シルバー民主主義「論争」を越えて<1>

島澤諭(中部圏社会経済研究所主席研究員)×小黒一正(法政大学教授)×亀井善太郎(PHP総研主席研究員)

 2018年は日本の財政の今後にとって重要な節目の年だ。この夏までに、財政健全化の一里塚ともされるプライマリーバランス黒字化の達成時期と、その裏付けとなる具体的な計画の決定が予定されている。これは、昨年秋の総選挙における与党公約(2019年に予定されている消費税の増税分の大半を借金の返済ではなく全世代型社会保障に充てるもの)の反映も含むものだ。増税を借金返済ではなく、全世代型社会保障に充てるとは、世代間の負担と給付の格差の点から見て、どのような意味があるのだろうか。また、変えるべきものを変えられない政治の原因をシルバー民主主義という言葉で説明する人たちもいるが、それだけが理由なのだろうか。
 「変える力」特集No.43では、現在、進められている財政や社会保障に関する政策議論について、これに詳しい中部圏社会経済研究所主席研究員の島澤諭氏、法政大学教授の小黒一正氏、政策シンクタンクPHP総研主席研究員の亀井善太郎が鼎談を行った。

世代会計の推計結果

1.世代会計から見えてくる「世代の格差」
 
亀井 昨年、島澤さんと小黒さんには、「こども保険」の提言の課題について、ご議論いただきました(こども保険を巡る政策議論の課題と展望)。そこでのキーワードは「世代間の負担と給付の格差」でした。今回の鼎談では、この誰にも共通する課題である世代間の格差問題とはそもそも何か、そして、政治、メディア、社会、それぞれの場において、どのような議論や決断がされるべきなのか、より突っ込んだ議論をしたいと存じます。どうぞよろしくお願い致します。
 さて、島澤さんは、最近、『シルバー民主主義の政治経済学』(日本経済新聞出版社)を出版されました。
 しばしば言われているのは、高齢者世代が得をしている、現役世代がなかなかいい目が見られていない、問題が先送りされていて若い世代がすごいつらい目を見る、いやいや、実はその先の人たちが問題で、今日生まれる人やこれから生まれる人のことがまったく考えられていないじゃないか、といったようなお話です。
 こうした中、島澤さんは、この本を通じて、世代間の負担の問題、特に負担の先送りという問題提起をされました。世代会計という分析手法を用いて、問題を明らかにされていますが、まずは、世代会計とはどのようなものなのでしょうか。
 
島澤 世代会計について細かくお話をすると、恐らく授業1コマというか、かなり時間を取ってしまうので、ざっくり申し上げますと、現状を将来に先延ばしして、そのもとで財政を破綻させないようにするためには、誰(どの世代)が、どのような負担をなすべきかというのを機械的に計算する会計的な手法だと、まずは考えて頂ければよいと思います。
 したがって、将来破綻する可能性があるとかないとかというのは、この世代会計ではわかりません。破綻しないように、将来清算すると、それが誰の負担になるかというのを明らかにしたいというものです。
 日本の場合、しばしば言われますのが、高齢者の負担が相対的に見ると非常に小さくて、若い世代の負担が非常に重いということです。そこに世代間格差を見ます。
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世代会計における「世代」とは
 世代会計で重要なのは、世代の定義です。
 まず、「高齢世代」は誰かというと、いろいろな見方があります。ひとつの定義としては、年金を受給する65歳以上であるとか、あるいは現在の日本の場合では団塊の世代以上を指す場合もあります。別の定義としては、政策の変更との関係で見る場合には、年金受給まであと10年くらいに迫っている55歳以上とか、そこまで入れるという考え方もあります。
「若い世代」の定義は、これは何を分析したいかということで分かれてきますが、ひとつあるのは、選挙権を持っている/持っていないということで分けられます。選挙権を持っているのが「現役世代」です。
「将来世代」というのは、まだ生まれていない、今年は2018年ですが、2018年現在で生まれていない人たちを将来世代という場合もありますし、先ほどの分け方でいいますと、有権者じゃない世代、ですから、現在ですと17歳以下の世代が将来世代と言われる場合もあります。
 何を分析のターゲットにするかで変わりますから、世代というのは非常に相対的な概念だと言えましょう。
 
