「持続可能性」と「経済成長」は両立できる

馬奈木俊介(九州大学都市研究センター長)

本稿は『Voice』2022年2月号に掲載されたものです。

GDPに代わり、経済成長を再定義する「新国富指標」。すでに国や自治体レベルでも導入されているこの考え方が、真に豊かな国造りや地域づくりをもたらす。

GDPを補完する新たな価値

2021年11月、イギリス・グラスゴーで開かれたCOP26では世界の平均気温上昇を産業革命前から1.5℃に抑えるという目標が決定された。ここで注目されるべきポイントの一つは、これまで経済成長を求める傍らで見落とされてきた「自然資本」について、気候変動解決対応策と同時に生物多様性の保全にも目を向けることが重要であると指摘された点だ。

COP26に先駆けて、2021年6月には国際的なイニシアティブとして、企業の事業活動がもたらす自然資本へのリスクと機会を適切に評価、対外的に報告できることをめざす自然関連財務情報開示タスクフォース(TaskForce on Nature-related Financial Disclosures:TNFD)が発足した。

社会がこれまで経済成長を求めてきた背景には、政治哲学上の理由がある。哲学者のマイケル・サンデル(ハーバード大学教授)は、自由な現代社会では人びとは多様な価値観をもつため、政府が国全体で目標とすべき単一の価値観を決めることはできないと指摘する。そのため自由な社会では、価値中立的な経済成長(貨幣で置き換え可能な指標)が社会の目標になる。

20世紀より前の時代は、その産業構造において独立自営農民の精神を育てることと、大企業を振興して貿易拡大をめざすことの争いなど、価値観についての争いが絶えなかった。20世紀以降は、判断を伴う特定の価値観に基づく経済政策は支持されない。すると、目にみえるお金の価値、つまりGDP(国内総生産)、すなわち財やサービスの総量を増やすしかないと考えられた。とくに多様な価値観を尊重する社会では、価値中立的な経済成長が目標になったのだ。

経済成長をめざした結果、現代文明は環境破壊や気候変動という大きな問題を引き起こした。人間社会に目を向けても、富を持てるものと持たざるもののあいだに格差が生まれた。富は集まることによって、さらなる富の集中を生む。その格差が不安を生み、虚勢のための無駄な消費を招く。人びとの自尊心の喪失や治安の悪化、政情不安などにもつながり、結果として格差が社会のパフォーマンスを下げるという点は、イギリスの経済・公衆衛生学者のリチャード・ウィルキンソン(ノッティンガム大学名誉教授)らが著書『格差は心を壊す 比較という呪縛』のなかで指摘するところだ。

GDPとはそもそも、豊かで幸福な社会をめざすための経済発展を測る指標である。しかし、1年間に生産された財やサービスの総額から計算するため、新しい商品やサービス、インフラなどをつくり続ければ自然と増えていく。そこには金銭に換算されない価値、たとえば幸福につながる健康や自然といった豊かさは内包されない。これで本当に、幸福な社会を築けるのだろうか。

最近のわれわれの研究で、日本人のWell-being(幸福・福祉)にとって重要な要素を調査したところ、生活全般に関わる項目では1位「家族との関係」、2位「所得・財産」、3位「生活環境」となった。環境問題に関わる項目では1位「気候変動」、2位「温暖化」、3位「水質汚染」である。

この結果からもわかるように、人の幸福においては経済的な豊かさだけではなく、人との関わりや環境も重要となる。サンデルのいう「自由な社会において経済政策を行なう際の中立的な価値」を新たにつくるためには、これまでのGDPだけでなく、貨幣によって置き換えられない価値をも包摂した新たな価値観の提示が必要になるはずだ。

国レベルで進む「新国富指標」の導入

現在、世界はSDGsの達成に向けて動き出している。SDGsとは以前の国連目標・ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:MDGs)の反省をふまえたものである。MDGsは2000年9月に国連で採択された目標で、2015年までの国際開発目標として8つのゴールが設定されたが、そのすべてが達成できたわけではなく、また地域ごとに達成状況のばらつきがあるなどの課題も残った。

筆者は国連のSDGsの策定に携わってきた。SDGsの特徴は、あくまでも目標であって判断基準を定めていない点にある。もちろん目標設定は非常に重要で、さまざまな効果の進捗を測ることは、達成への道筋の判断材料となる。ただし先に示したように、そのときに必要になるのが、人びとの幸福にとって重要な「みえないものの価値」を測るための指標である。

この「みえないものの価値」を測る指標が、2010年に国連が発表した「新国富指標(Inclusive Wealth Index:IWI)」である。これはすなわち、「現在を生きるわれわれ、そして将来の世代が得るだろう福祉を生み出す、社会が保有する富の金銭的価値」を表す。具体的には、人工資本、人的資本、自然資本から構成され、経済から環境、健康まで包括的に網羅する指標だ(図表1参照)。すでにSDGsの達成度合い、そして地域の豊かさをとらえるための指標として活用されている。

