憲法は社会の変化にどう応えるべきか グランドデザインを展望する(前編)

曽我部真裕(京都大学大学院法学研究科教授、憲法・情報法)&上田健介(上智大学法学部教授、憲法・統治機構)&大屋雄裕(慶應義塾大学法学部教授、法哲学)&亀井善太郎(政策シンクタンクPHP総研主席研究員)

kamei

2.ご自身の論考のポイントを教えてください
 
■時代状況に適応する憲法と統治構造をデザイン

亀井 憲法論3.0』では、「はじめに」において、佐藤幸治先生(京都大学名誉教授)が示された各国の憲法に共通する骨格や内容の4つのポイントを挙げました。①国民が憲法制定権力とした政府の統治機構に仕組みと根拠の明確化、②人間の尊重を基礎とする基本的人権の保障の徹底、③憲法の法的規範性の可及的実現、④平和の希求です。
 
また、「はじめに」では、ケネス・盛・マッケルウェイン氏(東京大学教授)の言葉を引用して、諸外国の憲法の構造と比べて日本国憲法は異様に文字が少なく、そのため、みんなは憲法のコンテキストを読み過ぎているのか、あるいは、きちんと読んでいないのかもしれないという状況に陥っていることを指摘し、これからの社会に適応した憲法像があるのではないかという問題意識も提起しました。
 
こうしたポイントと問題意識を共有しながら、研究会が進められ、意見交換を重ねてきましたが、その果実となる皆さんの論考には、共通した問題意識を持ちながらも、それぞれの考えが反映されたように感じます。
 
曽我部 今回の論考では、憲法の人権保障と統治機構とは繋がっていることを意識的に述べました。大屋さんが先ほど、人権に関して憲法の統制力が非常に弱いことを指摘されました。それに通じますが、これまで憲法では人権保障規定があって、それを裁判所が担保していくことを専ら考えてきました。
 
ただ、その結果を見ると、社会の少数者に関して、裁判所は充分な救済策を提供できていません。むしろ、多様な個人を尊重するというようなアウトプットが出てくる統治機構の配置という観点をもっと重視していかなければなりません。憲法13条にある個人の尊重、つまり、誰もが自分らしく生きることができる社会と言い換えられるものが、私は日本国憲法の最も重要な原理だと思っています。
 
論考では、それをより良く実現していくための統治機構における具体的な仕組みを2つほど提案してみました。1つめの仕組みは「デジタル化」。GAFAをはじめとするプラットフォームによる個人の支配にどのように対抗するのか。
 
国家とプラットフォームと個人という三面関係の中で、国家が個人を保護するためにプラットフォームを規制していくという図式を考え、国家の責務を述べました。現在と違うアプローチとして1つ考えられるのは、プラットフォーム事業者に直接憲法を適用して、憲法上の義務付けをするというものです。しかしこれは、憲法の考え方からすると違和感あるアプローチです。そこで、むしろ、憲法は国家を義務付けるという伝統的なアプローチから、この問題を考えてみる必要性を指摘しました。
 
2つめの仕組みは、多様な個人の、多様な生き方を尊重するための立法や政策がアウトプットされるような統治機構のあり方を考えようというものです。日本はマジョリティ以外の人々にとって、非常に生きづらい社会なのではないか、さまざまな制度がマイノリティの人々に対応できていないのではないかという問題意識が背景にあります。
 
印象的な例を挙げると、2013年(9月4日)に違憲決定が出た非嫡出子(婚外子)の相続分の差別だとか、2015年(12月16日)の判決で合憲とされた夫婦同氏制が典型です。違憲性が争われているような制度で、諸外国では既に改革され、制度が残っているのは日本だけという状況になっています。相続分差別は辛うじて、裁判所が違憲だと言ったわけですが、夫婦同姓、同性婚はもちろんのこと夫婦別姓であっても、裁判所は「これは民主制プロセスで解決すべきだ」と言っています。その他に、在日外国人の差別とか劣悪な処遇といった問題も、政治部門はそこにあまり反応していません。
 