世代会計から見えてくる将来世代への先送りの実態
 世代会計は、日本では、1995年に、内閣府、当時の経済企画庁が最初に政府の公式的な推計を行って以降、しばらく注目されることはなかったのですが、財政の危機的な状況等といろいろマッチして、2000年代の前半ぐらいからいろいろ取り上げられるようになってきました。
 その中でしばしば言われてきたのが、高齢世代が得をして、若い世代が損をしているという「世代間格差」なのです。
 さらに最近は、そこから進んで、世代間格差はだいぶ認知されてきましたが、それが一向に改革されないのは、得をしている高齢世代が政治の世界で多くの票数を持っているので、数自体でいうと現役世代も含めた若い人の数が多いのですが、彼らは投票に行かない結果、投票率を加味すると、高齢世代の政治的影響力が強くなっているからだという意見が出てくるようになりました。これが、いわゆる「シルバー民主主義」論です。
 それで、高齢者が悪い、もしくは、社会保障改革、財政改革を妨げる悪しき高齢世代という認識がだんだん拡がってきているわけです。
 しかし、世代会計をよく見てみると、確かに高齢世代では純受益世代というのがあるわけですが、彼らは、若い時期に戦争を経験していて、戦後の何もない時代で人的資本が積めなかったような世代で、この人たちは特別だと考えるべきだと思います。
 
 問題は、そうした戦前、戦中の世代が築き上げてきたものをそのまま受け継いだ団塊の世代以降の高齢者の負担と受益のあり方なのではないかなと思っています。
 ただ、そうした人たちと現役世代の負担と受益を比べると、その差は10%弱程度です。格差が無いとは言いませんが、それほど大きなものとは言えません。
 もっとも大きいのはどこかと言えば、いま生きている現在世代と、まだ生まれていない将来世代の格差です。将来世代と、生まれたばかりの0歳世代との差を比べると、マクロ経済環境や財政・社会保障制度が同一であるはずなのに、27%ありますので、現役世代の中の格差よりも、現役世代と将来世代の格差のほうが大きいという姿が見えてくるのです。
 したがいまして、世代間格差といった場合、確かに、いまの高齢世代といまの若い世代の間での格差はありますが、より大きいのは、いまの世代とまだ生まれてない世代の格差であり、つまり、二つの格差を考えなければならないということだと思っています。
 確かに、現在の高齢世代はおいしい思いをしているかもしれないですが、これは程度の問題でして、比較すれば、まだ生まれていない世代との格差のほうが大きいということを忘れてはならないのです。
 つまり、これは、いま生きている現役世代が、高齢世代も若い世代も結託して将来に負担を先送りしている結果なのです。
 高齢世代が政治を牛耳っている「シルバー民主主義」というよりは、実は、いまの生きている世代が、これまでの制度を前提として、それを一緒になって変えないでいる、いわば、高齢世代と現役世代による「暗黙の結託」の結果とみるべきなのではないかと思います。

