「日本外交の志」をたてるとき

谷内正太郎(富士通フューチャースタディーズ・センター(FFSC)理事長/元国家安全保障局長) 聞き手:金子 将史(政策シンクタンクPHP総研代表・研究主幹)

本稿は『Voice』2022年4月号に掲載されたものです。

中国が台頭して米国主導の現状秩序に挑戦するなど、大きく変わりはじめている国際秩序。日本外交にとってもターニングポイントを迎えているいま、きわめて不確実な世界を生き抜くうえで、日本はいかなる針路をとるべきだろうか。国家安全保障局の初代局長を務めた谷内正太郎氏に聞いた

戦後日本外交のターニングポイント

――(金子)谷内さんが外務省に入られたのは1969年のことです。まず、入省当時の日本をめぐる国際情勢について振り返っていただけますか。

谷内:1969年は、日本に外務省が設置されてからちょうど100年の年でした。私自身、非常に良い時期に入省したと感慨深かったものです。一方で世界に目を向ければ、ベトナム戦争の泥沼化とともにアメリカの行く末が不安視されていました。

1969年7月、当時のニクソン米大統領はグアム島で「ニクソン・ドクトリン」の原型を発表して、同年11月に一般教書演説を行ないました。私が考えるこの演説の最大のポイントは、国家の防衛は当事国がprimary responsibility、すなわち第一義的責任をもつと強調したことです。当時の日本は「吉田ドクトリン」に則って、防衛を米国に依存することで、経済発展に専心していた時期でした。それだけに、その前提を揺るがすニクソン大統領の言葉は衝撃をもって受け止められました。

それまで米国といえば、あたかも平和の守護者かのような役割を自認する存在でした。しかしベトナム戦争という挫折を経て、その姿勢が崩れ始めてしまいました。その米国の変質は、後にオバマ大統領が口にした「米国はもはや警察官たり得ない」という言葉につながります。

――谷内さんはその後、2019年に国家安全保障局長を退任されるまで、半世紀にわたり日本の外交・安全保障に携わってこられました。その経験から、戦後日本外交のターニングポイントをどう認識されていますか。

谷内:象徴的な年を挙げるならば、やはり1989年になるでしょう。ご承知のとおり、冷戦秩序が崩壊して米ソの2極構造が終わりました。それ自体はもちろん肯定すべき出来事ですが、結果として民族や宗教同士の対立が噴出したのも事実です。そのほかに目を向けても、中国で天安門事件が起きましたし、日本では昭和が終わり、7月の参院選で自民党が大敗を喫してのちの非自民党政権誕生を招きました。

私自身の経験でいえば、経済貿易摩擦の最終局面であった日米構造協議(1989年9月)は、当時ワシントン大使館の経済班に在籍していたのでよく覚えています。このときの米政府内や言論界のジャパン・バッシャーたちの対日姿勢は、とても同盟国に対するものとは思えませんでした。

やや話は飛びますが、2016年にトランプ大統領が当選された直後、トランプタワーにクシュナー大統領上級顧問(トランプ氏の娘婿)を訪ねたとき、80年代の経済摩擦に話題が及びました。印象的だったのは、私が現在の国際社会には解決のメカニズムとしてWTO(世界貿易機関)があると口にしたところ、それまでエレガントな態度だったクシュナー氏が突如として豹変して、WTOのようなマルチな枠組みは信用していないと語り始めたことです。TPPに関しても明確な理由づけもなくナンセンスだと話していて、どんな政権になるのか案じた記憶があります。

――初めて伺うお話です。

谷内:話を戻すと、戦後のターニングポイントという意味では、湾岸戦争にも触れなければいけません。当時の日本は、米国の同盟国としての責任を果たしているのか、国際社会の平和と安全に対して役割を担っているのかという2つの問題に直面しました。世界からは「一国平和主義」「一国繁栄主義」と批判され、日米同盟の崩壊さえ危惧されました。その危機感から「普通の国」になるべきか否か、この先も「吉田ドクトリン」で通用するのかなどが議論されたのです。遅きに失した感はありますが、わが国でもここから徐々に国連の旗のもと、また日米同盟を基軸として国際秩序の維持に積極的に対処していく発想が生まれていきました。

テストで「優」をとれたイラク戦争

――湾岸戦争の約10年後に起きたのが、2001年の米同時多発テロ事件です。9.11とイラク戦争については、谷内さんはどう定義していますか。

谷内:当時の米国は、ある意味では戦後最大の国力と国際的な影響力を保持していました。その米国の資本主義と軍事力をそれぞれ象徴する世界貿易センタービルとペンタゴンが同時に攻撃されることは、彼らからすればまさに驚天動地の出来事です。のちに「テロとの戦い」とは何であったか議論されることになりましたが、あの時点で米国が戦略的思考を立てる前にタリバンを倒すと考えたのは、無理からぬことだったように思います。

