兵庫県・淡路「日本遺産〈国生みの島・淡路〉」

三浦義崇(一般社団法人淡路青年会議所第59代理事長)

本稿は『Voice』2021年7月号に掲載されたものです。
『古事記』冒頭に描かれる「国生み神話」で、最初に生まれたとされる淡路島(写真提供:JCI淡路)
『古事記』冒頭に描かれる「国生み神話」で、最初に生まれたとされる淡路島(写真提供:JCI淡路)

『古事記』にも記された「特別な島」

関西地方では平年よりも20日以上も早く梅雨入りした、五月半ばの一日。雨上がりの曇天の下で境内を歩くと水蒸気を含んだ空気がひんやりとし、より厳かな空気を感じられた。今回、一般社団法人淡路青年会議所(JCI淡路)の三浦義崇理事長に話を聞く前にまず足を運んだのが、兵庫県淡路市多賀の伊弉諾神宮。JCI淡路のOBでもある本名佑至權禰宜が、伊弉諾神宮の由緒を丁寧に説明してくれた。

「『古事記』『日本書紀』の冒頭にでてくる伊弉諾大神と伊弉冉大神。二柱の大神様を日本のいちばん尊い祖先として敬い、お祀りする日本最古のお社。それがここ、伊弉諾神宮といわれています。そして、二柱の大神様が日本列島の島々を生んでいく『国生み』の伝承は『古事記』の冒頭に記されていることでしられますが、最初に生まれたのが淡路島とされています。そして、伊弉諾大神がのちに淡路の地にお戻りになり、余生をお過ごしになられたのが伊弉諾神宮の地であり、『幽宮』という別名でも呼ばれています」

そう。淡路島とは「国生みの神話」にも記された「特別な島」である。5年前の2016年4月、そんな淡路島が「日本遺産」に認定された。「日本遺産」とは地域の歴史的魅力や特色をつうじて日本の文化・伝統を語るストーリーを、文化庁が認定するもの。淡路島は“『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」~古代国家を支えた海人の営み~”をタイトルとしたストーリーが認定され、その構成文化財は31に及ぶ。

じつは「国生み」の伝承を島全体で共有し、まちおこしを行なうという話は、「日本遺産」への申請前にもあった。『古事記』編纂1300年を迎えた2012年のことで、当時は準備委員会まで設立されたものの話は立ち消えになったという。JCI淡路の三浦理事長曰く、淡路島特有の理由が背景にあった。

「島内には洲本市、南あわじ市、淡路市の3市がありますが、それぞれの足並みが揃わなかった。この一言に尽きます。誤解を恐れずにいえば、淡路は豊かであるがゆえに地域ごとの特色が各市バラバラで、島全体で一つになって何かを発信しないほうが、都合がよかったんです」(三浦氏)

淡路島といえば昨年来、パソナグループが本社を移転することで話題を呼んでいる。このニュースにしても島外の人間は「淡路島」という単位でみるが、島内の住民は淡路島や市よりも字にアイデンティティをもつ。三浦理事長であれば、志筑(淡路市)という具合だ。淡路島は2005年の平成の大合併までは1市10町で構成されていたことにより、各地域の特色が強いのだ。

ただし、これをただ「まとまりがない」と捉えるべきではないだろう。JCI淡路の川越勇輔副理事長が軽妙な語り口で教えてくれた。

「そもそも生業が違うんですよ。たとえば洲本市は商売人気質が強いですが、南あわじ市は農業・酪農が盛んです。当然ですが生活リズムも違う。

先日、3市に1店舗ずつあるピザ屋さんに聞いてみたんです、『どこの店舗がいちばん忙しいですか?』って。僕はてっきり洲本市だと思ったのですが、じつは南あわじ市だという。『なんで?』と聞いたら、農繁期はとてつもなく忙しく、夜はデリバリーを頼んだり総菜を買ったりして済ませるというわけです。洲本市や淡路市とは明らかに地域性が異なります」

バックグラウンドが異なる島民がまとまるには、外からみる以上にハードルが高いのだろう。そこで必要になるのは、市という行政区域に捉われず、横断的かつ柔軟にそれぞれの事情を汲みながら集約していく組織。その役割を担ったのがJCI淡路であった。

バラバラの3市に「一つの芯」をとおす

2014年、JCI淡路の当時の理事長の頭のなかには、すでに「国生みの神話」をコンセプトとしたまちづくりが浮かんでいたという。そしてJCI淡路は矢継ぎ早に活動を進めていく。

淡路島という単位で考えたとき、唯一無二の絶対的な価値はやはり『国生みの神話』でした。もちろん、以前に失敗したことはしっていましたが、それでもまちの中心に据えるには最適と考えたのです。そんな折、期せずして『日本遺産』の話を聞いて、ならばチャレンジしようと話し合った、という流れですね」(三浦氏)

