恣意性なき人権外交の展開を

本稿は『Voice』2022年3月号に掲載されたものです。

各国で広がるポピュリズム、加速する権威主義国による影響力工作。日本は国内外の人権保護のために、ウェストファリア体制を超克せよ

人権外交の矛先の反転

弱者にのみ向けられる刃――冷戦期を中心に、人権外交はしばしばそのように捉えられてきた。西側の先進国は、政治経済的に重要でない国に対しては人権侵害を理由に圧力をかけるのに対し、地政学的重要性のある国や大国に対しては口出しをしないというのが、国際政治で見られるパターンであった。トーゴやシエラレオネ、ハイチやグアテマラなど、比較的小さな途上国で人権侵害や民主化運動の弾圧などが起きると、欧米諸国のみならず日本さえも、こうした動きに異議を唱えて経済制裁を発動した。

これに対し、中国によるチベット人の弾圧、ロシアによるチェチェン人の抑圧、インドネシアによる東ティモール人の虐殺などに対しては、西側先進国が目立った制裁措置を適用することはほとんどなかった。大国に対して発動しない人権外交は恣意的だとして国際社会は批判し、その有効性に疑問を呈した。

この人権外交の構図が現在、反転している。憂慮すべき人権侵害として世界が注目するのは、世界第2位のGDPをもつ中国政府による、香港、ウイグル、チベット、内モンゴルなどでの人権侵害である。ウイグル人の強制労働、香港国家安全維持法に基づく香港での言論弾圧、政府高官からの性的被害を告発したテニス選手の消息不明などの問題に対して、民主主義諸国は関連企業・政府高官に対する経済制裁や北京冬季五輪の「外交ボイコット」などの手段を用いて圧力をかけている。

他方で、カンボジアにおける人権活動家や独立系メディアの弾圧、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領による国軍への利益供与が招いた人道危機など、中国に比して政治経済的重要度が低い国の問題に対しては、国際社会はほとんど対処していない。

対中政策の中心として人権外交が論じられる現在ほど、それが主流化した時代はない。では人権外交はなぜ、大国に対して用いられるほど主流化したのだろうか。外交政策における人権外交の矛先は、なぜこのように反転したのだろうか。そして人権外交のあるべき姿とはどのようなものだろうか。これらの問いに答えるには、まず、現在人権規範を崩壊させている3つの要因を見る必要がある。国内要因としてのポピュリズム、国際要因としての影響力工作、そして加速要因としての情報技術の革新である。

国内要因としてのポピュリズム

人権は第二次世界大戦後に強化されてきた国際規範であり、これが普遍的価値として共有されることで、人権侵害に対するハードルが高まってきた。世界人権宣言に始まり、市民一般の自由権や特定集団の人権を保護する規範や具体的政策が、今日に至る過程で培われてきた。しかし過去15年間、各国内におけるポピュリズムの高まり、権威主義国による影響力工作、そして情報技術の革新が、人権規範を世界的に弱体化させてきた。

根底には、グローバリゼーションの加速による相対的貧困層の拡大がある。米ヴァンダービルト大学が行なうLAPOP(ラテンアメリカ世論調査プロジェクト)によれば、自分の経済状況が良好であると認識する人は、人権保護を支持する傾向がある。これに対して、自身の経済状況が良好でないと考える社会的弱者は、フランシス・フクヤマが著書『アイデンティティ』(2019年、朝日新聞出版)で論じるように、社会の変化や移民の到来に危機感を強め、尊厳の回復を求めて反移民などを掲げたアイデンティティ政治に積極的にコミットするようになった。

こうして21世紀には、各国における経済格差の拡大が、自由主義を否定し少数派に排他的なポピュリズムの波を拡大させてきた。米国では2001年の同時多発テロ事件後にイスラム教徒の排除が拡大したことがこの先例となり、トランプ政権下で移民や女性、黒人に差別的な言動や政策が増加した。インドネシアではジャカルタ州知事選をはじめとしてイスラム・ナショナリズムの拡大が非イスラムの宗教的マイノリティを抑圧し、インドではヒンドゥ・ナショナリズムを用いるモディ政権と与党がイスラム教徒の人権を侵害する法律を次々に制定してきた。人権侵害を主導するポピュリスト指導者は、他国から国内の人権問題を指摘されると、「お前のほうこそどうなんだ(whataboutism)」論法で切り返し、問題をすり替える。

