追い詰められる前に手を差し伸べられる仕組みを

NPO法人 OVA 代表理事 伊藤次郎 (聞き手:PHP総研 山田花菜)

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――相談員の方は、皆さんボランティアで活動されているんですか?
 
伊藤:相談員は臨床心理士や精神保健福祉士の資格を持っている者だけで対応しており、報酬はお支払いしています。その原資は個人からのご寄附もありますが、補助金が主となっています。2006年に「自殺対策基本法」という法律ができてから、地方自治体がある程度の対策予算を持つようになっていて、「自殺対策強化事業補助金」という形で補助を受けています。今までは埼玉県や東京都から補助金をいただいてやってきたのですが、正直言って活動に十分とは言えません。
 
――自治体からの補助金ということは、対象となる地域が限られますよね。活動開始当初は全国で広告を打っていたということでしたが、広告を表示させるエリアの設定が可能なんですか?
 
伊藤:できます。「この地域から検索をかけた人にだけ広告を表示させる」という、エリアを限定したシステムになっているので。この活動に限らず、マーケティング一般を考えたときに、たとえば東京に店舗を構えているレストランだったら、やっぱりその周辺エリアに存在している人にリーチしたいですよね。沖縄にいる人にリーチしても、無意味とは言わないまでも、顧客として獲得できる可能性は低いですから。
 
――なるほど。いまはリソースが限られているという課題もあってエリアを限定されているのだと思いますが、今後はやはり全国に展開されていくんですか?
 
伊藤:若者の自殺が非常に多い地域の場合は、このシステムが導入されていくことが望ましいと思っています。ただ、この手法がすべての自殺のソリューションとして適切かどうかは分かりません。
 たとえば、高齢者の自殺が多い地域だったら、この手法でリーチできる可能性が低くなりますよね。一方で、たとえば東京都の新宿区は若者の自殺が顕著に多い。そういう地域では、この手法は親和性が非常に高いと思われます。
 都市部で若者の自殺が多いのは、日本に限らず世界中で見られる傾向です。そういうところにこの方法を、自殺予防のソリューションのひとつとして広めていくことが重要だと考えていますが、OVAが国内外の様々な地域に支所をつくってやっていくよりは、その地域の援助機関やNPOと連携してやってもらうというイメージを持っています。いわゆるスケールアウトですね。
 
――昨年開催された日本財団のソーシャルイノベーションフォーラムに、伊藤さんも登壇されていました。その際に発表されていたスケールアウトの構想はまた少し違いましたね。
 
伊藤:OVAで行っている自殺ハイリスク者へのリスティングを用いたアプローチという手法にどんな背景があるかというと、本当に支援が必要なリスクの高い人が、自分からは援助機関に行かない傾向があるため、支援が届かないというギャップがあります。そこで、向こうから来るのを待つのではなく、こちら側からアプローチして、援助や支援情報を届けることを、そもそも社会福祉の世界でアウトリーチといいます。
 アウトリーチが大事だということはみんな分かっているのですが、ハイリスク者の発見は簡単ではありません。私はそこにマーケティングの手法を持ち込んではどうかということを提案したいんです。多くの営利企業がやっているような、ターゲットを設定して、彼らにリーチするようなマーケティングプランをつくるということですね。
 私がリスティング広告を使っているのは、自殺リスクが高い人はインターネットで自殺の方法を調べるという行動パターンがあるからで、リスティングという手段にはこだわりはまったくありません。
 マーケティング手法を使ってハイリスク者へアプローチするという考え方を、自殺以外の社会福祉分野に広げていきたいんですが、用いる手法は課題や支援対象者や地域、時代に応じて変えていくべきだと思っています。私自身も、最初は検索連動広告を入口に、メールで相談のやり取りをしていましたが、いまではウェブ接客ツール(チャット)も使うようになりましたし、10年後に同じやり方をやっているかどうかは分からないと思っています。むしろ、きっともっと合理的で効果的なアウトリーチや支援の方法が生まれていて、変わっているだろうなと。
 ただ、こうした考え方を広げていくことで、私たちだけではなくて、いろんな援助機関がアウトリーチに取り組むようになれば、自分からは相談機関に行けなかったリスクが高い人たちに支援の手が届くようになります。今後は様々な社会的なハイリスク者がビッグデータから割り出される可能性があります。たとえば性犯罪被害者といった、なかなか自分からは言い出せない、発見することが難しかった人々と出会える可能性がある。
 そしてこうしたノウハウは、今後絶対に精緻化されていきます。企業のマーケティング・テクノロジーもどんどん進んでいて、いまやプライバシーの観点からそれを脅威に思っている人もいるくらいです。テクノロジーが進化すると同時にいろんなハイリスク者を割り出して、問題が深刻化する前に支援を届けることが可能になってくると思います。最終的にはハイリスク者が割り出されすぎて、倫理的な問題が生じてくると考えています。
 

