子どもたちの成長を実感しながら

放課後NPOアフタースクール 代表理事 平岩国泰

A91A3091

個人ボランティアからNPO法人へ
 
 世田谷区の小学校にプログラムを提供するようになった頃のアフタースクールはまだ法人化しておらず、平岩さんは会社員として仕事を続けながら、アフタースクールの活動は週に1回、会社の公休日を利用して個人ボランティアとして行っていた。スタッフは、平岩さんと、現副代表の織畑さん、それに最初にアメリカのアフタースクールについて教えてくれた友人の3人。
 
「助成金をもらって、材料費やチラシ代といった活動資金に充てながら活動していました。アフタースクールというものを社会インフラとして日本の未来に残したいという思いを持ちつつも、自分にそれができるとは思えなかったし、それを生業にして生活していけるのかという不安もあったので、このまま会社員を続けながら、ボランティアとして週1回やっていくのが限界かなと思っていて。だけど、同時にもっとやりたいという思いもあったんですよね」
 
 公民館で活動を始めて以来、実績を認められて学校内の施設で活動できるようになるなど、着々と歩みを進めてはきたが、活動開始から4年が経つ頃になると、やり甲斐とともに疲れも感じ始めていた。
 
「僕は毎週休みの日をアフタースクールに費やしていたし、僕より先に会社を辞めた織畑はやっぱり生活が苦しかった。活動を続けるかどうかも悩んだんですが、それまでやってきた手応えを考えると、やっぱりもっとやりたい。3人で集まって話し合い、法人化を決断しました」
 
 活動開始から4年間を経ての法人化。それは、3人にとって、大きな決断だった。
 
「法人化は社会に対する責任を負うと思っていました。法人化したら、ちょっとのことでやめるわけにはいかない。当然自分も仕事を辞めてそちらに飛び込む日が来る。もう後戻りはしない、という意志として法人化をしました」
 
 このNPO法人化までの葛藤は、平岩さんがぜひ人々に知ってほしいものなのだと言う。
 
「こういう活動をしていると、決断力があって、思い切りのいいリーダーみたいな存在をイメージする人も多いと思うんです。僕も実際そういうNPOのリーダーをたくさん知っています。だけど、僕は全然そんなタイプではないんです。手堅いし、慎重派。収入に関しても、安定した生活を変更することに関しても、不安なイメージが湧くことだってあります。それでも、長く活動を続けて、手応えを感じていると、自然とそういう決断は生まれてくるんです」
 
 だから、細くてもいいから、自分のできる範囲で活動を「続ける」ことが大事――それが平岩さんが伝えたいメッセージだ。
 
「NPO法人化の決断をしたとは言え、すぐにそれで食べていけるわけではありません。結局、2009年に法人化してからも、2年間は会社勤めを続けていました。会社の勤務時間外にNPO法人の活動をやるということで。ありがたいことに会社も理解してくれました。会社での勤務もあるし、NPOの時間もほしい。両方で成果を出したいので、この時期は本当に無理もしていました」
 
 そうして二足のわらじでの活動を経て、ついに会社を退職し、放課後NPOアフタースクールに一本化したのは、2011年のことだった。

関連記事