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2、現役世代と高齢世代の暗黙の結託は本当に存在するのか
 
亀井 世代会計という手法、そして、そこから見えてくる本当の課題がよく見えてきました。小黒さんのお考えはいかがでしょうか。
 
財政破綻がない前提に立てるかどうかがポイント
小黒 標準的な世代会計を考える時に重要なのは、先ほど島澤さんも指摘していましたが、財政が持続可能であるということを前提にしているということです。
 生涯の受益と負担で、島澤さんの推計によれば、0歳児は、生涯所得に対して超過負担が20.3%であり、まだ生まれていない将来世代は47.5%になっています。
 いずれも負担超過で、ここに27%もの大きなギャップがあり、このギャップこそが世代間の格差だと言えるわけですが、このギャップには計算過程の前提で、現存する約1,000兆円の政府債務のほか、今後の財政赤字で増えていく債務の分も入っているわけです。
 それだけではなく、世代会計の重要な点は、財政収支では事実上均衡していても、負担を将来世代に先送りできるという、そういう負担も明らかにできる特徴を持っています。
 例えば、世代が三つしか存在せず、また、各世代も1人しかいないケースを考えてみましょう。引退世代が1人、現役世代が1人、それから将来世代が1人いるケースですね。
 最初のある時点では、現役世代と引退世代しかいなくて、現役世代は引退世代に50の移転をします。そうすると、引退世代はプラス50、現役世代はマイナス50になります。
 次の時点で、引退世代が亡くなって、将来世代と現役世代だけになった場合に、同じような仕組みで、年金や医療とかでもよいですが、今度は現役世代の人たちが30もらって、将来世代は30の負担をすると、将来世代はマイナス30となります。
 それを世代ごとに通算してみると、引退世代はプラス50、現役世代は50のマイナスと30のプラスなのでマイナス20となり、将来世代はマイナス30となります。
 これは、各時点時点では、単に上の世代にお金をあげているだけなので、財政収支はトントンで赤字になっていませんが、実は世代ごとに見ると損得が発生していることを見ることができるのです。
 もう一つは、現役世代と将来世代が損している分(マイナス20とマイナス30)は、実は、引退世代の人たちがプラスになった部分(プラス50)と同じになっていて、一言で言えば、世代間の所得移転として財政をみると、財政はゼロ・サム・ゲーム的な性質をもっているというのがポイントです。こうしたことを明らかにするのが世代会計なのです。
 ただ、私の冒頭の話に戻ると、いま別に100という債務があった場合に、世代会計ではどういうふうに整理しているかというと、これを全て将来世代に押し込んでいるわけです。
 だから将来世代はマイナス30という負担超過ではなくて、マイナス130にしているというのがポイントで、それは財政が持続可能であればという前提があるのです。
 例えば、あと20年後に財政が破たんし、そこで政府がドラスティックな改革をする。例えば、大規模な増税をして、年金や医療の給付を削減するということになれば、いまの20代、30代、40代の人たちの負担がもっと増えますし、今すぐ破綻すれば、いまの中高年世代とか、そういうところに債務100の負担が行くわけで、それは、いまの世代会計の推計とは異なる負担になります。
 一番重要なポイントは、むしろ財政が本当にどれぐらい持続可能なのかというところではないかと思うのです。持続可能ではないとすると、世代会計の前提は変わってきてしまうのです。
 一つだけ確かなことは、もし財政があと10年間持続可能だとする場合、それでも確実に財政破綻という被害から逃れられる人がいるわけです。それは、例えば、現在80歳とか90歳の人たちかもしれませんが、この人たちは負担しないまま、一生を終えるわけですから、逃げ切ることができます。また、財政破綻の前に海外に資産を逃がすことができる一部の裕福層等もそうかもしれないですが、それ以外の人たちは逃げ切れないということです。
 世代会計は、世代の負担と給付の関係を見るための優れた手法です。しかし、そうした構造になっていることは忘れてはいけません。そうした前提を踏まえれば、島澤さんのご指摘のような「結託」を現役世代が果たしてしようとしているのかは疑問があります。現役の人たちがそういう財政の赤字を先送りするゲームを本当に続けられると思って合理的に行動しているとは思えないんですよね。シルバー民主主義の実態としては、引退世代が現役世代や将来世代から「搾取」しているというよりも、財政赤字というマグマが溜まる中、「負担の押し付け合い」ゲームをしているということではないかと思います。世代間移転はゼロ・サム・ゲーム的な性質をもつので、「引退世代 vs 現役世代 vs 将来世代」という対立で、投票ボリュームの大きい世代や選挙権をもつ世代が「利己的」に行動し、立場の弱い世代に負担を押し付け合っているというものです。
 
このままゲームは続くと考えているから、現役世代は動かない
島澤 先ほど、小黒さんからもありましたように、世代会計の計算方法というのはもう決まっていますので、それに従ってやると、確かに示したような結果になります。
 もうひとつ、先ほど、財政破綻があれば結果は変わってくるというのは、確かにそのとおりなのですが、ただ、いつ財政破綻があるかは、誰にもわからないですし、各世代が財政破綻すると思っているかどうかも、私はわからないと思っていて、どちらかというと破綻しないと思っているのではないかなと考えています。いまの例えで言えば、ゲームは続くと考えているということです。
 なぜかといえば、そもそも、財政破綻すると、みんなで穴埋めをしようということになりますが、実際に負担能力があるのは誰かというと、高齢者は多くが年金に依存していて、それが生活資金ですから、きっとそれは取り上げられないことになると思うんです。
 そうなれば、誰が負担すべきかということになると、やはり若い世代に回ってきます。となれば、若い世代が合理的であれば(ここが多分ポイントだと思いますが)結局、必要な改革を先送りした挙句結局破綻することになれば自分たちの負担が重くなるのはわかっているので、そうなれば、高齢者世代に余力がある、いまのうちに増税を、あるいは、社会保障の制度改革を声高に主張するはずなのですが、実際はそうはなっていません。
ということは、これは状況証拠でしかないのですが、もしかしたら顕示選好かもしれないですが、若い世代、あるいは、現役世代は、財政破綻がやってくるのではなく、いまのゲームがこのまま続くと思っていると考えてよいのではないでしょうか。
 日銀の金融抑圧もそうですし、いろんな政策が当面は功を奏しているところから判断して、いまのゲームが続くと思っているのかもしれません。
 