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――何もかもが筒抜けになってしまう。本人はそこまで深刻じゃなかったのに、急に支援の手が差し伸べられて戸惑ってしまうようなことも起こり得るかもしれませんね。
 
伊藤:そういう可能性もありますよね。本人はそんなつもりじゃなかったのに勝手に通報されてしまったり。そういう“過ぎたお節介”を「パターナリズム」というのですが、その辺りの倫理についても考えながらやっていかないと、テクノロジーがどんどん発達していくと、リスクが割り出されすぎることの弊害が、きっと出てきてしまうと思います。
 
――一方で、リスクを早い段階で割り出すことができれば、その分立ち直りも早くなりますよね。
 
伊藤:そうですね。「カフカの階段」というモデルがあります。
 路上生活をする人々が社会復帰することの難しさを表現したモデルなのですが、仕事と収入があって、家があって、家族がいるという状態を平時とすると、たとえば、病気になって→仕事を辞めて→離婚をして→頼る人もいない中、失業保険が切れて→家を失ってといったように、階段を一段ずつ降りるように路上生活へと転落していきます。
 しかし、そこから抜け出そうと思ったら、収入のためには仕事に就く必要がある、仕事に就くには住所が要る、しかしお金もないし保証人になってくれる人もいなければ家を借りることもできない、というわけで、すべての課題を一気に解決しなければならなくなります。一段ずつ降りてきた階段が全部積み重なった高さの壁を、一気に上る必要があるんですね。ひとりの力じゃ到底登れない。それが「カフカの階段」です。
 だけど、最初の一段目を降りた段階で誰かが支援できれば、階段を一段上るだけで元の状態に戻ることができるわけですよね。自殺も同じです。一つひとつの問題は死にたくなるほどではなくても、3つも4つも重なると、問題に圧倒されて、絶望し、死ぬしかないと思うようになる。私は、そうした人に、「こんな階段もあるよ。一段ずつ登る方法を一緒に考えようよ」ということをやっているんですね。
 「もっと早い段階で誰かに相談できたら、ここまで追い詰められなかっただろうな」と思うことはやっぱり多くて、それぞれの課題に取り組んでいるいろんな団体が早い段階でアウトリーチすることができれば、私たちのところまで来る人も少なくなってくるんじゃないかと思います。
 
――なるほど。さらに路上生活など一旦困難な状態に陥ってしまうと抜け出すことが非常に難しいという環境自体にも、課題がありますね。
 
伊藤:そうですね。ここで言う階段や壁のような段差は、果たして本人の問題なのか、社会の問題なのかということですよね。たとえば、トランスジェンダーの方が働きにくい、そもそも働けないと辛い思いをするというのは、偏見を持っている社会の側に問題があると思うんですね。そもそもそこに段差がなければ、誰も落ちることはないわけですから、社会や政治に対して、この段差自体をなくすように働きかけていく必要がある。我々はこれをソーシャル・アクションと言っています。
 リスティング広告を用いた自殺ハイリスク者への相談事業と、マーケティング手法を用いたハイリスク者へのアウトリーチという考え方の拡大と、社会の側から段差をなくすためのソーシャル・アクションと、この3つが我々の事業の軸となっています。
 

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――そうした3つの事業を通して、伊藤さんが実現したいのは、どのような社会ですか?
 