私の発想でいえば、先ほど申し上げた湾岸戦争は、米国との同盟国としての役割を担いうるかを問われた「第1次テスト」でした。そして日本はその試験を落第点ギリギリの「可」でパスしました。その観点でいうと9.11は「第2次テスト」であり、今度こそは優をとらなければ、日米同盟に大きくネガティブな影響が生じかねない状況でした。9.11当時は外務省総合外交政策局長、翌02年10月からは内閣官房副長官補を務めていましたが、少なくとも私はそんな危機感を抱いていました。

こう話すと、いかにも対米追随的な思想だと指摘されるかもしれません。しかし、日米同盟がわが国にとってかけがえのない財産であることは明白です。ですからその基盤を強化することは、対米追随というよりも国益のために必要だったと確信しています。現実に、当時の小泉純一郎総理は明快かつ迅速に米国支持を決めました。

――当時からイラクが本当に大量破壊兵器を保持しているか否かが議論されていましたが、2003年2月のパウエル米国務長官の国連報告を経て、戦争開始が決定づけられました。当時の日本はどのような判断のもと米国を支持したのでしょうか。

谷内:主としては米英の情報を信頼して、政治的に支持に踏み切りました。小泉総理は「こういうときは持って回った言い方ではなく、『支持する』と端的に言うべきだ」というお考えでしたが、私は政治家らしい良い判断だったと認識しています。同盟国として、あの時点で米国と足並みを揃えない選択肢はありえません。そして、イラク特措法に基づいて、自衛隊に人道復興支援や安全確保支援を活動していただいた結果、当時の日本のパフォーマンスは国際社会から非常に評価されました。その後の良好な日米関係は周知のとおりで、湾岸戦争のときとは異なり、テストで「優」をとれたと考えてよいでしょう。

米国のリーダーシップの陰り

――昨今の国際秩序はどうご覧になりますか。なかでも中国の台頭が大テーマとして浮上しています。

谷内:深刻度を深める米中対立が、世界に大きな影響を与えているのは明らかです。戦後の国際秩序は基本的に二極構造といわれてきましたが、あらためて振り返るならば米国の圧倒的な軍事力や経済力、ソフトパワーがリベラルな国際秩序を牽引してきたことがわかります。

米国の外交には大きく3つの柱があって、1つはNATO(北大西洋条約機構)や日米同盟など米国主導の安保システム、もう1つはGATT(関税及び貿易に関する一般協定)やWTOなどの自由で公正な貿易システム。それから3番目が、自由や人権などいわゆる普遍的価値です。しかし、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争、そしていまご指摘のあった中国の急速な台頭により、米国のグローバルなリーダーシップに陰りが生まれています。その流れを決定的にしたのはやはり、トランプ大統領の登場でしょう。

――トランプ政権誕生以降、米国を依然としてグローバルリーダーとして認めうるか、多くの国や人が疑問視するようになったのは否定できないように思います。

谷内:トランプ大統領はいま挙げた3本柱のいずれも軽視していましたから、世界のそうした反応は不思議ではありません。他方で現在のバイデン大統領はトランプ大統領の逆張りをしていて、彼の政策をひと言でいえば「America is back」、すなわち米国の国際的なリーダーシップの再生をめざしています。しかし残念ながら、パンデミックの影響も相まって米国内の分断状況は深刻です。

――国連などの国際組織が機能不全に陥っているとともに、民主主義などリベラルな国際秩序を支えてきた思想が訴求力を失ったとも指摘されています。

谷内:ここ数年でグローバリゼーションの勢いが減速し、グローバルなガバナンスの力が弱まって分断や対立、混乱が生じています。こうした状況に鑑みれば、リベラルな国際秩序が復活するとは楽観視できません。

ならば、米中の「新冷戦」の時代が訪れるのでしょうか。この考え方もまた研究者のあいだで疑問視されていて、現在の米中は冷戦期の米ソとは異なり経済的に深い相互依存関係にあります。また、イデオロギーの側面ではバイデン大統領が民主主義と専制主義という対立軸を口にしていますが、現在の混沌とした状況でその設定がはたして生産的でしょうか。昨年12月に開催された民主主義サミットは招待国の基準が曖昧で、皆で民主主義を守ろうという熱気は生まれませんでした。民主主義が守るべき価値であることは疑う余地がありませんが、現在の世界で温度差が生じている事実に目を背けてはいけません。