これらは、外国人政策、家族政策とか個別政策分野における政治の認識不足というだけではなく、やはり、日本の統治機構における構造的な問題と繋がっているのではないかと感じます。たとえば、政権交代がなされない中で、その政治に反映される声と反映されない声が非常に固定化している。その一方で、裁判所などその他の専門機関の政策への影響力が弱いということが案じられる。
 
こういう問題意識で、私の論考では、独立機関を強化すべきだとか、マイノリティの声をより直接的に国会などに表出させる請願権の仕組みなどを列挙しています。
 
亀井 先日、PoliTech4 に取り組むベンチャー企業の方と話をして面白いと感じたことがありました。私がその方に、「オンライン上のいろいろな意見を多数決でなくAIで解析して、どんな意見が中心なのか、左/右、Yes/Noで対立するのではなく、両方で合意できるのはどこかといったことをテクノロジーの力で抽出する。あるいは、少数派が意見でき、そこから大事なことを積極的に取り上げるしくみを意識して作ったらどうだろうか?」という話をしたら、その方は、「私たちはそんな発想がなくて、多数派形成に影響力をもたらすことばかりを考えていました」という話になりました。
 
曽我部 多数決は最終的には外せないけれど、どの段階で多数決に持っていくか。デザイン上の問題ですね。
 
亀井 まさに。現在の問題の一つの要因は、多数決へのこだわりが社会全体に徹底されてしまっていることです。研究会でも議論しましたが、本来、対話や熟議、ロトクラシー(くじ引き民主制)といった様々な合意形成の手段があるはずですが、政治家だけではなく、社会全体として、急いで結論を出すことができる多数決に偏りすぎです。最初からYes/Noに分断させてしまう。少数派の声をかき消してしまうのです。
 
人は簡単にYes/Noを決めることに慣れていません。多様な意見を耳にしながら、他人の意見を参考にすることもあるでしょう。また、まったく異なる意見を聞きながら学ぶこともあるでしょう。最初からYes/Noの判断を強いるのではなく、多様な考えが混じりあうアゴラとしての場をきちんと作って、その上で少数派の意見を踏まえた合意形成ができるようになっていけばよいなあと思います。そういうデザインが求められているのではないでしょうか。
 
曽我部 そうですね。直接民主制だと国民投票に話が行ってしまいますが、国民投票にはいろいろ問題があります。特に、問題を非常に単純化し二者択一化してしまうところには注意が必要でしょう。そこで私の論考で提案したのは請願権(憲法16条)です。亀井さんはアゴラと仰いましたが、その場に国民の声を集める、政府に国民が具体的な政策課題をインプットすることが重要です。
 
上田 統治機構改革1.5&2.0』に続く『憲法論3.0』では、デジタル化などの環境変化の中で、憲法がどう対応するかが主な論点でしたが、私の論考は、3.0に至るために不可欠な1.5や2.0で議論された統治機構のあり方について、モデルとされた英国の実例を踏まえ検証しました。
 
平成の政治改革と統治機構改革は、イギリスをモデルに小選挙区制にして政権交代を可能にし、与党と内閣が一致して首相のリーダーシップで政治を進めていくような図式で進められました。
 
一方、やり残しや全く触れられず残された課題があります。今回の論考では、それを指摘したつもりです。具体的には、国会(議会)の機能に焦点を当て3点を論じました。
 
1つめは、立法過程そのものです。日本では、法律も予算も国会に法案を上げる前に、与党の事前審査で全て内容を詰め、国会審議に突入していきます。国会で法案が修正される場合も稀にはありますが、基本的にすべての内容は、国会審議が始まる前に決まってしまっています。イギリスは議案を提案してからも議会において開かれた形で議論するし、提案前の段階でも草案を公表し議会で1回揉むこともあります。国民から多様な声を聞いて、練り直して、国会に出して、議会でも庶民院、貴族院で修正を加えながら法案を練り上げていく。その過程で法案がどんどん変わっていきます。それによって不整合が起きてしまう恐れもありますが、議会が開かれた討論の場、いわばフォーラムとして機能しています。
 
2つめは、イギリスにおける議会による政府統制、日本で言う行政監視機能です。イギリスの政府統制もその質についての評価は分かれますが、少なくとも、かなりの量の報告書が出されています。よく言えば、それが中長期的な政策変更に繋がっており、そこに与野党の垣根を超えた平議員による議論が寄与しているのではないかということを述べました。
 
