漁業を張り合いがあって楽しい仕事に
勤怠管理のタイムカード。もちろん漁師さんたちにははじめての経験。
大山さんのインタビュー第一回はこちら:「漁業のやり方を変えるところから始めよう」
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「会社化」なくして復興はできない
県の支援と仙台水産の協力。会社化の先行きが具体化するにつれて、メンバーの中で認識や意見の違いも生まれていた。
「特区を活用しなければダメだという推進派もいれば、漁協の枠を離れて会社になることへの懸念を示す人もいました。会社にしなくても、同じようなことができるんじゃないのか、ということも。いろんな次元の、いろんな話が混在していました」
復興会立ち上げ時のメンバーのひとりが「自分はひとりでやりたい」と、抜けてしまうこともあった。
「話がこんがらがってきたときに私が言ったのは、やっぱり給料の話でした。会社にするからには、たとえ収益が上がらなくても、給料を出さないといけない。特区も活用せず、どこの会社の支援も受けず、自分たちだけでやる場合に、給料をどう工面するのかって」
漁師としての仕事は、あらゆるところで漁協をバックにしての個人事業主だった。生産技術、金融、販路開拓。漁協の手を離れて経営者となるリスクは、不安となって彼らに重くのしかかっていた。
「まずは資金の面のめどが立つこと。それから、つくったものをきちんと売れる販売力がなくてはいけない。そういうのは、私たちだけではできないんだと、漁師だけではできないんだと。加工のノウハウも、販売のノウハウも、いまの消費者のニーズも。今まで通りではダメだし、自分たちだけでもダメなんだと、何度も話しました」
決め手になったのは、ただの再建ではなく、復興を果たすんだという強い思いだった。
「個人でやりながらでは、新しく人を雇い入れたりすることなんかできないんですよ。後継者ができなければ、浜の復興にはなりません。だから、会社にして、加工場を作って、従業員というかたちで若い人を迎え入れていかなくちゃいけないんです」
これではまとまらないのではないかという周囲の見立てや有形無形の圧力を乗り越えて、会社化は成し遂げられた。