漁業を張り合いがあって楽しい仕事に
桃浦かき生産者合同会社 大山勝幸代表社員
漁師を魅力的な就職先にする
とはいえ、新しく働き手を集めるのは容易ではない。
「かきの剥き子さんが全然集まらないんですよ。震災前は自給700円くらいでも働き手がいたのが、いまは1000円でも集まらない。労働力が圧倒的に不足しています」
避難先の都市部での生活に慣れてしまうと、わざわざ不便な浜の生活に戻ってこられないのだという。かき剥きの辛い立ち仕事となるとなおさらだ。その一方で、漁師の担い手には少しずつ動きが見え始めている。
「何とか後継者を集めたくて、漁師学校というのを夏にやったんですよ。そうしたら、どうしても漁師をやりたいっていう人が来てくれて。それまで勤めていた会社を辞めて、入社してくれました。43歳の、今では貴重な戦力の一人です」
漁師になりたいという希望者はいないわけではない。だが、個人でやるにはリスクがあり、間口も開かれているとは言い難い。会社化することによって、そうした人たちへの受け皿となる可能性も感じられ始めている。
「今年卒業予定の高校生1名が内定しています。会社が発足してから4人ほど採用したんですが、やっぱり地元の高校を卒業した若者に、自分たちの就職先として希望してもらえるのが一番ですね」
トラックの運転手を辞めてやって来た人もいる。
「今までは孤独な仕事だったから、みんなで仕事をする雰囲気が楽しいって言ってます。この仕事は張り合いがあって楽しいんですよ。でも、後継者や若手がいなかったのは、収入面もあるけれど、将来の可能性が見いだせなかったからだと思うんです。だから、ひとりではできなかったようなことにも会社としてチャレンジして、若い人にとっても魅力的な仕事にしていきたいですね」
会社化の魅力は、ベテランの漁師たちの間にも浸透し始めている。
「ここのところの様子を見ていると、会社に所属して給料をもらうということで月々の生活が安定するので、個人で投資して養殖を再開するよりも、生活や気持ちの面で安心感を得られたように思います。だから、父ちゃんも母ちゃんも、みんないい表情をしています」
自分たちの桃浦をもう一度。決して楽な道のりではないが、みんなの笑顔と元気が着実な歩みを感じさせてくれる。
「もし震災後、年も年だからと廃業して仮設住宅に引きこもっていたら、短い間で亡くなる人もいたんじゃないかなって思います。ところが、毎朝弁当持って仕事に来て、みんな意欲と張り合いがあって元気ですよ。母ちゃんたちも、父ちゃんが家でゴロゴロしているより元気に出かけてくれるからいいって、そう言ってくれています」
会社立ち上げまでの大きなハードルは超えた。次は、このモデルをどれだけ成功に導けるか。桃浦の挑戦は、まだまだ始まったばかりだ。
大山 勝幸(おおやま かつゆき)*1947年宮城県石巻市桃浦生まれ。父親の後を継ぎ、19歳からかきの養殖に従事。合併前の桃浦地区漁協の監事を23年務めた後、7つの漁協が合併した石巻地区漁協の監事・理事を経験。また、かき部長として地区漁協の管理に携わる。2011年より、水産業復興特区を活用し新たな技術や価値観を取り入れた新しい漁業を目指す「桃浦かき生産者合同会社」の立ち上げに携わり、現在代表社員を務める。
【取材・構成:熊谷 哲】
【写真:shu tokonami】