思って。僕の友人たちはNPOや社会貢献とはかなり縁遠いコミュニティだったんですが、逆につないだらめちゃくちゃ面白いんじゃないかと思った。
 
 協力隊にいたときにも強く感じたんですが、優等生的な人材が大企業に入ることは、ともすると、そこに閉じてしまう部分がある。そうした人たちをもっと自由な世界へ投入して、さまざまなコミュニティの間を人が行き来することで、もっとおもしろい世界ができるのではないかと考えているんです。
 
(第2回「すべての人が、思いを自分の仕事に込められるように」へ続く)
 
小沼 大地(こぬま だいち)*1982年神奈川県生まれ。青年海外協力隊としてシリアにて環境教育事業に従事。その後マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社、人材育成領域を専門とし、国内外の小売・製薬業界を中心とした全社改革プロジェクトなどに携わる。2011年3月独立、NPO法人クロスフィールズ設立。世界経済フォーラム(ダボス会議)のGlobal Shapers Community(GSC)に2011年より選出されている。

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