世代会計は政策を評価、検討のための重要なツール
亀井 お二人の視点の違いがよくわかりました。
 世代会計は、ある時点を見るだけでなく、継続的に公表し、その変化から、政策の評価や検討に使う手法ですね。政策の変更が、世代ごとの負担や給付にどのような影響をもたらすか、その変化から見られますからね。もちろん、所得の状況等、他の要素もあって、他の尺度も必要になる場合もありますが、そういう理解でよろしいでしょうか。
 
島澤 その点は重要です。政策が変更された時、あるいは、新しい政策が追加になった時、どの世代の負担によってその政策が行われているかというのも世代会計のもう一つのポイントですね。
 
亀井 例えば、所得税の税率が上がればこの年代の負担が増える、消費税ならば影響が幅広い世代になる、あるいは、資産課税になれば、それが現実的に捕捉可能かどうかは別にして、資産を比較的持っていると言われている高齢者世代の負担になるから、ここの負担率が随分変わってくるだろう、こういう議論ですよね。
 
小黒 そうですね。例えば、10年後とか20年後に、財政が危機的な状況になったと仮定して、財政を持続可能にするために大規模な消費増税を行ったときにどうなるか、あるいは、代わりに大規模な所得増税を行ったときはどうなるか、というように、政策オプションの違いが世代の負担の構造に及ぼす影響について、シミュレーションすることはできますね。また、歳出のカットでも同じことができます。年金の3割カットと医療費の自己負担を引き上げる場合、どう違うのか、世代ごとの負担と受益の構造がどう変わるのか、推計できるのです。
 そういう場合、島澤さんが今回推計した世代会計とはちょっと違って、財政の持続可能性を確保するために、大規模な増税や社会保障費の削減を早急に行うので、将来世代の負担は大幅に軽くなり、もっと20代から40代のところに集中して負担が増えるという形に世代会計の推計結果が出てくるはずだと思います。
 いずれにせよ、これは政治や社会がこれからのことを考えるための貴重な材料であり、内閣府が世代会計を出さなくなってしまったのは無責任ですし、アカデミアから出て来るものがごく僅かなのも残念なことだと思います。


 

ふたつの世代間格差

3、シルバー民主主義の虚構
 
亀井 次は「シルバー民主主義」についてお話を伺わせてください。先ほど、島澤さんからお話いただいたように、高齢者の政治圧力だと言われていて、これが、あるべき政策変更を妨げているという認識が拡がっています。
 選挙の時、高齢者に「私の年金を下げるつもりか」と政治家がおどされて、結果的にそれが公約に反映されて、みたいなことをずっと言われているわけですよね。
 島澤さんの『シルバー民主主義の政治経済学』では、いやいや、実は、そういう単純な構造ではなくて、もう少し違う構造の中で、特に政治の忖度について、ご指摘されていたと思います。この点について、お二人のご意見を伺います。
 
小黒 「シルバー民主主義」という言葉に対する、世間一般のイメージは、いま、亀井さんが例として挙げたような、高齢者の人たちがアクティブに政治に働きかけて、他の世代からお金を引っ張ってくることだと受けとめています。高齢者による「搾取」のイメージが強いように感じます。
 しかし、私自身の認識は、少し違っていて、「搾取」というよりも、「負担の押し付け合い」をしているのが本当の実態に思います。まず、人口増加の時代には経済のパイが拡大していたので、政治は「正の分配」を担っていました。
 現在は、経済成長率も落ちて、その一方、高齢化のスピードのほうが速くて、財政赤字がどんどん膨らみ、日本財政は「バケツの底に大きな穴が空いた」ような状況になっているわけです。
 本来、それを閉じようとすれば、増税をする、あるいは、年金や医療をスリム化するというような、いわゆる「負の分配」をしなければいけません。
 その場合、選ばれた代表者である政治家は、誰かに負担を引き受けてもらわなければいけない、お願いしなければならないという問題に直面します。
 そこで、誰にお願いするかと言えば、高齢者世代、現役世代に面と向かって「では、負担を引き受けてくれますか?」と面と向かって言えるかというと、選挙で落選したり、政権を失う可能性があり、それはできない状況に陥っているのが、いまの日本の政治の現状と思います。
 なお、財政による世代間移転はゼロ・サム・ゲームであり、将来世代の負担を改善するためには、現役世代や受益超過の高齢世代が追加負担をする必要がありますが、年齢が上の世代ほど投票ボリュームが多く、「負担の押し付け合い」ゲームでは政治的に強い。結局、いま、そこにはいない、まだ生まれていない将来世代に負担をお願いする、借金の形になってしまうわけです。つまり、「搾取」というよりも「負担の押し付け合い」ゲームであり、若い世代よりも「逃げ切り世代」が高齢世代に多いと思われることから、それをシルバー民主主義と呼び始めているのだと思います。
 