3つめは、政治家、議員、大臣、そして官僚の立場、役割分担の仕切りについてです。イギリスではそれなりにしっかりしているように思います。日本でも最近、官僚の働き方の面から仕切りがクローズアップされています。政治家、官僚それぞれの役割は一体何なのか。党首討論が制度としては導入されましたが結局、機能していません。その辺をきちんと議論して、やっていく必要があるのではないかということを述べました。

亀井 日本では、政治学者も民間人もメディア関係者もみんなが二大政党制に想いを掛け過ぎてしまいそれができなかった状況、つまり、そうした場合についての思考停止状態が続いているように感じます。二大政党制が実現しなくてもできることはあるはずですし、二大政党制は別にしても、国会はきちんと開かれたものでなければなりません。法案や予算案を与党において事前審査しているなら、そのプロセスはもっとオープンでなければならないでしょう。二大政党制でなくとも、国会ではガチンコに議論して、どちらの法案が、そして、行政を率いる次の内閣にどの政党が相応しいか、その有能さをきちんと競い合って欲しい。
 
こうしたことが、現在の国会審議には見えません。私の論考にも書きましたが、党首討論は瞬間的にやっているだけ。振り返ってみれば、実際の党首討論の回数、時間は驚くほど少ない。国民から見れば、どちらが有能かを判断する材料にはなりません。
 
ウエストミンスター制度が日本の手本になるのかどうかは分かりませんが、諸外国での知恵を参考にしながら、日本でもっと良い立法制度にして欲しいですね。上田先生は論考の内容は『憲法論3.0』の大前提として不可欠な話です。

上田 国会改革は、平成の統治構造改革で残された課題です。国会議員が自分たちで自分たちのやり方を改めなければならないという点で困難な課題なのですが、立法手続をはじめ、見直すべき点は多いと思います。

大屋 私の論考は、要するに、地方自治に関して2つの大きな潮流があるのだけれど、どちらも割と現実を見ていないのよねという話になります。1つは、1980、90年代以降の地方分権改革で地方に権限を落とし、市民に近いところで行政をやれば上手くいくという信念に基づいた政策展開があったこと。他方で、それが今回のコロナ禍でかなりの部分のしくじりを発生させたのも事実だったということです。
 
公平のために言うと、国が法律で規定し自治体に期待していた行動より、遥かに上手く対応する自治体は存在します。墨田区のコロナ・ワクチン接種はその典型例です。その一方で、全くダメだった自治体もありました。上手くいった自治体と上手くいかなかった自治体がハッキリしてしまった。その中で、自治体が統一した行動が取れない、非常時に対応出来ないというので、とにかく地方分権は間違いだった、国に権限を全部集めれば上手くいく、というような事を言う人たちが、また出てきてしまいました。
 
これは曽我部さんが言ったこととレベルは違うけれど、地方分権に対する強い信念をもって政策展開してきた人も、地方分権は間違いだったと言う人も、どちらも地方自治体の多様性を見てないよね、そこにある地方の現実というものを、どちら側もきちんと受け止めていないのではないかということは、私が非常に言いたい所です。
 
典型的には、地方分権の受け皿として考えられた自治体の市というカテゴリーがあります。ここは一番酷い。一番大きな市の人口は377万人で、一番小さい市は0.4万人です。それだけの多様性があるのに、機械的に権限を配分しても上手くいくことはまず有り得ないわけです。かつ、自治体は彼らなりに現実的な工夫をします。水平連携でやっていくとか垂直補完で処理するとか。要するに、上が考えた表向きの理屈による権限分配を、下で現実的にいかに破綻させずに処理するかという工夫をやっているのです。
 
国が把握しきれない何かが現場で起きていることもある。地方制度調査会で確認したところ、地方自治法で想定されている自治体の連携方法は、一部事務組合や広域連合のケースが圧倒的に多いけれど、民間事業者に民法上の業務委託で投げているとか、あるいは、業務破綻を法外の手法で回避しているケースもあります。後者については、2週間以内に内容を審査すると書いてありますが、住民らが申請窓口に来ても、「ちょっと忙しいから、来週に来て貰える?」みたいな事例があるわけです。
 
