産後ケアの普及による社会問題の予防と解決を目指して

NPO法人マドレボニータ代表 吉岡マコ

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吉岡さんのインタビュー第1回はこちら:「産後の女性を支える社会的インフラを
 
パートナーとの離別と教室の休止
 
 産後ケアエクササイズの教室を開く。そう決めてからの吉岡さんの行動は早かった。絶対にニーズがあるはずだという確信を持って場所を探し、チラシを作成した。
 
「チラシをつくったのは、出産から3か月ほど経った6月頃。9月スタートということにして、集客を始めました。当時はメールもまだ普及していなかったので、お世話になった助産師さんにお手紙を書いて、『関心のありそうな方がいらっしゃったら教えてください』とお願いしたりして」
 
 助産師の方も「出産で傷ついた会陰の手当はしてあげられるが、産後の肩こりや腰痛の悩みをケアしてあげられない」と困っていたといい、産後の母親がリフレッシュできるような場があるのならぜひ行ってもらいたい、と積極的に紹介してくれた。
 
「そうやって申し込んでくださった方がお友達を連れて来てくださったりして、最初の教室は7人でスタートしましたが、翌月早速集客の壁にぶつかりました。9月の教室はほぼ満席でしたが、10月、11月はかなり空きがあって」
 
 多くのビジネスでは、リピーター率を上げることが安定した収益につながるが、産後ケアという性質上、基本的には毎月新規顧客を獲得しなければならない。これは現在でも一番の課題だ。
 
「新聞に取り上げていただいたおかげで12月にはまた満席になったんですが、新聞の効果もそう長くは続かない。毎月集客しながらやっていくのは難しいな、と思って、実は一回教室を止めました。ちゃんと働かないと、この教室だけではやっていけないな、と思って」
 
 実はこの頃、吉岡さんはパートナーとの離別を迎えていた。パートナーは外国で行われる研修会に参加したときに知り合った現地の男性だったが、吉岡さんは出産のために日本に戻り、二人は離れ離れに。出産前後の不安定な時期を遠く離れて過ごしたことは、その後のパートナーシップにも大きな影を落としていた。
 
「出産するまでは私もその国に戻って一緒に暮らそうと思っていたのですが、出産後のぼろぼろな感じを味わってしまって、こんな状態で家を引き払って子どもを連れて外国に行って暮らすなんてことは考えられなくなってしまって。子どもが8か月になる頃、『もう一緒にはやっていけない』ということを伝えて、日本で一人で子どもを育てることにしました」
 
 パートナーがいなければ、家事ばかりでなく、金銭面でも生活の面倒をすべて自分で見なければならない。安定した収入が必要だった。とは言え、新卒一括採用も終わっている時期。就職口を探すのも簡単ではなかった。
 
「大学院中退で、乳飲み子がいるので17時に帰りたい、という条件では正社員で雇ってくれるところはなくて、結局、翌1月からある出版社に契約社員として入れていただきました。月曜から金曜まで、毎日9時から17時半まで働くと、土日に何か別のことをするというのは体力的に無理で、教室は諦めるしかありませんでした」
 
 しかし、その間にも新聞記事を見た人からの問い合わせは途切れなかった。勤務を終えて家に戻ると、教室への参加を希望する手紙やFAX、留守電へのメッセージが届いていた。
 
「ご連絡をいただいた方には、いまはお休みしていることを伝え、再開するとしたらご案内していいかお伺いして、参加希望者リストをつくっていました。そうしながら、参加したい人はいるんだけど、需要と供給が一致しない。集客が安定しないとやっていけないけれど、希望者は確実にいる。というところにジレンマを感じていました」

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写真提供:マドレボニータ

アルバイトをしながら育てた教室
 
 契約社員とは言え、9時から17時半までのフルタイム勤務。定時になると、残業するほかの社員の視線から逃れるように子どもの迎えに走る。結局、半年ほどで出版社を退職した。
 