JCI淡路にとって「日本遺産」とはそもそもの目的でなく、「国生みの神話」によるまちづくりを加速させるための手段だった。それは同時に、別の方向を向く3市のあいだに「一つの芯」をとおすことを意味した。

しかし、「日本遺産」への登録は決してスムーズに進んだわけではない。当初は3市それぞれが別々の文化財を推すなど、やはり足並みが揃わなかった。2015年には申請先の文化庁に「架空の話だけでは認定が難しい」という理由で一度は却下されている。

「私は当時の中心メンバーではないものの、3市の魅力を一つのストーリーにまとめる作業には、本当に、本当に苦心したという話は幾度も聞きました。『日本遺産』の申請は自治体が行なう必要がありますが、淡路島はお話ししたような3市の複雑な状況があるので、JCI淡路が汗をかき、段取りを整えざるを得なかった。何ごとも3つの市役所と県民局の4カ所に足を運び、そのうえで文化庁とも話し合いを重ねていったのです」(三浦氏)

JCI淡路の第59第理事長を務める三浦義崇氏
JCI淡路の第59代理事長を務める三浦義崇氏

3市それぞれの出身メンバーがいるJCI淡路にはさまざまなコネクションがあり、多様な組織にアプローチする潜在能力があった。三浦理事長も「出身も業種も価値観も異なる多種多様な人間が集まり、『JCI』という一つの言葉だけで横で繋がっている。それこそが、淡路にかぎらず青年会議所という組織の強みなのは間違いないでしょう」と力を込める。

また、前号で紹介したJCI山口の金子賢二理事長の話ともつうじるが、組織としてのフットワークが軽い点も各地のJCIの特徴だろう。突発的な案件が発生すれば、明日どころか今日にアクションを起こすことも少なくないといい、その精力的な活動には驚かされる。三浦理事長にそう話すと「動けるかどうかではなくて、『動け』といわれるので、仕方ないんです(笑)。でも、それもメンバー同士の結束力があることの裏返しでしょうね」と苦笑交じりで返してくれた。もちろん、そうした涙ぐましい苦労話だけではないですよ――とは横にいる川越氏の言葉だ。

「要するにJCI淡路がいちばんしんどい役割を担ってきた、という話です。あまり自分たちから口にすべき話ではありませんが、とにかく汗をかきましたね。

活動をつうじて実感したのは、月並みかもしれませんが、3市つまりは淡路島全体でまとまればすごい力を生み出せるということ。1市だけではできないことも、3市で必死にとりくめば実現できる。現実の話として淡路島は2016年に『日本遺産』の認定を受けたわけです。3市が一つになることの意義をつかめたのは、日本遺産への認定でもっとも重要なことでした」(川越氏)

JCI淡路が開催した「淡路島くにうみミュージアム」(写真提供:JCI淡路)
JCI淡路が開催した「淡路島くにうみミュージアム」(写真提供:JCI淡路)

「日本遺産」認定後の変化

そうして、淡路島の「国生みの島・淡路」は「日本遺産」に認定されたわけだが、その内容をみれば淡路島の魅力が凝縮されていることがわかる。詳細は淡路島日本遺産委員会が運営するホームページを参照いただきたいが、次の4つのストーリーと31の文化財で構成されている。

1.古事記に描かれた天地創造の物語「国生み神話」

2.金属器時代の幕明けをもたらした「海の民」

3.塩づくりと航海術で王権を支えた「海人」

4.食で都の暮らしを彩った「御食国」

この4つの物語はさまざまな淡路島の魅力を網羅しており、たとえば食目当てで淡路島にくれば4のストーリーに沿ったモデルコースを観光すればいい。当初、構成文化財は40以上リストアップされていたというが、3市の教育委員会の意見を咀嚼したうえで融合し、文化庁とのヒアリングも経て、「申請の直前には寝ずに4つのストーリーを詰めた」(川越氏)という。その甲斐があり、「日本遺産」の認定が決定したあとには、淡路島にくる観光客の意識や反応に変化がみられるようになったという。

「これまであまり見向きされなかった文化財も、構成文化財になったことで観光地としての価値がでるようになりました。また、たとえば伊弉諾神宮でいえば、来られる方の歴史に対する知識度が格段に変わったといいます。これまでは徳島に行ったついでに立ち寄る方が多かったのですが、明らかに淡路島を目的地として定めて足を運んで下さる方が増えたそうです。これはとても有難い話ですね」(三浦氏)

観光地として魅力を発揮するには、一般には4つの要素のうち3つが必要だといわれる。4要素とはすなわち文化、自然、気候、食。考えてみれば淡路島は3つどころかすべてを揃える。文化はまさに「日本遺産」を構成する31の文化財があり、自然は美しい海と四季折々の表情が楽しめる。気候は年間をとおして温暖で、食は海の幸や玉葱、そして淡路牛なども有名だ。三浦理事長もJCI淡路に入り、そうした淡路島の価値を再認識したというが、「日本遺産」への認定はあらためて内外にその魅力を知らしめるきっかけになったのだろう。