負担できる高齢者も限られている
 もっとも、考えておくべきは、では、高齢者が負担できる状況にあるかと言えば、そこにも限界はあります。
同じ世代の内にも、いろんな高齢者がいますが、日銀の統計等を見ても、2,000~3,000万円の金融資産を持っている人が一定割合いる一方、大半は持っていても数百万円程度で、まったく金融資産が無い人も2~3割いるわけです。高齢者が資産を持っているという認識は安易で、実際に負担をお願いすれば、自分が生活できなくなるから、それはもうできませんよという形で拒否されてしまうでしょう。
 現実は、そうした、負担を受けない拒否権みたいな形で主張されていると私は理解しています。
あなたたちは、これまでに貰ったのだから、それを負担してくださいと言ったとしても、これは経済学でいうと行動経済学の知見で考えればすぐわかるのですが、100万円もらった時は例えば5という喜びを感じるけれども、100万円損すると痛みは2倍とか3倍、10や15になってしまうんです。そういう構造にあるのだと思います。
 そうした構造の下で、島澤さんは、政治が高齢者を忖度する「シルバーファースト現象」と呼んでいますが、私は、それも少し違っていて、「負の分配」を引き受けることが現実的に難しくなっていて、現役も雇用や賃金の問題で余力がなくなっているので、結果として将来世代に負担が付け回される状態になっているし、政治もしようがないからでは財政赤字を続けましょうという形で思考が停止してしまっているのだと思います。
 けれども、裏側では時限爆弾みたいな形で、政府の債務がマグマのように溜まってきてしまっている。そういう状況なのではないかと思っています。
 
島澤 「シルバー民主主義」という言葉についてですが、世代の間で対立があるような感じではなく、先ほど小黒さんからもありましたが、結局、あらゆる世代で貧困化が進んでいて、そこが問題なのだと思います。
 加えて、小選挙区制になっていて、民意を聞かない限り政権の座に就けない政治になっているので、これは高齢だろうが現役だろうが、結局、政治は民意ファーストになっているだけであり、わざわざ「シルバー民主主義」という言葉を使う必要はないと思います。
 小黒先生は異論がおありだと思いますが、さまざまなファクトから総合的に判断すると、私はシルバー民主主義が存在しているとは考えていません。
 
亀井 世代間の問題ではないし、かつ、世代間対立をあおる必要もないし、やはり全体として負担力が落ちているという日本経済全体の問題を忘れてはいけません。
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プラスを分配する政治からマイナスの分配を担う政治への転換に向けて
 しかし、日本経済全体の停滞と負担力の低下は仕方ないことで、政治家も身動きがとれないほど、どうにもならないことなんでしょうか。すでにご指摘があるとおり、世代に関わらず、負担できる人がまったくいないわけではないわけですよね。私は、途上国型のプラスを分配する政治から、成熟国家型のマイナスの分配を担う政治に転換する、そもそもの政治の役割が変わってきていることを政治家が自覚できているかどうかも忘れてはならないことだと思いますが。
 
小黒 亀井さんのご指摘はたいへん重要で、全くそのとおりだと思います。その自覚はまだ見えてきませんね。
 あとは、それに気付いたとして、そうした負の分配について、選挙で有権者に正論をぶつけて戦えるのかという、これまた難しい問題もあります。
 私は、政治家だけがこの問題を背負うよりも、社会全体、国民全体が理解していくためには、世代会計や財政の長期推計のような、大切な問題をうまく伝え、オーソライズする仕組みを活かしていかねばならないと思っています。それはアカデミアの役割でもあると思うのです。
 世代会計は、かつて、島澤さんが、世代間の所得移転だけではなくて、世代内でどうなっているかについても、推計する試みをされていたのですが、そういうアプローチもたいへん重要です。ファクトがどうなっているのかを見せて、それから、負担能力がある人はどこだから、ここら辺の人たちに我慢してもらおうというような説得をしていくことができるわけです。
 ただ、前提としてもっとも重要なのは、財政が本当に持続可能な経路にあるのかも見せなければいけなくて、財政の長期推計の必要性にもつながってくるわけです。
 