「時短ですらないのに、定時にほかの人に『すみません』って後ろめたい気持ちを抱えながら帰って、それでも子どものお迎えはぎりぎりで、いつもうちの子が最後のひとり、という状態。こんな生活、なんのためにしているんだろう、と思い始めて」
 
 働きながらも正社員としての就職口を探したが、どうしても見つからない。しかし、そのことがかえって教室再開に向けて吉岡さんの背中を押した。
 
「正社員としての仕事が見つからないなら、正社員にこだわるのはやめよう、と。そして教室を再開する場合のシミュレーションをしてみたんです。たとえば、月謝を1万円として、10人集まれば10万円。当時場所代が2万円くらいだったので、残るのが8万円。契約社員としてもらっていたお給料が月16万円くらいだったので、あと8万円稼げば、同じくらいの収入になるな、と」
 
 時給800円として、9時から15時まで、月曜から金曜まで毎日シフトを入れれば、9万6,000円の収入になる。社会保険が適用されないという条件も同じながら、教室とバイトを掛け持ちするほうが、自由になる時間は圧倒的に多かった。
 
「15時上がりができれば、子どもとの時間もたくさん持てるし、自分の勉強の時間も持てる。勉強のために時間を使えるということは自分の未来に投資ができるということだから、アルバイトをしながら教室を育てていって、教室が軌道に乗ってきたらアルバイトの時間を少しずつ減らして教室のウエイトを上げていこうと考えました」
 
 そう決めた吉岡さんは、出版社を退職した翌日から、スポーツクラブでスタッフとして働き始めた。土日に教室を開く傍ら、平日9時から15時まで働いた後は、保育園のお迎えの前にジムでトレーニングをしたり、研修としてスタジオのレッスンに参加したり。
 
「お休み中にご連絡いただいていた方々に再開のご連絡をして、7月の教室は満席でスタートしました。そこからは一回も休んでいないんですよ」
 
 教室を再開したのは1999年の7月のこと。そこから16年間休みなしというのだから驚かされる。それはまた、提供する側の体制さえ整っていれば、マドレボニータのプログラムを求める人はいるという証でもある。

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写真提供:マドレボニータ

シェアリングで見えてくる本当の気持ち
 
 こうして軌道に乗り、拡大を続けてきたマドレボニータの教室事業だが、吉岡さんが伝えたいのは、産後の体のリハビリのノウハウだけではない。
 
「私たちは、産後に起きるさまざまな問題を、産後ケアをすることで解決していきたいんです。たとえば、私は産後のつらい時期を一緒に乗り越えられなかったことが決定的な打撃になってパートナーと別れてしまいましたが、あの時期にきちんとコミュニケーションをとれていたら、違う結果になっていたかもしれない。それも私が『産後』が大事だと考える理由のひとつです」
 
 マドレボニータの教室では、体を動かして筋力を回復するためのエクササイズと同じくらいの時間を、「シェアリング」と呼ばれる参加者同士のコミュニケーションワークに充てている。
 
「『夫婦関係』や『仕事』といったテーマについてみんなで語り合うのですが、自分の気持ちを言葉にして誰かに伝えるというプロセスの中で、自分の本当の気持ちがかたちづくられていくんです。そういう作業をする前は、なんとなくもやもやした思いを抱えているだけで、自分がなにに悩んでいるのかもはっきりとはつかめていない。たとえば、仕事に復帰することに対してもやもやした不安を抱えているんだけど、その正体がなにかわからないから、不安から逃げるために、仕事を辞めてしまおうかな……という思いが頭をよぎったり」
 
 マドレボニータの教室への参加者は、現在では専業主婦よりも育休中の女性が多くなっているが、教室の初日のシェアリングでは、10年以上のキャリアを持つ女性でも、「仕事辞めようかな」と口にすることはよくある。しかし、3回、4回と教室に通って心身の健康と元気を取り戻すと、「よく考えてみたら、仕事を辞めたいんじゃない。育児と両立するのが大変そうだから逃げようとしただけであって、やはり仕事は好き。本当は社会とつながっていたいし、今まで築いてきたキャリアをもっと生かして社会に貢献していきたい。子どもにもそういう姿を見せていきたいし、いま仕事を辞めてしまって、子どもが巣立った後にすることがない、というのがやはり寂しい」という言葉が母親たちから出てくるという。
 