――米中対立を軸とした国際社会のなかで、日本はどのような針路をとるべきでしょうか。

谷内:米中に代わる超大国になれるとは考えにくいですし、だからといって世界の片隅でひっそりと生きるべきかといえば、それも肯んじ難い。その中間を模索するのが現実的路線であり、つまりは国際社会のなかで相応の役割と責任を果たす「メジャーパワー」として生き抜くことをめざすべきです。大事なのは「パワー」で、国際政治とはやはり力が求められる世界なのです。

画期的だった2008年の日中共同声明の内容

――米中のどちらか優勢なほうに与すればいいという単純な話ではないですね。

谷内:守るべきは、あくまでも日本の国益です。そのためにも、私たちはブレることのない日本なりの座標軸を持たなければいけません。60年代の日本では現実主義者と理想主義者が活発に議論していましたが、前者の代表的人物が高坂正堯先生でした。

高坂先生は当時、日本には皆でともにめざす国民的目標が欠落していると指摘されましたが、「では国民的目標とは何か?」と聞かれたとき、現実主義者は明確な答えを出せませんでした。高坂先生はこの問いに対して「世界秩序のなかでの位置づけ」という言い方もされましたが、私は安倍政権が打ち出した「地球儀を俯瞰する外交」「自由で開かれたインド太平洋」がそれに当てはまると考えます。もちろん、大前提として日米同盟が基軸ですが、しかし米国との関係だけを重視すれば安泰だという視野狭窄では、外交そのものが成り立たなくなると私は思うのです。

そもそも日本の国益が何かを考えるならば、端的に突き詰めればまず国民の生命と財産を守ることであり、まさに国家安全保障です。第2には日本の歴史や伝統、文化、精神、さらには国民性を守り育てていくこと。それから第3が、自由や人権、法の支配など普遍的な価値観へのコミットメントです。

――日本の外交あるいは安全保障を具体的に考えたとき、谷内さんが考える要諦は何でしょうか。

谷内:政策的な話をすれば、繰り返し述べているように日米同盟の堅持ですが、同時に中国とのあいだにも健全な隣国関係を築かなくてはなりません。対中関係について申し上げれば、2008年5月の日中共同声明は実に素晴らしい内容でした。たとえば、「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力する」という文言がありますが、これは現在の中国であれば絶対に許さない内容でしょう。

――谷内さんは外務事務次官時代に日中の「戦略的互恵関係」の構築に携わられ、ご案内いただいた日中共同声明に結実しています。大国化した現在の中国が当時の合意に立ち戻ることは可能とお考えですか。

谷内:日中間には互いに合意している4つの重要文書があります。1972年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約、98年の日中共同宣言、そして2008年の日中共同声明です。たしかに、2008年の日中共同声明の内容をいま引用する機会はありませんが、私はあくまでも有効だと考えていますし、その趣旨が活かされる時代が訪れてほしいと願っています。

現下のパンデミック以前には、習近平国家主席が訪日して「第5の重要文書」をつくるという話もありました。私自身の考えを明かせば、もしも本当につくるのであれば日中共同声明の内容を上回るものでなければ意味がないし、ましてや当時から後退する内容ならば、むしろつくらないほうがいいでしょう。

――戦略的互恵関係の精神に立ち戻るうえで、日本側が意識するべきことは何でしょうか。

谷内:私はいまでは外交の実務から離れているのでこうして自由にお話しできていますが、現場では中国に対して批判的なことをいうだけで対話をシャットダウンされてしまう緊張感がある。まずは、対中外交とはそれだけ難しい舵取りを求められる点を認識するべきです。

ふたたび2008年の日中共同声明の内容に目を向けると、日中両国がアジア太平洋地域に厳粛な責任を負うと記しています。その観点に鑑みれば、南シナ海や尖閣諸島沖における中国の行動は疑問です。衝突が起こらないメカニズムを考えなければなりませんが、しかしそのときに中国はどのみち話を聞かないという前提で接するのか、あるいは対話を積み重ねれば理解してくれるかもしれないと考えるのか。健全な隣国関係を追求するのであれば、やはり後者の姿勢が求められます。

――谷内さんが考える「健全な隣国関係」とは、具体的にどのようなものでしょうか。

谷内:日本にとって中国は経済にかぎらず重要な国です。「自由で開かれたインド太平洋」というコンセプトのもと、協力しうる部分があるならば前向きな方向を模索するべきです。話し合いを厭わない姿勢をみせなければ、中国も日本との会話は無駄だと考えるでしょう。