伊藤:他者の痛みに無関心でなく、関わり合いを持てる社会です。これは私の個人的な感覚かもしれませんが、現在の若者って、困っても誰も助けてくれないと思っているような気がするんです。
 私は「こころのインフラ」と言っているのですが、困ったときに、どこでも、誰でも相談ができるような仕組みをつくりたい。それは人々の心の中に、自分が困ったら誰かが助けてくれる、支えてくれるという信頼感がないと、成り立たないと思うんですね。
 ですから、いまはシステムの話をしていますが、本当に大切なのは、私たち人間のマインドなんです。誰かが困っていたら助けてあげるし、自分が困っているときも誰かが助けてくれる。みんながそう思えたら、たぶんシステムは必要ないんです。
 そういう、自分や周囲の人の痛みに関心をもって関わり合っていける社会をつくりたいと思っています。
 
――そうした社会の実現を目指した、中長期目標のようなものはありますか?
 
伊藤:アウトリーチの考え方について言えば、実はまだ体系化された理論がないんです。アウトリーチが大切であるとみんな思ってはいるんだけど、具体的にどのような行動が必要なのか、個々の頭の中にはあったり、暗黙知として存在はしていても、共有されている「型」のようなものはない。
 私はアウトリーチの方法はいくつかに分類できると思っているので、それらの仮説を検証して、きちんと理論化して世の中に出したいと思っています。「このケースは、この考え方に基づいてアウトリーチしてみたらどうですか?」といった基本の考え方を、3年以内に書籍かなにかのかたちで発表するつもりです。
 相談事業については、私たちは「インターネットゲートキーパー事業」と呼んでいるのですが、これを自治体からの補助ではなく、委託を受けられるようにしていきたいと思っています。補助事業というのは、私たちの事業に対し、自治体があくまで「補助」をしてくれるというもの。一方で委託事業は自治体の事業を民間が請け負うものです。
 昨年自殺対策基本法が改正されて、都道府県だけでなく、市区町村も自殺対策の計画づくりを義務付けられるようになりました。そうした中で若者の自殺対策のメニューのひとつとしてOVAが委託を受けて、行政の責任のもとで事業を行うというかたちになれば、より安定して活動に取り組んでいけるので、一人でも多くの「生きる」を支える事ができます。
 ですからまずは、現在の都や県よりも地域を区切って、市区町村レベルでこの手法での成果を出し、モデルを確立してから、ほかの自治体でも委託を受けて広げていきたいと考えています。これも3年以内が目標です。
 さらに言うと、日本には自殺のリスクが高い人を継続的に支援する専門家がとても不足しています。もちろんソーシャルワーカ―など対人援助職はたくさんいて、私がしていたようなうつ病になって休職した方の職場復帰を支援する産業領域の精神保健福祉士とか、犯罪加害者の社会復帰を支援する社会復帰調整官とか、精神障害がある方地域生活をサポートする地域の精神保健福祉士とか、各分野にエキスパートが存在しています。しかし、自殺対策の分野にそういった対人援助のエキスパートは足りていない、そもそもとても少ないと言っていいと思います。ですから、「死にたい」という相談を受けた場合にどう対応したらいいのか、その辺りの知識もきちんと蓄積して、関係者と協働して専門家育成のカリキュラムやシステムをもつくっていきたいなと思っています。これは3年とかいうレベルでは出来ないので、長期目標として考えています。
 
――収益化を考えずに私財を投げ打って始められた自殺対策の活動が、課題の整理とともに体系化され、さらに政策提言に落とし込まれていく過程がよく分かりました。本日はありがとうございました。
 
◆OVAでは「こころのインフラ」創造を目指して、クラウドファンディングに挑戦しています◆

生きづらさを抱えた若者のSOSをテクノロジーを用いて受けとめ、命を守りたい

https://camp-fire.jp/projects/view/19421
 
伊藤 次郎(いとう じろう)*NPO法人OVA代表理事。1985年生まれ。学習院大学法学科卒。
 企業のメンタルヘルス対策を請け負う人事コンサルティング会社を経て、精神科クリニックにて勤務。2013年に日本の若者の自殺状況への問題意識から、リスティング広告を活用した自殺ハイリスク者へのアウトリーチ活動を開始。翌2014年にNPO法人OVAを設立。
新宿区自殺総合対策会議若者支援対策専門部会委員(平成26年・平成27年・平成28年)、
江戸川区自殺未遂者支援会議 スーパーバイザ-(平成27年・平成28年)。日本財団「ソーシャルイノベータ―」選出(2016)。
 

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