「そういう変化は肌で感じています。みなさんおっしゃるのは、『体力を取り戻して体が元気になってきたから、そういう前向きな思考ができるようになった。1週目に仕事を辞めたいなんて言ったのは気の迷いだった』って」
 
 4回のコース終了時に受講者アンケートをとると、「受講を終えて社会と再びつながる意欲が湧きましたか?」という項目には、「すごく湧いた」59%、「少し湧いた」30%。という回答を得られた。「変わらない」という回答もあったが、「湧かなかった」という回答はなかったという。
 
「シェアリングでほかの参加者の話を聞くということも、いい刺激になるようです。たとえば、『もう3回目の育休なんです』という人に、実際に職場復帰したときの経験を聞いたりすることで、『そうか、こうやってがんばっている人もいるんだ』とか、『だったら私もがんばれそうだな』とか、前向きな選択肢が自分の目の前に開けてくる。教室を通して、そういう変化は毎月感じています」

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「なんで母親がひとりで沐浴をしているの?」
 
 「産後ケア文化」をつくるのは、出産する母親だけではない。「受けるケア」が必要な産後1か月の間、母親が体を休めるために寝たきりで過ごさなければならないのであれば、その間の家事や育児を支えるサポーターが必要だ。
 
「私の場合は実家に頼れなかったこともあり、友人に助けてもらいました。家に来てお鍋にいっぱいのっぺい汁をつくってくれたり。産後一か月くらいは、毎日誰かしら来てもらえるようにお願いして。友人が来てくれて本当に助かりましたが、本当はそういうサポート体制のコーディネートも、本人ではなく、パートナーがやるべきだと思います」
 
 マドレボニータから発行されている書籍『産褥記』でも、「産後をみんなで支えよう」というメッセージが提唱されているだけでなく、実際にマドレボニータのスタッフが仲間の産褥ヘルプに利用している、Googleドライブを使ったシフト表も紹介している。
 
「お手伝いに来てくれる人との連絡やシフト調整などのマネジメントは夫がして、産褥婦は夫を通してそれを知るだけで、液晶画面も見なくていいようにしましょう、ということを推奨しています。最近では男性の育休も話題ですが、夫が家事や赤ちゃんの沐浴等のケアを全部肩代わりできるかというと、それも難しいのが現実です。全部背負い込んだ夫のほうがうつになってしまうというケースもありますし」
 
 マドレボニータが推奨するのは、夫は家事育児を妻の代わりにすべて請け負うのではなく、マネジメント役を担い、赤ちゃんの沐浴やごはんの用意などは友人や親戚の手も借りて支え合うかたちだ。ときにはヘルパーの手配をするのもいいだろう。
 
「そういうサポート体制を整えることも、文化として広めていきたいなと思っています。先日も出産したばかりの母親が沐浴中に赤ちゃんを浴槽に沈めようとしたというニュースがありましたが、もっとしっかりしろと母親を責める声が多くて、『なんで出産から1週間しか経っていない母親がひとりで沐浴をしているの?』という疑問の声は出ないですよね。この母親は産後うつの兆候があったと言いますが、産後うつへの理解もまだまだです」
 
 無事に子育てを終えた人からは、「私たちだって苦労して子育てしたのよ。いまの若い人たちは甘えている」と言われてしまうこともある。しかし、それでは解決にならない。
 
「虐待死の40%以上は0歳児で、さらにそのうちの4割から5割が生後1か月未満という厚生労働省による客観的なデータもあります。私たちは、そうしたデータがあったら、『怖いわね』なんてただの世間話のネタにするのではなくて、どうしてそういうことが起こってしまうのか、問題の根本を特定して、それを解決するために必要なものをプログラムとして提供したり、そういう考え方を啓発したりしていかなければならないんです」