亀井 ネガティブと思われる情報も含めて、社会や政治が情報を積極的に共有していくということであり、アカデミアがさまざまな知見を活かして、いろいろな切り口を見せるということですね。
生まれていない人の負担を知ること、財政が長い目で見るといかに厳しいのか、まずは、そうした情報を共有していくことが、世論の醸成、政治の決断につながっていくということだと思います。
 
負担できる人を見い出す工夫も必要
 
小黒 シルバー民主主義の存在を否定するのは、そう簡単ではないと思っています。繰り返しになりますが、財政による世代間の所得移転はゼロ・サム・ゲーム的な性質をもち、将来世代の負担改善には、現役世代か引退世代の追加負担が必要です。その際、負担の問題で言えば、よく見ておかねばならないのは、すべての高齢者がそうではないですが、世代会計が示すとおり、受益超過や生涯純負担率が低いのは高齢世代が中心で、世代としてひとくくりで見ると、高齢者にまだ負担能力があるはずというファクトです。だけど、負担はしてくれないという問題をどう見るのかは忘れてはいけません。
 
島澤 そこは多分、大きく分かれるところがあるかもしれないですが、高齢世代の富裕の人だけではなくて、若い世代でも富裕の人はいて、別に彼らの大半も負担から逃げようとしているわけではないので、そこは年齢というよりは、持っている、持っていないで分けてみたほうが、今後の日本の政治を考える上では生産的なのかなと思います。
 
亀井 同感です。経済構造の変化を捉える必要がありますね。フロー型からストック型に変わってきていることもそのひとつだと思います。いかにストックをベースにした課税ができるかが重要なのですが、いまの税制はそこができていません。
 
小黒 私も若い世代の裕福層は追加負担をするべきと思いますが、人口減少でボリューム的に限界もあると思うので、全体として、どういう方向性に向かうか、そこを考えておくとすれば、この島澤さんが作られたグラフで示された問題をどうしていくのか、そのための基本的な考え方と具体的なデザインが求められているように思います。
 
 その際、島澤さんが指摘した85歳や90歳以上の「戦争世代」の扱いをどうするかについての議論はあると思いますが、財政や社会保障改革で、各世代の負担を平準化する政策を考えていくことが最も重要に思います。これは、私の以前からの持論ですが、世代間格差の主因は財政赤字や賦課方式の社会保障で、このうち財政赤字の主な原因は社会保障の給付と負担が中長期で一致していないことにあります。ですから、増税や給付削減で社会保障の給付と負担を一致させ、年金の積立方式への移行や医療・介護に事前積立を導入すれば、現在世代内の格差や、現在世代と将来世代の格差を縮小することは容易に可能です。現状では、各世代の負担平準化に関する議論がなかなか出てきていませんが、そうした政策についても、改めて考えていく必要があると思います。
 

4、政府(内閣府)による中長期の経済財政推計の問題
 
亀井 先ほど、小黒さんから長期の財政推計の必要性についてご指摘がありましたが、1月23日の経済財政諮問会議に、内閣府が作成した「中長期の経済財政に関する試算」が提出されました。
 これは毎年出されるものです。年によって違いもありますが、基本的に、1月と7月の経済財政諮問会議に提出されます。
 中長期の試算と言いながら、推計期間が2018年から2027年と9年間しかないと言うのは、小黒さんがこれまでも指摘してきた問題です。経済学の世界では長期とは言えませんし、日本の財政の現状、さらには、今後さらに深刻化する高齢化による財政負担を考えれば、2027年までの推計しか存在しないというのは深刻な問題と言えましょう。なにより、これまでお話してきた将来世代のこともこれでは考えることができません。
 情報共有の大切さもお話してきましたが、これでは、政治も、社会も、ある種の共通理解を促すことも、考えを深めることができませんし、ましてや、合意を形成していくこともできません。
 このような、将来に関する推計や数字が存在しない、出てこないのはなぜなんでしょうか。社会の理解が得られないから出てこないのか、政治の意志がはっきりしないから出てこないのか、どちらなのでしょうか。
 また、この推計では、「成長実現ケース」と「ベースラインケース」と二つのシナリオが示されています。「成長実現ケース」がより楽観的なシナリオだというのはわかりますが、こういう場合、私たちはどちらを見るべきなのでしょうか。また、それぞれにはどのような意味があるのでしょうか。
 
