ソーシャル・キャピタルが復興を確かなものに
熊谷哲(PHP総研主席研究員)
日本社会の未来につながる可能性
熊谷 復興構想会議で当初うたわれていたのは、東北をただ元に戻すという意味の復興ではなくて、新しい日本の社会の姿をかたちづくって全国に発信する、ということでした。私も被災地出身なので、震災前に突き破れなかった壁を乗り越えてむしろ一皮も二皮もむけた故郷に戻れるなら、戻さなくてはという思いが強いのですが。
藤沢 簡単ではありませんが、可能性もあると思っています。例えば、復興がどれだけ進んだかという調査によると、復興していないと思っている人は、近所づき合いが減った人では約43%。これは、近所づき合いが変わってない人に比べて倍以上なんですね。
熊谷 興味深い数字ですね。復興の捉え方や評価は、心に起因していると。
藤沢 中越震災や阪神大震災でも一緒で、まちがどう変わったかということよりも、周囲との人間関係や人づき合いが実は重要で、その部分が取り戻せている人は復興を前向きに捉えられている。そうでない人は、周りはきれいになっていくけれど、自分だけが復興してないという気分になってしまうのです。
熊谷 取り残されている印象がある。
藤沢 社会関係資本、あるいはソーシャル・キャピタルという社会学の概念があります。人々の信頼関係・ネットワークが社会の効率性を高めるという考え方です。まさに東北でも、ソーシャル・キャピタルがある地域かそうでないかで、被災者の復興感が変わってくると考えられます。
熊谷 いろいろな地域でそういった活動やチームづくりが進んでいますよね。釜石市では釜援隊をはじめとして積極的な活動が続いている気がするのですが、何か他と違っていたところはあるのでしょうか。
藤沢 岩手では釜石、宮城では女川、福島ではいわきのあたりは、非常に新しい先進的な動きが多いと感じます。例えば釜石は、新日鉄の城下町だった時代から、よそ者を受け入れるオープンな風土がありました。
熊谷 この間の様子を見ていると全然違いますね。もともとの土壌なのか、震災をきっかけに「変わろう」という意志が前面に出たのか、あるいはその両方なのかはわかりませんが。
藤沢 震災直後に当時最年少の副市長を財務省から招き入れたのも、あるいは私たちのようなコーディネーターを受け入れたのも、オープンな姿勢があったからでしょう。新しい動きをどんどん取り入れて、巻き込んで、復興に向けて進んでいるという印象が強い。これは女川でも、いわきでも、似た状況があります。
熊谷 それに比べると、平成の大合併をした自治体では、負の遺産と言ってはいけないのかもしれないけれど、住民感情にも複雑なところがあるし、いろんな面で困難を抱えてしまっているように見受けられます。
藤沢 山古志村の例でいうと、中越の震災が起きた翌年の2005年に長岡市と合併しているんです。震災直後は長島村長(現復興副大臣)が先頭に立って役場が緊急対応にあたっていましたが、長岡市と合併後に震災が起きていたら、同じ対応はできなかったと思います。
熊谷 意図的に差別化しているなんてことは全くなくて、役所も最善の選択をしているつもりで、良かれと思ってやっているはずなんですね。ただ、その思いがうまく行き届いていない。「昔はこんなことはなかった」という思いが打ち消されずに、復興しているのは中心部ばかりで周辺地域は置いていけぼりだという話が、4年経った今でもあちこちで耳にします。
藤沢 難しいですよね。行政の方も真剣にやられているのもわかるので、環境的な要因が非常に強いのだと思いますけれどね。本庁のほうで統合的に考えるよりは、地域ごとに主体的に復興のあり方を考えていく仕組みとか、予算を配分して地域の裁量で使えるような仕組みとか、そういうことができたらいいなと。
熊谷 その間をつないで新しい価値をつくり出していくところに、藤沢さんたちのめざすところがある。
藤沢 外部の力を取り入れてまちができていくといいだろうし、そういう人の関係をベースにしたまちづくりが実は復興に大きくつながるのではないかと。インフラももちろん必要ではありますが、この目に見えにくいソーシャルな部分の支えやしくみが、将来を見据えるとさらに重要なことだと思っています。