こうした実態を踏まえた上で、どのように具体的に改革するかをきちんと考えるべきで、上田さんの問題意識とも近いですね。二大政党制もそうですが、ウエストミンスターというハコを上から入れたら、政党もそれに沿って動くはずだし、それに従って各候補者が整序されていくはずだし、二大政党制の片方になれないなと諦めたら大政党に合併されていくはずだ、あるいは、国政でこうやったら地方もついてくるはずだと、ハコを作った当時の人は考えていたと思います。
しかし、そうした動きは起きなかった。上に政策があれば下には対策があるのです。その中で、上の想いだけでハコを作れば、みんなその想いを汲み取って動いてくれるはずだと思うこと自体に、結構な問題があるように思います。
 
それを、実例を踏まえてご紹介したのが今回の論考です。コロナ禍で保健所がパンクしたことがあちこちで批判されていますが、彼らなりに業務を効率的に遂行するために、他業務や部局統合を進めた結果という側面も大きいわけですよね。そういったさまざまな問題が起きる中、国から地方自治体まで、いかにレジリエントな組織を作っていくかという観点を持って、軽挙妄動に走らない組織づくりを考えましょうよというのは、私が一番言いたかったことです。

亀井 大屋さんの指摘された点については、本当に軽挙妄動が多いと感じます。議論が「できた/できなかった」「足りた/足りなかった」・・・というように自分が見たところだけから評価が二極化してしまうのも次なる具体策の検討には役立ちません。

大屋 仰る通りです。簡単に言うと結局、両方を見ている人があまりいないのです。都市部だけ見ている方々と農村部だけしか知らない方々との間で、議論が延々とスレ違いを続けているのです。
 
都市部と農村部を繋げる地方議員の役割というか、地方議員と国会議員の関わりが薄れてきているように思います。それはある意味、二大政党制と小選挙区制の弊害なのではないでしょうか。

亀井 それはすごく感じますね。いわゆる党人派のタイプの政治家が減ってきていますし、市町村議会や県議会を経て国会議員になる人が最近、減ってきています。

曽我部 それは、議員のなり手がそもそも少ないことと連動した話ではないでしょうか。二世国会議員は、教育もきちんと受けているし人脈もあって、もの凄いリソースのある人たちです。だから、放っておくと彼らが国会議員になっていきます。
 
他方で、そういうバックグラウンドが全く無い人には、選挙に出るリスクも含めてそもそも競争条件が整っていない。その上、政治家になるルートが非常に狭い。だから、普通の勤め人はなかなか選挙に出られません。
 
そういう意味で、政治家のなり手を集める仕組みが必要だと思うし、やはり、党内で政治家を育てる仕組みですよね。大臣や与党幹部にまでなって初めてパワハラ体質が取り沙汰されるのはやはりおかしいと思いますね。議員になるための門戸の開放と育成の仕方が大きな問題です。

大屋 それは大きな論点ですね。ここまで政治が大ごとになってくると、つまり、社会が複雑化して統治という仕事が大変になってくると、特に、国政の政治家の専門化は避けられないところがあります。やはり、統治に必要な学術的な知を受け継いでもらわないといけません。
 
そういう意味で、政治学の訓練をものすごく受けた人が、政治家を職業として継承して行くこと自体は悪くないと思います。でも、そればかりで良いかという曽我部さんの問題提起は正しいと思いますし、そうした政治専門家はきちんとした入力があるからこそ機能し得ます。
 
その入力を担保するのが本来は、党組織のはずです。だから、まず政党支部が一番下の住民から、次に地方議員からの情報を党本部が吸い上げてそれを政策形成へ展開させる。そういうシンクタンク機能が党本部にないといけないはずなのですが、それが非常に薄弱です。これが今日の政治の本質的課題ではないでしょうか。
 
たとえば、共産党の中央は、かなりきちんと下から意見を吸い上げ、現在の社会の需要を把握し政策展開しているわけです。たとえば、今夏の参院選では、表現規制関係の政策提案を変えてきていました。一旦決めると融通が利かない欠点もありますが、下から話を吸い上げて政策形成する力は凄いですね。