図表1 新国富指標の仕組み

新国富指標では、各資本から生産された「運用益(配当)」を使うことで、現在世代が豊かさを謳歌することと、かつその益を投資することによって将来世代の豊かさまでを担保する。この指標により、インフラなど人工物の資源のほか、地域の教育など過去の人的資本の蓄積や地域の自然資本も評価可能となる。つまり、これまでのGDPで換算されなかった価値も含めて、包括的に富を測ることができるのだ。

以下、海外、そして日本国内の自治体での新国富指標の活用例を紹介しよう。

イギリス政府は、今後数十年の経済成長の見通しに対する生物多様性の損失の影響を調査し、人間と自然の関係の持続可能性を評価する試みを行なっている。2021年には財務省が主導して「ダスグプタ・レビュー(The Economics of Biodiversity: The Dasgupta Review)」を発表している。筆者も関わった本報告書では、自然資本を含むIWIを経済的成功のベンチマーク指標とすることを提案している。

2021年の「世界環境の日」のホスト国を務めたパキスタンは、「パキスタンの新国富:自然資本と再生への投資(Inclusive Wealth of Pakistan:The Case for Investing in Natural Capital and Restoration)」と題した報告書を発表し、自然資本をはじめとする同国の富の価値を分析・評価した。筆者が代表執筆者としてこの国家報告書を取りまとめたが、評価の過程で自然資本の減少が指摘されたため、同国政府は「百億本の木の津波計画(The Ten Billion Tree Tsunami Program:TBTTP)」と名付けた大規模な植林に取り組んでいる。この取り組みは、森林再生と同時にコミュニティの参加、及び雇用創出といった効果が期待されるものだ。

国の豊かさを包括的に測定する指標として、新国富指標を活用する動きは確実に広がっている。ちなみに、これらのケース以外でも、経済成長以外の指標を認知・重要視する動きが広がっていることを示す例がある。

2021年には「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム(IPBES)」と「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が初めて共同報告書を発行した(筆者が総括代表執筆者)。そこでは、生物多様性の損失と気候変動はどちらも人間の経済活動によって引き起こされ、相互に強く影響していることが指摘されている。気候変動対策と生物多様性保全は、脱炭素対策と自然資本の増加を意味する。脱炭素と自然資本増加に対しての対策をそれぞれではなく、ともに行なうことが利益を最大化し、グローバルな開発目標を達成すると提言している。

自治体の「富」を測る

このように、世界では持続可能性へ向けて、人工資本による経済成長の指標に加え、自然資本や人的資本にとっての豊かさの指標を認知する動きが広がり、その重要性が注目されている。

一方、日本国内でも、持続可能なまちづくりとSDGsの達成に向けて、新国富指標の活用が広まっている。SDGs達成へ向けて何をすればいいのかわからないという声も聞こえてくるなか、新国富指標は事業の実施による効果を測定したり、目標値を設定する際に使うことができる。

現在、筆者が所属する九州大学都市研究センターは図表2に示す7つの自治体(および企業を含めて三者)と協定を結んで協力しているが、新国富指標を施策へ取り入れる動きは確実に広まってきている。

図表2 日本の自治体による新国富指標の活用例

福岡県久山町では2017年からSDGsの計測指標として導入し、今後の数値目標まで策定している。同町は九州電力と提携し、新たなIoT技術を活用した子どもの見守りサービスを提供することで、地域社会の安心安全、定住促進、ライフラインの整備、環境エネルギー問題などの課題の解決をめざしている。さらに同町では町内の森林を生かした九州電力による「J-クレジット」を導入してCO2排出量削減に貢献することも検討している。こうした動きが加速すれば町の自然資本は増加し、新国富指標も伸長するだろう。なお、J-クレジット制度とは、省エネルギー機器を導入したり森林を経営したりした際に、CO2などの温室効果ガスの排出の削減量や吸収量を「クレジット」として国が認証する制度のことだ。

宮若市や直方市(ともに福岡県)でも新国富指標が活用されている。宮若市では2020年の「第2期 宮若市まち・ひと・しごと創生総合戦略」の基本目標Ⅳ「持続可能で元気な地域社会の形成」の数値目標として「新国富指標における市民一人当たりの資産額:3100万円(平成27年度)→3255万円(令和6年度)」を設定した。直方市では第6次総合計画基本構想のなかでSDGsや新国富指標を活用し、総合計画の期間をとおして市の持続可能性の推移を評価することを前面に押し出した。総合計画でこの指標が生かされるのは全国初の試みである。同市は地域行政における成果指標(KPI)とSDGsの指標を紐づけることで、各施策での成果指標達成がSDGsの達成(持続可能性の向上)につながるとみている。持続可能性(=SDGsの指標)が向上することは、そのまま持続可能性の評価指標である新国富指標の向上へとつながる。