外交・安全保障における性善説と性悪説

――とはいえ、中国は「力」を何よりも重視するので、日本も何がしかの対抗力を示さなければ、話を聞いてもらえないという側面もあるはずです。

谷内:おっしゃるとおりです。それは中国のみならずロシア、さらにいえば米国との関係についても当てはまる見方です。冒頭で紹介したニクソンの言葉ではないですが、日本自身が防衛力強化の努力をしなければ、国家の防衛はあくまでも当事国のprimary responsibilityだと迫られる可能性だってあるでしょう。

――では、現在の国際政治における「力」とは何でしょうか。やはり軍事力が第一義でしょうか。

谷内:ソフトパワーも大事ですが、ひと言でいえば軍事力を中心とする国力ということになるでしょう。この観点から懸念するのは、たとえばサイバー攻撃について、「いくらなんでもそんなことは仕掛けてこない」と、どこかで考えてしまっている。拉致問題にせよ、北朝鮮の関与が明らかになる前は「さすがに他所の国から若者を連れ去るわけがない」と大多数の国民が思っていたわけです。とくに安全保障の分野では原則として性悪説に基づかなければ危うく、もしも有事が起きてから「あの国を信じていたのに」と口にする指導者がいるとすれば失格です。

――谷内さんが師事された若泉敬先生は「私心なく誠を尽くす」ことを外交でも重視されていました。ある種の性悪説の考えが必要である一方、「誠を尽くす」ことの重要性をどう両立させるべきとお考えですか。

谷内:人間とは基本的にとても複雑な存在で、とんでもない悪人と思われていても、良い部分がゼロということはない。私はそう考えていて、その意味では広い意味での性善説なのかもしれませんね。外交とはとくにネゴシエーションしたり協議したりするときには、一定の信頼関係が必要になります。こちらが嘘を吐けば、相手に対話する価値がないと思われて没交渉になる。だからこそまずは相手に信頼してもらうためにも、誠意を尽くす必要がある。もちろんテクニカルな話として、裏切られたときのセーフティネットの用意も必須です。

後ろ盾となるのは経済力

――対中関係についていえば、日本国内の世論でもかなり厳しい声が強まっており、先ほどお話しになられた習主席の訪日にも反対する声がありました。政治と世論の関係性については、どうお考えでしょうか。

谷内:政治が自分の信念を貫き通すほかに道はありません。現在の米中の交渉のテーブルの雰囲気を推し量ることはできませんが、私が付き合った範囲でいえば、戴秉国元国務委員や楊潔篪政治局委員、また王毅外相も相手の人格を否定するような態度では接してきませんでした。また中国外交の信頼しうる部分をあえていうならば、彼らは鉄の規律のもとで動いていますから、情報の収集力や秘匿する力には目を瞠るものがあります。

――逆にいえば、民主主義国家のほうが国内政治の事情で方針を変えざるを得ない側面がありますから、他国と結んだ約束を守りにくいかもしれません。

谷内:たしかに、民主主義国家同士が二国間関係を安定させることは、その性質上、どうしても難易度が高い。いまウクライナをめぐって騒乱が起きていますが、プーチン大統領のロシアからすれば、西側諸国は冷戦が終わったとき、もう東には進出してこないと約束したのに話が違うと憤っている。当のロシアも平気で嘘を吐くし、力のない相手に対しては上から目線ではあるのですが。

――とくに分断が深刻な米国は、外交に関しても国内の事情の影響を受けて振れ幅が大きく、日本としてもどう付き合うか簡単ではありません。

谷内:米国にかぎった話ではなく、現在の世界ではある種の反知性主義が台頭しています。日米貿易摩擦の時代ならば、ジャパン・バッシャーにしても一応はもっともらしい論文などを書いて日本を批判しましたが、いまは何ごともきちんとした議論が行なわれずに感情的な言葉が飛び交い、フェイクニュースも蔓延している。やはりSNSの普及が大きく影響しているのでしょう。

その象徴がトランプ大統領でしたが、当時の日米関係が上手く回っていたのは安倍晋三総理の功績です。振り返れば、当選直後にいち早くトランプタワーに足を運んだのが大きかったでしょう。いくらトランプ氏でも当時は多少なりとも不安があったはずで、そこに経験豊富な同盟国のトップが訪ねてきてくれた。トップ同士が信頼関係を深めるのはやはり重要であり、安倍総理でいえば習主席との相性も悪くありませんでした。現在の岸田文雄総理に関していえば、私が存じ上げている範囲では誠実な印象を相手に与えられるジェントルマンです。これは国際社会で人と付き合ううえで基本となる資質です。

