何としてでも、復興を成し遂げる

福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会 半谷栄寿

_E1A6897
福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会 半谷栄寿

半谷栄寿さんのインタビュー第1回はこちら:
自然エネルギーを復興の原動力に
 
*******************
 
故郷に帰るはずが…
 
 半谷さんは小学生の頃、小高町(現在の南相馬市小高区)の町長を務めていた祖父に連れられて、福島第一原発の建設現場を見学に行ったという。
 
「ここが日本の新しいエネルギーの基地になるんだ、という思いを子どもながらに持ちました」
 
 その思いは、大学卒業後、東京電力への入社へとつながった。
 
「電気事業に直接関わる仕事はあまりやっていませんでしたから、いわゆる異端でした。心血を注いだのは、たとえば1993年から7年間取り組んだJヴィレッジ。日本サッカー協会やJリーグと一緒になって、かたやサッカーのスポーツ振興、かたや交流人口の拡大による電源地域・福島県のあらたな地域振興策として、私自身が企画して、初期の経営もやらせてもらいました」
 
 2000年の電力自由化の後は、Jヴィレッジでの経験を生かすかたちで、自家発電サービスや介護事業などの新規事業を幅広く手掛けてきた。
 
「2010年6月に、新規事業担当の執行役員を最後に、東京電力を退任しました。そして、国立公園尾瀬の環境と利用をバランスよく促進するミッションをもった、尾瀬林業(東京電力子会社)の代表取締役常務に就任しました」
 
 ところが、その年の10月に父が他界する。
 
「父が天寿をまっとうしたとき、45年ぶりにUターンすることを決意したんです。2011年の1月には尾瀬林業と東電本社に辞任を申し出て、了承も得て、福島で『森の町内会』の活動をはじめようとしていました」
 
 だが、今度は災厄が降りかかる。

関連記事