地域と企業の連携が生む可能性

よりよい地域づくりをさらに加速するためは、企業と自治体がもつリソースをお互いに提供し合う取り組みが必要不可欠だ。

たとえば中間市(福岡県)は、「医学住宅」と名付けた医療に特化する住宅建築を構想している。家のなかでさまざまなセンサーを組み合わせて働かせるシステムで、気づかないうちに徐々に進行する体の傾きなどを日常生活のなかで継続的に測定することで、早めに感知して転倒を防止することができる。アパレルメーカーも関わることで、衣服から人体の情報を得る機能も加わる。中間市は株式会社健康資本、株式会社アステム、株式会社シティアスコムといった医学、システム、コンサル企業と連携しているが、公共性のある自治体はこうした新たな仕組みを構築するうえで大きな役割を果たしうる。

また、現在、国東市(大分県)では、国と連携しながら排出権取引市場を地域からつくろうと模索している。日本は主に技術開発によって「2050年カーボンニュートラル」という目標の達成をめざしているが、現状の推移では到達は厳しい。省エネ・再エネだけでカーボンニュートラルを実現することは難しいのが実情だ。そこで必要性が高まっているのが、温室効果ガスの排出量を削減するとともに、それでも出てしまう分に関しては植林や森林保全などのCO2削減活動で相殺する「カーボンオフセット」の発想である。ある試算では、2030年には30兆円の市場になると考えられている。

しかし日本では、京都議定書における目標を達成するための具体的手段として「J-クレジット」を利用したカーボンオフセットの利用が提唱されてきたが、規制範囲などの問題で広く使われていないのが現状である。そこで、グローバルで利用されている仕組みを活用してカーボンオフセットの促進をめざしているのが、一般社団法人Natural Capitalである。同団体は自治体と連携して農地貯留や森林吸収に取り組み、そうして削減したCO2を自主的に「クレジット」として認証を与えて取引企業に販売する試みを続けている。すでに株式会社ベクトルや株式会社長大、日創プロニティ株式会社といった関係企業がこの取り組みに参画している。

自治体は場を提供し、企業はそれぞれの技術や製品を提供する。そこに大学が加わってそれらの分析を行なうことで、企業や自治体へ還元する。この連携がスピード感のある、よりよいまちづくりやビジネスチャンスの発見につながるはずだ。

金融分野もすでに動き出している。「サステナブル投資」、つまりE(Environment:環境)、S(Social:社会)、G(Governance:企業統治)への投資が世界的に浸透している。日本では「ESG投資」といわれることも多いが、企業に新たな事業機会をもたらすのは間違いない。一方、投資を受ける企業はこれまでより一層、事業を通じた社会課題解決が求められることになる。

地域においてもESG投資へ向けての取り組みが加速している。地銀最大規模の株式会社ふくおかファイナンシャルグループは、「地域経済の健全な成長」に貢献するために、株式会社サステナブルスケールを設立した。企業のSDGsの取り組みを評価・定量化することで、地域の企業の持続可能性を金融面から支援する。地域におけるESG投資が増えれば、社会課題の解決につながり、自然環境などによい効果が表れればその対象地域における新国富指標もおのずと上がる。

真に豊かな地域へと近づくために

近年、気候変動によって引き起こされる「想定外」の激甚災害が頻発している。しかし、経済的富だけではなく、自然や教育、健康まで取り扱う包括的な指標である新国富指標で実態を評価し、真に豊かな地域に近づくことで、少しでも脅威の影響を和らげることはできる。

かつてハンナ・アーレントは、個人の自由な人生が価値あるものとして存立するには、社会全体の価値体系のなかで意味づけられることが必要とした。これまで社会全体の価値体系が経済に重きをおくGDPを主要な指標としてかたちづくられたことから格差が生まれ、不幸の源となった。経済重視の社会の矛盾は、かつては公害、そして現在は気候変動というかたちで表れている。

これからの真に幸福な将来を考えるにあたり、より広い視野で多様な価値をもみえるよう指標化し、伸ばしていくことが求められる。

※無断転載禁止

本論考の掲載号(Voice2022年2月号)の総力特集については『グリーン経済が変える覇権地図―『Voice』2022年2月号総力特集―』でご確認いただけます。

馬奈木俊介(九州大学都市研究センター長)
馬奈木 俊介(九州大学都市研究センター長)
1975年生まれ。九州大学主幹教授、工学研究院教授、総長補佐。第25期日本学術会議会員及びサステナブル投資小委員会委員長。国連「新国富報告書」代表、国連「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」代表執筆者、国連「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム(IPBES)」統括代表執筆者、OECD貿易・環境部会副議長、2018年・世界環境資源経済学会共同議長などを歴任。第16回日本学術振興会賞受賞。主な著作に『新国富--新たな経済指標で地方創生』(岩波ブックレット)、『ESG経営の実践』(事業構想大学院大学出版部)、『幸福の測定-ウェルビーイングを理解する』(中央経済社)などがある。
 

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  • 平沼 光/欧州グリーン・ディールと日本の活路
  • 冨山 和彦/脱炭素革命は日本企業逆襲の好機
  • 馬奈木 俊介/「持続可能性」と「経済成長」は両立できる
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