過去のトレンドから外れた、楽観的な前提の採用を継続
小黒 政府(内閣府)が中長期試算を出すこと自体はたいへん重要なことだと思います。しかし、この推計、過去をしっかり省みていないという問題があります。この推計は、すでに出し始めて10年ぐらい経っているにも関わらずです。
 推計に使われる重要なパラメーターの一つに「名目GDP成長率」があります。内閣府の資料2-2(中長期の経済財政に関する試算のポイント)の右上のグラフを見ましょう。名目GDP成長率について、前回と今回のものを比較できます。
 
名目GDP成長率
 
 
 前回(2017年7月)は、経済再生ケース、全てうまくいった場合のバラ色のケースですが、3.9%に上昇していくシナリオをとっていましたが、今回(成長実現ケース)は3.5%にしています。
 他方、ベースラインケースという、どちらかといえば慎重シナリオと呼ばれる低成長ケースの場合、前回は1.2%でしたが、これを1.7%に上方修正しました。
 これはこれでよいように見えますが、もっとも重要なのは、経済成長率を短期的に当てるのは難しく、長期的に見た場合、自分たちが予測したレンジの中に平均的に見てどれぐらい収まっているかということなのです。次に、私が作ったグラフ(図1:「名目GDP成長率の推移」)を見てください。
 名目GDP成長率の1995年から直近までの推移を見たものです。高い時期もありましたし、そうでない時期もありますが、経済成長は上下します。結局、平均で見ると、ファクトとしては、年率0.3%ぐらいの成長しかないわけです。この成長率が日本の近年の実力です。
 ちなみに、過去、内閣府が予測してきた成長率というのを、ここにプロットしてみると、これがほとんど外れているわけです。例えば、1998年度からの17年間で、政府見通しの予測が実績を上回ったのは3回のみで残りの14回は全て外れです。だいぶ楽観的な予測をしてきたということです。
 そうすると、ベースラインの1.2%でもどうなのかという議論がなければいけないのですが、そういう議論を聞くことはできません。
 何が言いたいかというと、将来のことはどうなるかわかりません。大切なのは、過去を振り返り、科学的に、なぜ予測が外れたのかということをフィードバックしながら、また、今後のことを考え、数字を出していくことがまずひとつ重要かなと思います。
 もうひとつ指摘しておくべきは、内閣府の今回の中長期試算でも、メディアでは、必ず財政で注目されるのは、まず基礎的財政収支(プライマリーバランス)であるということです。
 資料2-2の3ページの一番左側のグラフですが、いつも、成長実現ケースや経済再生ケースといった楽観的なシナリオを前提にして議論することが多いのです。
 
シナリオ別GDP比
 
 
 これですと、前回の試算では2025年で黒字化という形になっていましたが、今回は2027年度になりましたと言われています。確かに2年間遅れるだけですが、最終的には消費税を10%に引き上げて、それなりに経済をちゃんとうまく循環させていけば黒字化できますというようなメッセージになっています。しかし、これは、4%近い、きわめて高い経済成長率を前提にしているわけです。
 でも、先ほど申し上げたとおり、実際の成長率はもう過去20年間、平均すれば0.3%なので、青いほうのベースラインケースですら危ういかもしれない。それなのに、これで議論してよいのでしょうか。
 加えて、もし経済が循環し、景気が良くなれば、金利が上がり、債務の支払金利も増えていくので、真ん中のグラフの財政赤字こそ見ておかねばならない数字です。
 財政赤字(対GDP)に注目しますと、前回の経済再生ケースでは最終年度の2025年度で2.8%の赤字でした。今回は場合、2027年度2.3%の赤字に改善しているように見えますが、じつはよく見ると、もっとも改善しているのは2025年あたりで、そこから悪化していくようなトレンドに入っているのです。
 ベースラインケースも同じで、2027年、-3.3%で切れていて、前回の-4.4%に比べると、これも改善していますが、やはり、2023年度以降の流れとしては悪化する方向に行っています。これでは、債務の収束は見込めません。
 先ほど、亀井さんが指摘されたとおり、推計期間はせいぜい10年弱で、もっと先を示すとどうなるかということが出てきません。いま、日本にある公式推計はこれだけですので、政治家も、メディアもそうだし、政府の公式推計を見て議論するのですが、これ以上の議論ができない状況にあります。そこから先は見えないので、アカデミアでも、学者も、民間のエコノミストも議論ができないような感じになってしまっているというのはもっとも大きな問題だと思います。
 