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産後ケアで、世界は絶対によくなる
 
 出産を起点とする問題には、産後うつや産後うつに起因する児童虐待、離婚、離職など、さまざまなものがある。
 
「たとえば、厚生労働省の調査によると、死別や未婚の母を除いて『母子家庭になった時期』を見てみると、その3割以上が産後2年以内に夫と離婚しています。虐待死のデータも先述したとおりですし、育児休暇を取得する人が増えたとは言え、出産退職も依然として40%を超えています。これは日本全体の数値ですから、マドレボニータの教室で産後ケアに取り組んだ受講者の中での割合を算出して、そのパーセンテージの違いを数字で出していくことができれば、産後ケアの効果を示すひとつの指標になるかなと思っています」
 
 マドレボニータが目指すのは、産後ケア文化を広めることで、産後の女性が自分自身の人生と真摯に向き合い、その力を存分に発揮できる社会の実現。
 
「このミッションを実現できているかどうかというのは、定量的にも定性的にも指標化するのが難しいのですが、それは私たちのチャレンジでもあります。そもそもその人が本来持っている力を発揮するということと、その手段としての産後ケアがなかなか結びつかないと思われる方も多いと思うんですが、マドレボニータの産後クラスとの出会いが、自分の人生を見つめ直すきっかけになったという方は実際にいるんです」
 
 子どもが生まれると、その後の人生は子どものために生きるものだと思う人も多いかもしれない。しかし、吉岡さんのもとには、「マドレボニータの産後クラスに通ったことで、自分が本当にやりたいことが見えてきて、自分の人生を生きるとはどういうことか、わかってきました。そしてそれを子どもに見せていくことが大事なんだと思うようになりました」といった熱いメールが届く。
 
「産後というのは実はすごいターニングポイントなんです。子育てで忙しくてうやむやになりがちですが、こうやって教室で立ち止まって考えたり、自分の気持ちを言葉にして語ったり、リハビリのために体を動かしたりすることで、自分の人生をもう一度見つめ直すきっかけになる。そういう方々がマドレボニータのインストラクターになってくれたり、職場復帰して活躍していたりというケースを、私たちは間近で見ているので、そういう女性が増えれば、世界は絶対よくなるはずだと信じられるんです。それをうまく見える化して伝えて、たくさんの人を巻き込んでいくことがこれからの課題です」
 
 昨年の受講者は6,000人。日本全体の出生数はおよそ100万1,000人だったので、出産した女性の0.6%が受講したことになる。吉岡さんは、この数値を2020年までに5%まで引き上げたいと言う。
 
「2020年までに年間受講者5万人を目指しています。出産する女性の20人にひとりが受講している状態になっていれば、『意識の高い人がやっている』ではなくて、『誰でもやっている』と言えるところまで持っていける。そうやって、産後ケアに取り組むことが当たり前の文化をつくっていきたいと考えています」
 
 今年3月に見事WomenWill賞を受賞したGoogleインパクトチャレンジで掲げたのは、出産祝いに産後ケアを贈る文化を普及させることで、産後うつや早期離婚の予防を目指す「産後ケアバトン+(プラス)」プロジェクト。マドレボニータで産後ケアを受けた女性が、その重要性に気づき、産後ケア文化を拡大・発展させる仲間になってくれることも狙っている。ひとり親や障害児の親など、産後クラスへの参加が難しいと思われる母にも産後ケアを届けるための「マドレ基金」も設立した。たくさんの人を巻き込み、支えられながら、「産後ケア文化」の形成に向けて、マドレボニータは一歩一歩着実にその歩みを進めている。
 
吉岡マコ(よしおか まこ)*1972年、埼玉県生まれ。東京大学文学部美学芸術学卒業後、同大学院生命環境科学科(身体運動科学)で運動生理学を学ぶ。1998年3月に出産し、産後の心身の辛さを体験。産後の女性にケアが必要だという概念さえないことに気づく。同年9月に「産後のボディケア&フィットネス教室」を立ち上げて以来、日本に「産後ケア」の文化をつくるための活動を続けている。

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