放課後の子どもたちを守りたい

放課後NPOアフタースクール 代表理事 平岩国泰

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警備員のために子どもたちが建てた「小蔵」

 ある小学校の校舎の出入り口には、常駐する警備員のために、小さな詰所が建っている。「この小屋をつくってもらって、ほんとうにうれしくて」。警備員の方がにこにこしながら話してくれた。
 隣に立つ蔵を模してつくられたこの詰所は、親しみを込めて「小蔵」と呼ばれている。1年間をかけてこの建物を建てたのは、この小学校に通う子どもたち。アフタースクールと呼ばれる放課後学校での取り組みの成果だ。
 
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「そうか、放課後が危ないんだ」
 
 平岩さんが放課後NPOアフタースクールの活動を始めるきっかけとなったのは、自身の長女の誕生と、同じ年に多発した子どもの連れ去り事件だった。
 
「2004年に子どもが生まれたんですが、その年はいわゆる連れ去り事件がものすごく多かったんです。そんなときに第一子が生まれて、非常に心配だったんですね。自分の子どもが事件に遭ったらどうしようって」
 
 自分自身が父親になったこともあって子どもに関係する事件は他人事とは思えず、ニュースを注意して聞いているうちに、そうした事件はある時間帯に集中して起きていることに気がついた。
 
「ほとんどの事件が、午後2時から6時くらいまでの、いわゆる放課後の時間帯に起きていたんです。当たり前と言えば当たり前ですよね。その時間帯が、いちばん大人の目も手も離れますから。それで、『そうか、放課後が危ないんだ』と思うようになりました」
 
 子どもをターゲットにした犯罪は、食べるものに困って命をつなぐために盗みを犯すといった類のものとは違う。絶対に許せない、なんとかしなければ。そう思ったことが始まりだった。
 
「そんなとき、たまたま友人が教えてくれたんです。アメリカではアフタースクールっていう仕組みがあって、放課後の子どもたちを救っているよ、と。それで、『これ、いいじゃないか。日本でもやってみよう』と思ったんです」
 
 それまでの平岩さんはごく普通のサラリーマンで、ボランティア活動などにも特別関心はなく、1995年大学3年生当時に阪神淡路大震災が起き、日本でもボランティアの機運が高まったときでも、現地にボランティアに向かう友人を見て「お前、すごいな」と言いながらも自らが現地に向かうことはなかった。
 
「唯一、大学生の4年間は中学校の野球のコーチをボランティアでやっていました。いま思えば、人の成長を傍で見ているって楽しいなと思っていたっていうのはあるんですけど。とは言え、敢えて言えばっていう程度で、それを将来生業にするなんて、全然思っていませんでした」
 
 そんな状態からのスタート。当然、なにもかもが手探り状態だった。
 
「最初はほんとうにどうしたらいいのかわからなくて、仕事をしながらビジネスコンテストに応募したりしてみていました。どうにか選考に残ったりすることもあるんですけど、最後はもちろん受からなくて、審査員に『お前は会社が嫌だからここに来ているんだろう』なんて言われたり(笑)」
 
 試行錯誤の末、やっと活動らしい活動を始めることができたのは、2005年の11月のことだった。

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