バングラデシュの村へ最高の授業を届けたい

NPO法人 e-Education  代表 三輪開人

A91A2471

――マヒンはどうやってダッカ大学に合格したんですか?
 
三輪:そこにはいろいろと泣けるエピソードがあるんです。ハンムチャー村の水準からすれば、マヒンの家はそこまで貧しかったわけではないようですが、それでも彼を都会の予備校に通わせる経済的余裕はありませんでした。でも、長男のチャレンジを応援したいということで、家族みんなで一生懸命がんばったんですね。彼の弟は当時中学生くらいだったそうですが、マヒンの大学受験をサポートするんだと言って、海外に出稼ぎに行ったそうです。
 
 そんな家族ですから、マヒンもものすごく家族思いで、なにがなんでもダッカ大学に受かってやると、都会に住み込みで家事手伝いなどをしながら必死で勉強して、2,000人はいる学科で、なんと11番という成績で合格したんです。
 
――すごいですね。
 
三輪:化け物ですよ、彼は。
 
 アツとふたりでプロジェクトを立ち上げることは決めたものの、どこでやるかもまだ決まっていなかったんですが、マヒンという強力なパートナーが「ぜひ、自分の村でやってくれ」と熱心に言ってくれたので、e-Educationの最初のプロジェクトは、ハンムチャー村と先ほどの3人組の村の2か所でスタートすることになりました。
 
 ハンムチャー村では、大学に行きたいと死にもの狂いでがんばってきた30人の高校生を対象に、授業を始めました。HSCは、A+からDまで何段階かに分かれて成績が出るんですが、難関大学を受けるためのいわゆる足切りがA-なんです。村の100数十人の高校生にアンケートをとったら、実はそのうち22%の学生が、HSCの成績がA-以上、つまり難関大学を受験する資格があったんです。
 
――かなり教育水準が高い村だったのですね。
 
三輪:そうなんです。それなのに先述の通り、その村からダッカ大学に合格したのは、39年間でマヒン一人だけだったんですが、それには理由があります。
 
バングラデシュには、HSCと大学受験の試験のレベルが大きく乖離しているという構造的な課題があるんです。HSCでどんなにいい成績をとったとしても、大学に行こうと思ったら、高校で学んだ範囲と大学受験に必要な範囲のギャップを埋めなければならない。予備校か、家庭教師か、独学かということになりますが、田舎には予備校はないし、わざわざ勉強を教えに来てくれる家庭教師もいない。独学しようにも、いい教材がないから、諦めるしかない。必然的に、大学に行くためには都会の予備校に行くしかないという構造になっているんです。
 
 マヒンも都会に住み込みで働きながらの受験生活は相当辛いものだったそうですが、それでもまだ恵まれているほうで、そもそも村から出ることを許してもらえない子どもたちも多かったんです。とくに女性ですね。村どころか、家からもあまり出るなと言われている。そんな子どもたちがいったいどうやったら大学受験に合格できるのかと、現実を知れば知るほど、映像授業を届けたいという思いは強くなっていきました。

関連記事