国際要因としての影響力工作

ポピュリスト政権によって弱体化された人権規範をさらに混乱させている大きなファクターが、権威主義国による影響力工作である。ロシアや中国などの権威主義国は、民主主義国社会の開放性につけ込んで、民主主義国内のメディアや企業を買収したり民主主義国内の協力者を利用したりして、プロパガンダや偽情報の拡散を行なっている。そして対象国内で論争の的になる争点について、あたかもこれを巡って激しい対立が生じ、社会が分断されているかのように見せるべく、架空のネット世論を形成している。

論争を引き起こしやすい論点として影響力工作に用いられやすいのが、人権を巡る問題である。米国におけるイスラム教徒への反感を利用して、米国の反イスラム派および親イスラム派のオンラインコミュニティを装ったグループがロシアのトロールによって立ち上げられ、あたかも米国社会が割れているかのような演出が行なわれたこともある。

コロナ下の米国でアジア人差別が拡大した際には、アジア人差別反対を唱えて米国の人権政策を批判するアカウントが中国によって大量につくられていたこともある。豪州戦略政策研究所のアルバート・チャン氏が、「アジア人差別反対(#StopAsianHate)」などのハッシュタグを用いた2021年4~6月のツイートを調査したところ、同じフレーズを掲載しただけの疑わしいアカウントが6,000件見つかり、これらの多くが中国国内のものであったという。ツイッターは中国国内では使用できないにもかかわらず、である。しかもこれらのツイートは、中国政府の勤務時間内に発信されていた。アジア人差別反対を推進する影響力工作は、一見人権規範を強化するように見えるが、これは中国国内におけるより深刻な人権弾圧から目を逸らすためのものであり、人権規範を混乱・弱体化させようとするものである。

加速要因としての情報技術の革新

国内・国外の両者から切り崩されてきた人権規範は、情報技術の革新によってさらにグローバルに後退させられている。SNSの動員力が権威主義体制を打倒させた10年前の「アラブの春」前後には、スタンフォード大学フーバー研究所のラリー・ダイアモンド上級研究員をはじめとする多くの研究者が、SNSを「解放の技術(liberation technology)」と呼んでいた。しかしその後、SNSなどの先端技術は、必ずしもリベラルな価値を支持するばかりではないことが明らかになった。しかもGPSや顔認証などの技術を用いた監視技術の配備も急速に広がり、ダイアモンド上級研究員が指摘するように、これらがもつ抑圧の技術(repression technology)としての側面が深刻化してきた。アジア人差別に乗じた影響力工作の例も、SNSを通じて他国から世論を操作しようとしたものであり、現在の情報技術なしにはありえないものであった。

この分野で圧倒的な存在感を見せているのは中国である。国内における監視から得られた情報は、ウイグル人や香港人などの弾圧に用いられ、中国政府は監視技術を他国にも積極的に輸出している。これに対して国際人権NGO「アムネスティ・インターナショナル」は、各国が他国における監視技術を急速に模倣していると警鐘を鳴らしている。2021年6月9日の『フィナンシャル・タイムズ』紙記事が紹介する米国RWRアドバイザリー社の調査によれば、2009年以降中国のベンダーが関与するスマートシティ契約は144件にのぼっており、契約締結国のほとんどが市民的自由と政治的権利を確保しない国であるという。中国と同様の価値観をもつ政府が、国内の監視を強化し、自由権の抑圧を強める可能性が内包されている。

民主化の波への影響

これら3つの要因は、どの1つをとっても問題である。しかしより深刻なのは、ポピュリズム、影響力工作、情報技術革新の3点が相互に補完・強化し合いながら国境を越えて拡大し、人権規範を世界同時的かつ指数関数的に弱体化させていることである。人権を軽視するポピュリストのドナルド・トランプが2016年の大統領選で勝利するようロシアが選挙介入を行ない、トランプ陣営もロシアと同様にフェイスブックなどの個人データを利用し、マイクロターゲティングを行なってヒラリー・クリントンへの不支持を拡大させたことなどは、この典型例である。

