シルバー民主主義「論争」を越えて<1>
2018年は日本の財政の今後にとって重要な節目の年だ。この夏までに、財政健全化の一里塚ともされるプライマリーバランス黒字化の達成時期と、その裏付けとなる具体的な計画の決定が予定されている。これは、昨年秋の総選挙における与党公約(2019年に予定されている消費税の増税分の大半を借金の返済ではなく全世代型社会保障に充てるもの)の反映も含むものだ。増税を借金返済ではなく、全世代型社会保障に充てるとは、世代間の負担と給付の格差の点から見て、どのような意味があるのだろうか。また、変えるべきものを変えられない政治の原因をシルバー民主主義という言葉で説明する人たちもいるが、それだけが理由なのだろうか。
「変える力」特集No.43では、現在、進められている財政や社会保障に関する政策議論について、これに詳しい中部圏社会経済研究所主席研究員の島澤諭氏、法政大学教授の小黒一正氏、政策シンクタンクPHP総研主席研究員の亀井善太郎が鼎談を行った。
1.世代会計から見えてくる「世代の格差」
亀井 昨年、島澤さんと小黒さんには、「こども保険」の提言の課題について、ご議論いただきました(こども保険を巡る政策議論の課題と展望)。そこでのキーワードは「世代間の負担と給付の格差」でした。今回の鼎談では、この誰にも共通する課題である世代間の格差問題とはそもそも何か、そして、政治、メディア、社会、それぞれの場において、どのような議論や決断がされるべきなのか、より突っ込んだ議論をしたいと存じます。どうぞよろしくお願い致します。
さて、島澤さんは、最近、『シルバー民主主義の政治経済学』(日本経済新聞出版社)を出版されました。
しばしば言われているのは、高齢者世代が得をしている、現役世代がなかなかいい目が見られていない、問題が先送りされていて若い世代がすごいつらい目を見る、いやいや、実はその先の人たちが問題で、今日生まれる人やこれから生まれる人のことがまったく考えられていないじゃないか、といったようなお話です。
こうした中、島澤さんは、この本を通じて、世代間の負担の問題、特に負担の先送りという問題提起をされました。世代会計という分析手法を用いて、問題を明らかにされていますが、まずは、世代会計とはどのようなものなのでしょうか。
島澤 世代会計について細かくお話をすると、恐らく授業1コマというか、かなり時間を取ってしまうので、ざっくり申し上げますと、現状を将来に先延ばしして、そのもとで財政を破綻させないようにするためには、誰(どの世代)が、どのような負担をなすべきかというのを機械的に計算する会計的な手法だと、まずは考えて頂ければよいと思います。
したがって、将来破綻する可能性があるとかないとかというのは、この世代会計ではわかりません。破綻しないように、将来清算すると、それが誰の負担になるかというのを明らかにしたいというものです。
日本の場合、しばしば言われますのが、高齢者の負担が相対的に見ると非常に小さくて、若い世代の負担が非常に重いということです。そこに世代間格差を見ます。
世代会計における「世代」とは
世代会計で重要なのは、世代の定義です。
まず、「高齢世代」は誰かというと、いろいろな見方があります。ひとつの定義としては、年金を受給する65歳以上であるとか、あるいは現在の日本の場合では団塊の世代以上を指す場合もあります。別の定義としては、政策の変更との関係で見る場合には、年金受給まであと10年くらいに迫っている55歳以上とか、そこまで入れるという考え方もあります。
「若い世代」の定義は、これは何を分析したいかということで分かれてきますが、ひとつあるのは、選挙権を持っている/持っていないということで分けられます。選挙権を持っているのが「現役世代」です。
「将来世代」というのは、まだ生まれていない、今年は2018年ですが、2018年現在で生まれていない人たちを将来世代という場合もありますし、先ほどの分け方でいいますと、有権者じゃない世代、ですから、現在ですと17歳以下の世代が将来世代と言われる場合もあります。
何を分析のターゲットにするかで変わりますから、世代というのは非常に相対的な概念だと言えましょう。
世代会計から見えてくる将来世代への先送りの実態
世代会計は、日本では、1995年に、内閣府、当時の経済企画庁が最初に政府の公式的な推計を行って以降、しばらく注目されることはなかったのですが、財政の危機的な状況等といろいろマッチして、2000年代の前半ぐらいからいろいろ取り上げられるようになってきました。
その中でしばしば言われてきたのが、高齢世代が得をして、若い世代が損をしているという「世代間格差」なのです。
さらに最近は、そこから進んで、世代間格差はだいぶ認知されてきましたが、それが一向に改革されないのは、得をしている高齢世代が政治の世界で多くの票数を持っているので、数自体でいうと現役世代も含めた若い人の数が多いのですが、彼らは投票に行かない結果、投票率を加味すると、高齢世代の政治的影響力が強くなっているからだという意見が出てくるようになりました。これが、いわゆる「シルバー民主主義」論です。
それで、高齢者が悪い、もしくは、社会保障改革、財政改革を妨げる悪しき高齢世代という認識がだんだん拡がってきているわけです。
しかし、世代会計をよく見てみると、確かに高齢世代では純受益世代というのがあるわけですが、彼らは、若い時期に戦争を経験していて、戦後の何もない時代で人的資本が積めなかったような世代で、この人たちは特別だと考えるべきだと思います。
問題は、そうした戦前、戦中の世代が築き上げてきたものをそのまま受け継いだ団塊の世代以降の高齢者の負担と受益のあり方なのではないかなと思っています。
ただ、そうした人たちと現役世代の負担と受益を比べると、その差は10%弱程度です。格差が無いとは言いませんが、それほど大きなものとは言えません。
もっとも大きいのはどこかと言えば、いま生きている現在世代と、まだ生まれていない将来世代の格差です。将来世代と、生まれたばかりの0歳世代との差を比べると、マクロ経済環境や財政・社会保障制度が同一であるはずなのに、27%ありますので、現役世代の中の格差よりも、現役世代と将来世代の格差のほうが大きいという姿が見えてくるのです。
したがいまして、世代間格差といった場合、確かに、いまの高齢世代といまの若い世代の間での格差はありますが、より大きいのは、いまの世代とまだ生まれてない世代の格差であり、つまり、二つの格差を考えなければならないということだと思っています。
確かに、現在の高齢世代はおいしい思いをしているかもしれないですが、これは程度の問題でして、比較すれば、まだ生まれていない世代との格差のほうが大きいということを忘れてはならないのです。
つまり、これは、いま生きている現役世代が、高齢世代も若い世代も結託して将来に負担を先送りしている結果なのです。
高齢世代が政治を牛耳っている「シルバー民主主義」というよりは、実は、いまの生きている世代が、これまでの制度を前提として、それを一緒になって変えないでいる、いわば、高齢世代と現役世代による「暗黙の結託」の結果とみるべきなのではないかと思います。