「一市運動」を巻き起こしていく

しかし、JCI淡路にとっては「日本遺産」に認定されればそれでお終い、というわけではなかった。「日本遺産」の認定はあくまでも目的ではなく手段であり、実際に認定されたのちも、JCI淡路はその意義や意味を島民に伝えるべく、「淡路島くにうみミュージアム」などの事業を開催したほか、淡路島日本遺産委員会をつうじ、書籍を編んだり、各種パンフレットを作成したり、また「日本遺産フェスティバル」や3市それぞれでのワークショップの開催など多岐にわたる活動に携わってきた。ならば、JCI淡路が最終的にめざしているものは、はたして何なのか。

「私たちは創立以来、『淡路はひとつ』を基本理念に活動してきました。これは平成大合併前の1市10町時代以前から掲げているスローガンです。そしていま、あらためて3市を統合する『一市運動』に注力しています。『日本遺産』での活動では各行政と連携してきましたが、その過程で『一つになればもっと淡路島全体を盛り上げられる』という考えは確信に変わりました」(三浦氏)

「JCI淡路は来年に60周年を迎えますが、歴史のなかで一度たりとも淡路島の1地域を対象にした事業はやっていません。私たちはつねに淡路島あるいは淡路島民全体を対象にしてきました。あくまでも『淡路島』として魅力をどう発信するかが最大のテーマであり、その意味では、いま一市運動を再加速させようとしているのは必然かもしれません」(川越氏)

JCI淡路の三浦理事長(右)と川越勇輔副理事長。伊弉諾神宮にて
JCI淡路の三浦理事長(右)と川越勇輔副理事長。伊弉諾神宮にて

もちろん、3市が合併することにはメリットだけではなくデメリットもある。前述のとおり各住民はライフスタイルも大きく異なるわけで、平成に3市に合併したときには、「いままでは知り合いの町議会議員がいたけど、市になってから距離ができた」「以前は(漁業が盛んな町だったこともあり)水道代が安かったが、合併したら上がってしまった」などという声が上がり、いまだにしこりが残っているという。それでも三浦理事長は一市運動が必要なのだと繰り返す。

「淡路島の皆さんと話すと、誰もが『いつかは1市になる』とはいうんです。80歳くらいの方から若い方まで年齢は関係ありません。ただ、具体的なタイミングについては誰もが口をつぐんでしまう。でも、人口が減って財政難に陥ってから合併するようでは絶対に遅い。おそらくはいかに無駄を削るかという話ばかりになり、ネガティブな印象だけが残るでしょう」(三浦氏)

「逆にいえば、いまの財政規模で合併できれば、ギリギリいろいろなことができると思うんです。3市のあいだで争っていても仕方がなく、行政サービスにしても周辺の明石市や徳島市と比較して、淡路島の住みやすさやポテンシャルを発信しないといけません。そのときに3市ごとに発信していてはどうしても弱い。淡路島が外を向くためにも、1市になるべきだと僕は思う」(川越氏)

そう考えれば、3市を横断して認定を受けることができた「日本遺産」にまつわる活動は、島民の目を一つの方向に向ける意味でも、たんなる観光促進以上の「無形の価値」を生み出しているといえる。

最後にJCI日本(公益社団法人日本青年会議所)が今年のスローガンに掲げる「質的価値」をどう捉えているか、三浦理事長に聞いてみた。

「『Voice』に野並(晃)会頭の話が載っていましたよね(2021年2月号〈若い力が『質的価値』で日本を変える〉、亀井善太郎氏との対談)。会頭は何ごとも数字で表す『量的価値』の限界を指摘していましたが、私はその説明がいちばんわかりやすいと思っていて。淡路島でいえば、人口は右肩下がりですし、経済圏という意味では神戸や明石に勝つのは難しい。じゃあ、どうやって輝くのか。そう考えたとき、歴史など足元にありながら発信できてこなかった要素をパッケージすることは、対外的には淡路島の魅力を伝えることに、対内的には結束を強めて『一市運動』へと繋がるはずです。

日本の他の地域も同じでしょうが、淡路島にも唯一無二の魅力があります。『国生み』の伝承はもちろん、それを『序章』に淡路の歴史を辿れば、多くの面白いものに彩られている島だとよくわかります。ならば、どう発信していくか。『日本遺産』は一つの手段でしたが、これからも答えを探し続けていきたいと思います」(三浦氏)

*     *     *

現在、JCI淡路は淡路島日本遺産委員会での役割をホームページの管理運営など一部にかぎっている。逆にいえば、深くコミットせずとも事業が回るだけ骨組みがしっかりしているということだ。「日本遺産」は一時期、バブルのように各自治体が注力したが、いまも淡路島日本遺産委員会のように精力的な活動を続けている組織は貴重だろう。

まさしく「正の遺産」を残しつつ、三浦理事長の眼差しはすでに次を向いていた。

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