一国内で自由の抑圧を正当化する声が高まると、国の内外に反響し、他国で同様の主張をするアクターと連帯するようになる。2020年の米大統領選に際し、反中的なトランプ主義者に連帯して、日本国内の反中右派の一部がトランプ支持を訴えたことなどが典型的である。そうして反自由の声はムーブメントを形成し、国際規範を変質させ、人権弾圧のハードルを下げてしまう。

こうして民主主義国間で増幅された不寛容の流れは、元来人権意識が低い権威主義国政府の「お前のほうこそどうなんだ」論法をあたかも正当性のある議論かのように見せることになり、権威主義国政府による人権弾圧に歯止めをかけることを難しくしている。ミャンマーでは国軍が少数民族の村々で虐殺を繰り返している。ベラルーシは、移民・難民を政治的に利用してEU(欧州連合)に揺さぶりをかけるという非人道的な行為を行なっている。中国は、ウイグル、チベット、内モンゴルなどで、文化や宗教を奪う政策を次々と行なっているのみならず、ウイグルに対する強制労働や強制不妊を行なっていると指摘されている。

規範がいかに国際社会に影響を与えるかは、過去の経験からもいえることである。サミュエル・ハンティントンは『第三の波』(1991年)において、国際社会で民主化が波の満ち引きのような動きを見せてきたと論じた。日本が民主化した時期は第二の波と呼ばれる時期で、1943年から20年弱しか継続しない、比較的短い波であった。それに対し1974年に始まった第三の波は、フリーダムハウスのデータをもとに論じるならば、少なくとも30年強は続いたということができる。

第三の波は、なぜ第二の波よりも長期間にわたって各国に民主化をもたらすことができたのか。第三の波の原因については、途上国の経済発展やカトリック教会の方針転換など、ハンティントン自身が複数の要因を挙げている。しかしこれらの要因は変化を起こす原因ではあったものの、変化の方向性を定める要因ではない。

変化の方向性を決定し、変化を持続させた根本原因は、人権規範の拡大・強化にあった。この時期には、国際人権条約が発効し、言論・集会・信教の自由といった自由権保護が着々と拡大していった。各国で女性や黒人などのマイノリティの権利が徐々に認められ、子どもや障害者の権利など、さまざまな状況に置かれた人びとがそれぞれ生得的にもつ普遍的な価値として、人権が認められていった。こうしたリベラルな価値観を受け入れた人びとの拡大が自由民主主義を強化し、民主化の波を支えていたのである。

民主主義の第三の波が長期間にわたって継続したことに鑑みれば、反対に、現在見られる人権規範の弱体化は民主化の揺り戻しの波を発生させ、しかもそれを強化・長期化させる可能性が高い。自由民主主義なしには、人権を擁護することはできない。人権を護るための外交には、これまでとは比較にならないリソースを割き、細心の注意を払って遂行する必要がある。

大国を狙う人権外交

これらの現状は、現在の人権外交のあり方にも影響を与えている。ポピュリズムは国や状況によりさまざまな発露の仕方を見せるが、ナショナリズムと結合する場合が多い。ナショナリズムと結合したポピュリズムは国内問題については保守的なアプローチをとる半面、外敵を形成しようとする。そのため人権問題に対するアプローチは、国内における問題への対処を回避しようとする傍ら、外敵のそれについては厳しい姿勢で接する傾向がある。そしてその傾向は、ロシアによる偽情報拡散や中国による戦狼外交の事実が明るみに出るに従い強化され、SNS上でのフィルターバブル(泡に包まれたように、自分の見たい情報しか見えなくなること)によって苛烈なものとなっていく。

ポピュリスト勢力をはじめとする民主主義国のアクターからとくに外敵と捉えられてきたのが、中国とロシアである。どちらも戦後のリベラル国際秩序を切り崩そうと自由・人権規範への攻撃を行なっており、民主主義国と価値観・世界観の点で相対立する。こうした外敵から自国を護ることについては国内右派からの突き上げがあり、左派の側も反対する論点ではないため、国内的にコンセンサスが得られやすい。

