放課後の子どもたちを守りたい

放課後NPOアフタースクール 代表理事 平岩国泰

A91A3393
警備員のために子どもたちが建てた「小蔵」

 ある小学校の校舎の出入り口には、常駐する警備員のために、小さな詰所が建っている。「この小屋をつくってもらって、ほんとうにうれしくて」。警備員の方がにこにこしながら話してくれた。
 隣に立つ蔵を模してつくられたこの詰所は、親しみを込めて「小蔵」と呼ばれている。1年間をかけてこの建物を建てたのは、この小学校に通う子どもたち。アフタースクールと呼ばれる放課後学校での取り組みの成果だ。
 
*********************
 
「そうか、放課後が危ないんだ」
 
 平岩さんが放課後NPOアフタースクールの活動を始めるきっかけとなったのは、自身の長女の誕生と、同じ年に多発した子どもの連れ去り事件だった。
 
「2004年に子どもが生まれたんですが、その年はいわゆる連れ去り事件がものすごく多かったんです。そんなときに第一子が生まれて、非常に心配だったんですね。自分の子どもが事件に遭ったらどうしようって」
 
 自分自身が父親になったこともあって子どもに関係する事件は他人事とは思えず、ニュースを注意して聞いているうちに、そうした事件はある時間帯に集中して起きていることに気がついた。
 
「ほとんどの事件が、午後2時から6時くらいまでの、いわゆる放課後の時間帯に起きていたんです。当たり前と言えば当たり前ですよね。その時間帯が、いちばん大人の目も手も離れますから。それで、『そうか、放課後が危ないんだ』と思うようになりました」
 
 子どもをターゲットにした犯罪は、食べるものに困って命をつなぐために盗みを犯すといった類のものとは違う。絶対に許せない、なんとかしなければ。そう思ったことが始まりだった。
 
「そんなとき、たまたま友人が教えてくれたんです。アメリカではアフタースクールっていう仕組みがあって、放課後の子どもたちを救っているよ、と。それで、『これ、いいじゃないか。日本でもやってみよう』と思ったんです」
 
 それまでの平岩さんはごく普通のサラリーマンで、ボランティア活動などにも特別関心はなく、1995年大学3年生当時に阪神淡路大震災が起き、日本でもボランティアの機運が高まったときでも、現地にボランティアに向かう友人を見て「お前、すごいな」と言いながらも自らが現地に向かうことはなかった。
 
「唯一、大学生の4年間は中学校の野球のコーチをボランティアでやっていました。いま思えば、人の成長を傍で見ているって楽しいなと思っていたっていうのはあるんですけど。とは言え、敢えて言えばっていう程度で、それを将来生業にするなんて、全然思っていませんでした」
 
 そんな状態からのスタート。当然、なにもかもが手探り状態だった。
 
「最初はほんとうにどうしたらいいのかわからなくて、仕事をしながらビジネスコンテストに応募したりしてみていました。どうにか選考に残ったりすることもあるんですけど、最後はもちろん受からなくて、審査員に『お前は会社が嫌だからここに来ているんだろう』なんて言われたり(笑)」
 
 試行錯誤の末、やっと活動らしい活動を始めることができたのは、2005年の11月のことだった。

A91A3477

小学校に怪しまれた最初の取り組み
 
 最初の活動の舞台は、世田谷区の公民館。区の助成金を獲得しての活動だった。
 
「区報を見ていたら、新規事業活性化プランのようなものが公募されていたんです。『通ると助成金が出ます』と。そうしたコンテストには何度も落ちていたんですが、まただめだろうなと思いながらも出してみたら、通ったんです」
 
 助成金の額は数万円という規模だったが、審査に通った喜びは大きく、自信にもつながった。
 
「このとき提出したプランの内容は、いわゆるアフタースクールの展開。放課後、学校の空き教室などを使って子どもたちの居場所としつつ、いろいろな体験プログラムを行うというものです。『市民先生』としていろんな市民に放課後の先生になってもらうんですが、和食のいい先生が見つかったので、まず最初は和食を伝えるプログラムをやろうと思って、早速地元の小学校に提案することにしました」
 
 小学校の電話番号を調べ、意気揚々と電話をかけたが、平岩さんの予想に反し、反応は冷ややかなものだった。
 
「いま思えばほんとうにお恥ずかしい話なんですが、『アフタースクールを立ち上げました。和食のすばらしい先生がいるので、先生の学校でやってみませんか?』と、言うなれば『やってあげましょう』くらいの上から目線な話をしました。当然、『そもそも誰ですか?』っていうことになる。もうすごく怪しまれて、断られて」
 
 たまたま頭の固い先生にあたってしまったのかもしれない、と2校目に電話してみるも、結果は同じ。
 
「後で聞くと、どうやら『アフタースクールの平岩を名乗る人物からの電話は取り次がないように』っていう通達が回っていたらしくて(笑)。当たり前ですよね。そんなどこの誰かもわからないような人物からの提案なんて、怪しいし、危ないし」
 
 小学校が用心するのも当然だと思った平岩さんは、小学校への導入提案は断念し、調理施設のある公民館を借りて活動を始めることにした。

A91A3421

参加者がいない!
 