島澤 そうですね、今、小黒さんが言われたような、内閣府自身で過去の数字等を検証していない、さらには、あらゆる情報を公表していないので外部から検証できないというのが、内閣府の推計の一番の問題だというのは同じです。
 
二つのシナリオの位置付けの不明確さ
 もう一つの問題は、そもそもシナリオが「成長実現ケース」と「ベースラインケース」と2本示されていますが、その2本の意味がよくわかりません。
 成長実現ケースというのは、内閣府、あるいは、政府がこれからやろうとしている政策が全てフルに効果を発揮したら多分実現される成長率なのだと思いますが、もしそうであるとすると、政府はそれが一つの目安になって、政策運営しているはずなので、それから外れた成長率になると、現実の、ほとんどが現に外れているわけですが、では、その外れた責任はどこにあるのかというのがよくわからないですし、何が足りなかったのかも全くこれまで出てきてないのでわかりません。これは、検証していないからでもありますが。
 
小黒 島澤さんが言われたように、今回は「成長実現ケース」になっていますが、以前は「経済再生ケース」という名前だったのですけどね。
 
亀井 成長を誰が実現するのか、主語が全くわかりません。
 
島澤 これは政府の意思なんだと思います。成長実現してやるんだ、するんだっていう、多分そのあらわれなのでしょう。そうなると、これがだめだった時というのは、一体どういうケースを想定しているのでしょうか。その場合、どこに責任の所在があって、どうなるんだというのがわかりません。
 では、政策を実現していくというのは当然なので、そのシナリオ一本なのかと思うと、いや、ベースラインというのがまた実はあるのです、何もやらなければこうなんですというのが多分ベースラインなのでしょう。
 多分、その差が政策の効果なわけですが、本当に何もしなくても、先ほど小黒さんが言われたように、これが維持できるのかはよくわかりません。
 現実の、過去のトレンドと比べてすごく高いのに、何もしなくても実現できる成長率が、そもそもあなた方の認識は合ってるんですか、というところが全くわかりません。なぜ、それを根拠にその数字がベースラインだと言えるのでしょうか。
 ですから、成長実現シナリオの位置づけも、ベースラインシナリオの位置づけもわからないものが政府から出されて、これがこういう見通しなんだと。それがプライマリーバランスの試算に使われたり、債務残高比率の試算に使われたりしているのが全く理解できなくて、そもそも何なのかわからないものが、永遠に出され続けているのかなと。
 
まずは推計の前提を議論する場を開いてはどうか
小黒 私は、厚生労働省で5年に一度行う年金の財政検証の経済前提に関する委員を務めていますが、年金の財政検証の場合、以前は、幾つかシナリオあるうちの、これが政府の標準ケースですよというふうに決め打ちしていたのですが、前回の2014年の検証では8つのケースを出しました。8ケースは、政府内の整合性もありますから、内閣府の出した数字を途中までは前提にして、そこから先は8ケースに分けてやるようにしていますね。楽観的な前提もありますが、かなり厳しい前提も置いています。
 厚労省の前提の置き方も一定の課題はありますが、それでも、彼らは委員会を設置し、前提を検討する場があるのです。それが内閣府の場合はまったくありません。年金財政検証は5年、内閣府は半年に一度と、頻度の差はあるにせよ、少なくとも、過去の数字を検証し、今後の前提を先回りして検討する場を作り、公開するとか、やり方はいろいろあるはずです。
 
亀井 まずは、前提について、学者やエコノミストと議論する場を設けるだけでもずいぶん違ってきますよね。
 
島澤 半年前に出たばかりの試算と今回で何が違うのかが見えません。これまでも試算が新しくなる度、新しい情報や前提がほんのいくつか変わっただけで、今回の場合はもしかするとSNAの変更が影響しているかもしれませんが、ガラッと推計の値が変わってしまうのです。非常にあやうい推計をもとに中長期の姿と言われても、これでは意味がありません。
次回に続く)

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