こうして人権外交は、国内ポピュリズムの文脈で規定され、疑う余地のない外敵としての中国とロシア、そしてなかでも超大国になりつつある中国に向けられる構図に転換した。トランプの影響が色濃く残る米国で、バイデン政権が中国に対して厳しく対立する姿勢を示すのも、そのためである。

小国を狙い撃ちにする人権外交は弱い者いじめである一方で、大国を狙う人権外交は正義であると考える向きもあるかもしれない。しかし普遍的価値としての人権を人権外交の正当化根拠とするのであれば、国や時代によって人権の価値に優劣をつけることはできない。特定の国を対象とした人権外交には正当性が欠如しているということになる。小国のみを対象とする人権外交も、大国のみをターゲットにするものも、恣意的・政治的であるという点で差異はない。

もちろん、中国政府によるウイグルへの弾圧などは、程度が深刻であり、これを看過することはできないし、すべきでない。

しかしウイグルの人権を擁護する対中人権外交に効果をもたせるためには、この問題のみならず、ミャンマー国軍による民主派や少数民族の襲撃、ベラルーシ政府による移民・難民の政治利用、キューバ政府による民主活動家の抑圧など、他国における深刻な人権侵害についても取り上げる必要がある。また、国内の人権保護状況も改善する姿勢を見せることで初めて、国外に対する人権外交に説得力が生じる。

主権国家体制の拘束を超えて

日本政府も北京冬季五輪への閣僚派遣をしない決定を下し、日本版人権制裁法の議論も行なうとしている。こうした動きを受けて、日本の政策が人権を侵害する国、とくに中国との関係に悪影響を及ぼすのではないかと懸念する声もある。同様の言説は、米国バイデン政権の人権・民主主義外交についても聞かれる。人権保護の推進を主要テーマの1つに掲げた民主主義サミットは、米中を中心とする国際的分断を加速させたとしてメディアから批判を受けた。

人権外交に普遍性をもたせず、これを政治的・戦略的に利用しようとするアプローチは、分断の謗りを免れない。他方、今日ほど人権外交が必要な時代はない。恣意性を排除した人権外交を行なうことが、人権規範の擁護・強化の観点から望まれる。こうした動きは攻撃的な分断のアプローチではなく、守勢に立たされた民主派が、急速に後退させられる人権規範を護るためにとる、守備的な行動である。

日本をはじめとするアジア諸国は、内政不干渉原則を重視し、人権外交を躊躇する傾向がある。しかし国内・国際・技術要因が相互作用を引き起こしている現状に鑑み、他国における人権侵害は自国の人権状況に早晩影響する可能性が高い。トランプがメディアを「フェイクニュース」と呼んで言論抑圧の動きを見せたことを、ブラジルのジャイール・ボルソナーロ大統領やインドのナレンドラ・モディ首相が真似たように、である。

こうした現実を踏まえれば、他国への人権外交は自国の守備のための外交という側面をもっており、これを単純に主権侵害行為と片付けることは妥当でない。

グローバル化と技術革新は、主権国家体制に基づく国際関係のあり方を変容させた。こうしたなかで人権保護を行なうには、国家と非国家主体の協働が必要である。自国社会の安定性のためにも、民主主義国政府は人権分野の市民社会団体に支援を提供し、協力を得て、国内外の人権保護活動に当たる必要がある。

ウェストファリア体制の枠組みで問題を捕捉できない今日、問題への対処方法の点でもウェストファリア体制を超克しなければならない。日本も、人権問題への対処方法を刷新すべき局面にある。

※無断転載禁止

市原 麻衣子/一橋大学大学院法学研究科准教授
市原 麻衣子(一橋大学大学院法学研究科准教授)
ジョージ・ワシントン大学大学院修了(政治学、Ph.D.)。関西外国語大学外国語学部専任講師・准教授を経て、2016年より現職。専門は国際政治、とくに民主主義・人権外交。著作に、Japan’s International Democracy Assistance as Soft Power: Neoclassical Realist Analysis(Routledge, 2017)など。
 

掲載号Voiceのご紹介

<2022年3月号総力特集「北京五輪と人権外交」>

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