――先ほど日本は「メジャーパワー」としての位置を固めるべきとご指摘されました。日本のパワーが何かを考えたとき、経済的には厳しい局面が続きますが、外交で日本の存在を際立たせることは可能でしょうか。

谷内:率直にいえば、国力と関係なしに外交にできることはかぎられています。日本はこれまで経済力があればこそ、国際社会でも存在感を示すことができました。G7(先進7カ国首脳会議)で安倍総理の発言力は非常に高かったですが、これは首相を長く務めるという実績と能力に加えて、経済力や科学技術力が背景にあったわけです。もしも今後、日本の強みである力が低下する一方ならば、存在感も比例して落ちてしまいます。少なくとも経済力で世界のトップ5以内には留まってほしいと願わずにはいられません。

再認識するべき日本人の「思いやりの深さ」

――谷内さんからご覧になって、現在の国際情勢に近いと思われる歴史上の時代はあるでしょうか。

谷内:第1次世界大戦前のヨーロッパではないでしょうか。当時は帝国主義の時代でイデオロギーの衝突というよりも国力と国力のぶつかり合いの時代でした。そうしたパワー・ポリティクスは、じつは現在の世界にも重ね合わせることができます。

――そのときに、日本としては当時のヨーロッパのどの国をめざすべきでしょうか。

谷内:参考になるのはビスマルクのドイツで、網の目のように各国と同盟を結び、普墺戦争や普仏戦争などでの勝利を経て国力を蓄え、英国覇権に挑戦しました。とはいえドイツは最終的には敗戦国になったわけですから、その歴史からは野心を抑えることの大切さも学ばなければいけません。また、日本は大陸に進出して痛い目にあったわけですから、自分たちはあくまでも海洋国家であることを再認識するべきでしょう。その意味では、一帯一路や海洋国土というような大陸国家的発想に基づいて強引に海洋に進出しようとしている中国は、危険な賭けにでているように思います。

また、戦後の日本はこれまで1度も戦争をしていませんが、外交面で無難にやってこられたのは、基本的に状況対応型の姿勢を堅持してきたからです。ただし、これだけ変化の激しい時代において、そうした受け身のやり方で通用し続けられる保証はありません。だからこそ、いまこそ自分たちが進むべき座標軸を定義するべきです。

私が外務事務次官を務めていたころ、「日本に外交戦略はあるのか」とよくいわれました。それで当時の麻生太郎外相に月に1度のリーダースピーチをお願いして外交戦略を明らかにしていただき、『自由と繁栄の弧』(幻冬舎)という演説集にまとまっています。

安倍政権時代の「地球儀を俯瞰する外交」「積極的平和主義」「自由で開かれたインド太平洋」のような、他国からも理解や共感を得られる戦略的思考を深めていくことが大事だと考えます。

――守るべき国益について、伝統や国民性なども含まれるとお話しになりました。ただし、これらを言語化して外交政策に反映するのは容易ではありません。日本が大切にするべき価値についてはどうお考えですか。

谷内:日本人の思いやりの深さは、あらためて見直すべき価値ではないでしょうか。私も外交の現場にいたときには、交渉相手が相手の政府のなかでどんな立場に立たされているのかを考えましたし、手柄を立てさせてあげたいと思うこともありました。当然、国益を守ることが大前提ですが、私はつねづね51対49で自国が勝利を収めたと互いが感じられる外交が理想的だと考えているんです。そうした発想をもつ人は必ずしも多くはありませんが、私自身も結果的に、カウンターパートと肝胆相照らす仲になったこともありました。

また、たとえば在りし日の吉田茂は「負けっぷりをよくせないかん」と語っていたといいます。人によっては傲慢な人間だったと評しますが、私はしっかりとした軸をもっていた方だと思います。実際に米国からもっとも信頼された外交官であり、一方でJ・F・ダレス国務省顧問の強圧を跳ねのけています。そうした先達に倣い、日本の未来を背負うような志の高い人間的な魅力のある外交官が、一人でも多く活躍することを願っています。

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谷内正太郎〔富士通フューチャースタディーズ・センター(FFSC)理事長/元国家安全保障局長〕
谷内 正太郎(富士通フューチャースタディーズ・センター(FFSC)理事長/元国家安全保障局長)
1944年富山県出身。東京大学法学部卒、同大学院法学政治学研究科修士課程修了。69年外務省入省。ロサンゼルス総領事、条約局長、総合外交政策局長、外務事務次官などを歴任。2014年1月から19年9月まで初代国家安全保障局長兼内閣特別顧問(国家安全保障担当)を務める。20年4月より現職。著書に『外交の戦略と志』(産経新聞出版)などがある。

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