亀井 そうした政策形成プロセスは公明党も強いですね。地方議員と国会議員の連携も強固です。維新が同じような形を目指しているようですが、一部幹部への権力集中という形で異形化していて、今後の党首交代によってどのような変化が生じるのか、しっかり見ていきたいところです。私が今回の論考で着目したのは政党の機能です。政党は国民と政治の接点であると同時に、政治家を発掘し、政治の専門人材として育成し、ポストを与え登用させる重要な機関であるということです。ものすごく大事で、これは憲法課題の1つだと考えますが、当事者である政党自身も含めて、なかなか議論が深まりません。
 
一部の政党は、地方組織を充実させ、政策課題を吸収し、その解決策である政策をきちんと伝えていくことを含めて熱心にやっています。彼らは政策をしっかり浸透させていくこと、そこでどんなに反応があったのかを党上部に持っていくといった系統立てた組織を構築していかねばなりません。公明党が政党としての機能が高いのは、支援者が厳しいからです。自民党は、公明党から学ぶことが多いはずですが、学び切れていない。他の政党も全く学べていないのではないでしょうか。
 
大事なことは、政党がきちんと開かれたものになることでしょう。上田先生が仰った事前審査の公開にも繋がりますが、政党に関する議論をもっときちんとしなければなりません。

大屋 全くその通りで、政党は憲法体制上の空白になっています。政党に関して明確な規定を置いていない。政党助成法で助成対象としてだけ規定されていて、定義も条文もないという不思議な状態になっています。
 
議会内の本体は会派です。会派は、自然発生的なものとして議院自律権の範疇であり、法的統制の対象ではない所から始まっています。他の先進国では、会派が議会の外に漏れていって組織化された政党というものに成長し、やがて、政党に対する規律と保護、助成というものが制度化されていきました。その意味では、日本国憲法は古い。会派を元にする体制の下で法的に動いている。ここも、統治構造に策定時の想定と現代のズレが生じている。だから、ここをきちんとすべきだと思います。ただ、手を出すと明らかに火傷する課題なので、誰も口を出したがりません。

曽我部 今の話は、政党の位置づけに関する憲法解釈にも関連する話だと思います。政党の位置づけに関する憲法学説は極端に分かれています。一方では政党の結成や活動の自由は結社の自由(憲法21条1項)によって保障されており、しかも、政党は政治に関する結社なので、数ある結社の中でも極めて高い自律性があるので法的な規律に馴染まないという議論があります。他方で、政党は国家の意思形成に関わる公的存在だから、政党法を含めてきちんと規律の対象になるべきだという意見があります。
 
憲法学説でも両論があって、互いにうまく像を結ばない状態になっています。大屋さんが仰った通り、これは日本国憲法に古典的な規定しかないところに起因しています。ですから、1つの解決方法はやはり、憲法で何らかの提案をするということにはなるけれども、そのためには難しい問題、憲法規定上の背景があるということも補足したいです。
 
上田 憲法で政党を規律できるとしても、それで公明党のような政党ができるかと言えばそういうわけではありません。法で規制すれば直ちに上手くいくわけでもありません。では、どういう仕組みで政党を誘導していけば良いでしょうか。政党のあり方について公の場で議論するだけでも良いのでしょうか。正直なところ、その辺の掴み方が見えていないですね。
 
亀井 まずは、政党自身が自分たちが統治構造の一部を担っている、与野党それぞれの担い方があることを自覚することが必要でしょう。自覚がない人に、いくら法律ができましたからと言ってもほぼ無意味です。今後の憲法議論に向けて、引き続き、こうした問題も提起をしていきたいと思います。
 
※【後編を読む2022年9月8日掲載
 

【関連報告書】

【提言報告書】PHP「憲法」研究会『憲法論3.0 令和の時代の「この国のかたち」』

BOOK1_2

<詳細はこちらから>
政策シンクタンクPHP総研

 
4 Politics(政治)とTechnology(技術)を組み合わせた造語。テクノロジーを活用して政治の変革を目指す取り組み。具体的には、インターネットやSNSを利用して、世の中で話題になることをオンライン上で議論したり、問題提起や情報の収集・発信をしたりする取り組みが挙げられる。

関連記事