 デパートの本部に勤めていた平岩さんは水曜日と日曜日が公休日だったため、ボランティア活動として毎週1回、水曜日に公民館でアフタースクールを始めることにした。
 
「和食の教室をやったんですが、ここにも若干苦労話があって。世田谷区からもらった助成金で、まずはチラシをつくったんです。だけど、意外と高いんですよね、チラシの印刷代って。何百枚も刷ったら、それだけで数万円の助成金なんてなくなってしまった(笑)」
 
 再び小学校に電話をかけ、今度はチラシを配布したいと申し出た。
 
「絶対大丈夫だと思って電話したんですよ。こんなにいい企画なんだからって。だけど、また断られた。これもいまから思えば当たり前なんですけど。だけど、中には親切な先生もいて、『君、しつこいから置いておいてあげるよ』と言って受け取ってくれたり、児童館を回って置かせてもらったり。スーパーやパン屋さんに貼らせてもらったりもしました。公園で遊んでいる子どもたちに直接配ったりもしたんですが、そこでも『変な人がチラシ配ってる』って感じになって、これはまずいと思ったので、さすがにそれはやめました」
 
 だが、開催日の前々日になっても、応募は0人。さすがに気落ちして中止を決め、市民先生第一号となるはずだった和食の先生に断りの電話を入れた。
 
「『申し訳ありません。せっかくお引き受けいただいたのに、生徒を集められませんでした』って。ところが、その少し前に会った民生委員の方がいて、その人がパン屋に貼ってあったチラシをたまたま見てくれたらしいんです。それで連絡をくれて、『あなたおもしろいことやってるじゃない。応援するわよ』と言ってくれて」
 
 ありがたいと思う反面、応募0という現実に打ちひしがれていた平岩さんは、「よろしくお願いします」と返事をしながらも、もはや人は集まらないだろうとほとんど開催を諦めていた。しかし、その期待はよい方向に裏切られることとなった。
 
「市民先生に断りの電話をした翌日、つまりプログラムの前日ですね、民生委員さんが連絡をくれて、『4人行くわよ』って。それで、もう1度市民先生に電話をして改めてお願いをしたら、快く引き受けてくださって。なんとか1回目を開催できることになったんです」
 
 小学校低学年の子ども3人と、4年生の男の子1人の、4人からのスタート。そして、このときの体験が、平岩さんの原点となった。

A91A3249

「できないこと」ではなく「できること」に注目する
 
 アフタースクールのプログラムは、一つのテーマにある程度継続して取り組み、最後にその成果を発表するというスタイルをとることが多い。初めて行われた和食のプログラムも、毎週1回、全6回の調理教室の最後に親や地域住民を招いて子どもたちが料理を振る舞うことがゴールに設定された。
 
「結果は大成功だったと言っていいと思います。4年生の男の子がすごく成長したんですよ。自分に自信のなかったその少年が、全6回の和食プログラムでどんどん変わっていくのが目に見えてわかった。いまもその子の背中を追いかけているというか、僕の原点になっています」
 
 勉強もスポーツも苦手な引っ込み思案の少年だったが、アフタースクールの和食プログラムで、彼にはある特技があることが判明した。
 
「市民先生は日本料理の職人さんだったんですが、毎回、調理を始める前に、日本地図の前に食材を並べて、産地当てクイズをするんですよ。そして、その子はこのクイズが抜群に得意だったんです。実はその子は社会の授業と食べることが好きで、お母さんとスーパーに買い物に行ったときなんかに、食材の産地をよく見ていたらしいんですよね」
 
 あまりにもよく当てるので、平岩さんたちがおもしろがって「素材王」と呼び始め、低学年の子どもたちからは「お兄ちゃん、すごい!」と羨望の眼差しが集まる。さらに、市民先生がその子を「一番弟子」と呼ぶようになり、「お、一番弟子、今日も来たか。お前がいないと困るんだ」といった声掛けをするようになったことで、少年の表情はみるみる明るくなっていった。
 
「『君がいないと困る』というメッセージって、子どもの心にすごく響くと思うんです。大人だって言われたら嬉しいですよね。しかも、自分が好きな料理の分野で、尊敬できる達人からそんな言葉をかけてもらって、その一言は彼にとってすごく大きかったと思うんです」
 
 うつむき気味だった顔の角度も回を重ねるごとに上がり、指を切って泣いたりしていた幼さが嘘のように、明るく、積極的になっていく少年。その姿は、見守る平岩さんをも勇気づけた。
 
「料理っていうのがまたよくて、習った料理を家でつくって、お父さん、お母さんにまた褒められるんですよね。あるとき、お母さんに言われたんですよ。『これまではずっと、この子の苦手なことばかり見てしまっていました。お友達はできるのに、この子はこれもできない、って。だけど、料理をやるようになってからは、すごく上手だねって、いいところに注目できるようになって、子どもに対する見方が180度変わりました』って」
 
 プログラムが終了した後に、保護者から「友人関係や親子関係もよくなり、とても元気で明るくなった」という感謝も手紙も届いた。
 
「その子のいいところを探して見ていくようになると、子どもってすごく変わるんですよね。こんなに効果が出るんだっていうことを最初のプログラムで実感できて、やめられなくなってしまいました(笑)」
 
 自分の働きかけの効果が、会社員としての仕事よりもダイレクトに見える。そのことに大きな手応えを感じた最初の一歩だった。
 
(第二回「子どもたちの成長を実感しながらに続く)
 
平岩 国泰(ひらいわ くにやす)*1974年、東京都生まれ。2004年、第一子誕生を機に放課後NPOアフタースクールの活動を開始。子どもの放課後を安全で豊かにするため、学童保育とプログラムが両立した「アフタースクール」を展開。プログラムは地域の大人を「市民先生」とし、子どもたちに提供している。衣食住からスポーツ、音楽、文化、学び、遊び、表現まで多彩な活動を展開し、現在までに参加した子どもは50,000人を超える。2008・9年度グッドデザイン賞受賞。2013年より文部科学省中央教育審議会専門委員。
 
【撮影:遠藤宏】

関連記事