地方経済を再生させる企業とまちのたたみ方

冨山和彦(経営共創基盤(IGPI)代表取締役CEO)×荒田英知(PHP総研主席研究員)

 9月29日から始まった秋の臨時国会では、「地方創生」が大きなテーマとなっている。安倍総理は、内閣改造で石破茂氏を地方創生担当大臣に任命するとともに、「まち・ひと・しごと創生本部」を設置した。政府は、地方創生の理念を定めた基本法案を臨時国会早々に提出し、速やかに可決。省庁のタテ割りを排した地域活性化に全力を挙げる方針と報じられている。
 
 地域活性化はこれまでの政権も力を入れており、すでに内閣官房には、「都市再生本部」「構造改革特別区域推進本部」「地域再生本部」「中心市街地活性化本部」「総合特別区域推進本部」の5つの本部が置かれている。今回、地方創生を進めるといっても、従来型の施策の焼き直しに止まるのではないかとの見方も根強い。
 
 政府に地方創生に対する危機感を募らせるきっかけとなったのは、増田元総務大臣を中心とする日本創成会議がまとめた、「大都市への人口移動が収束しなければ、2040年には全国1800市区町村のうち約半数の896が消滅可能性都市になる」とするレポートであった。これを受けて、骨太の方針も「50年後にも1億人程度の安定的な人口構造を維持することを目指す」と、初めて人口減少への対応を盛り込んだ。
 
 本格的な人口減少という局面で、地域活性化という古くて新しい課題に、どうすれば起死回生策を見出すことができるのか。『なぜローカル経済から日本は甦るのか』の著者である冨山和彦氏とともにそのヒントを探った。

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冨山和彦氏(経営共創基盤(IGPI)代表取締役CEO)

1、人手余りから人手不足に転じた地方経済
 
荒田 冨山さんのご著書『なぜローカル経済から日本は甦るのか』は、グローバル(G)とローカル(L)という二つの世界を対比し、わが国のGDPの7割を占めるLの方の経済成長戦略を解き明かされたことが実にタイムリーでした。夏には、菅官房長官の愛読書であると新聞記事に取り上げられたり、地方創生本部事務局の参考図書リストに載っているとも伝えられたりしています。先日はある研究会のゲストにお迎えした公明党の石井啓一政調会長が、カバンから同書を取り出し、「これを読んで、なぜローカル・アベノミクスが必要か、一目瞭然にわかった」と仰っていました。
 
冨山 私は、本来はLでなくてGの世界の人間なんですけどね(笑)。当社(経営共創基盤)の子会社に「みちのりホールディングス」という地方公共交通の運営会社があります。岩手県北バス、福島交通、会津バス、茨城交通、関東自動車の5グループを抱えて、合わせて約3500人の従業員と2000台近いバスとタクシーを保有しています。これらの会社の経営に関わることを通じて、地方経済に問題意識を持つようになりました。
 
荒田 地方創生という古くて新しい課題に対して、これまでと何が違うのか、どうあるべきとお考えでしょうか。
 
冨山 地方経済をめぐる環境面では、現在、人手不足という極めて大きな変化が起こっています。これまでは人手余りの中での地域活性化だったのです。人手が余って仕事がないからどうするかという議論でした。結果的には、それらの政策はワークしませんでした。それが今度は人手不足です。景気低迷の中で、都市よりも地方で先に人手不足が起こっているという環境変化があります。人手不足の中で地方創生をどうするかが問われます。政策展開するときの自由度、選択肢の広がりは、人手が不足している時の方が大きいと思います。
 
荒田 Lの世界で成長の鍵を握るのは、生産性の低い企業の「緩やかな退出」であるという指摘は全く同感です。けれども、これを現実に進めようとすると簡単にはいきません。従来と何を変えることが効果的なのでしょうか。
 
冨山 これまでは人手が余っていましたから、それを吸収するためには生産性の低い企業や産業が存続することが、必ずしも悪いことではなかったのです。ローカル経済圏の主役は労働集約的な非製造業、いわゆるサービス業ですから、それらを低い労働生産性のまま、金融措置や助成金で延命させるということをやってきたのです。人手不足のいま、これを続ける理由はなくなりました。生産性の低い会社は退出するか、生産性の高い会社や業種を応援して、そこに雇用を引き取ってもらう、ということが政策の基本になります。

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出典:首相官邸ホームページ

 
2、産業政策と社会政策は別ものである
 
荒田 これまで地方自治体は、地域の産業政策と称して、地場企業に対してさまざまな補助金や助成金を出してきました。しかし、それは産業振興政策というよりも、延命するための社会福祉政策になっているのが実態だと思います。
 
冨山 バブル崩壊以降は、人手余りは続いていましたから、それを失業という形で顕在化させるよりも、企業の側に社会政策を代替してもらったということですね。その限りでは延命政策は功を奏したといえなくもありません。しかし、いまや人手不足の局面ですから、そういう政策を引っ張る必要は社会政策的にもなくなったのです。
 
荒田 「緩やかな退出」という方向性は地域で共有できると思うのですが、それが予定調和的に進むとは限りません。ご著書では地域金融機関の「目利き」としての役割を重視していますが、はたして金融再編が続いた中で地場の金融機関にそうした人材が育っているかが気になります。
 
冨山 結局は人材の問題に帰着します。解決策は2つしかなくて、もし大都市と地方で人材の不均衡があるなら、それをどう還流させるかです。ちょうど、当社(経営共創基盤)のスタッフがみちのりホールディングス傘下の東北のバス会社に張り付くイメージです。もう一つは、どこにも人材がいないなら、時間をかけて育てるしかないということです。
 
荒田 地域のコーディネート役としては、地方自治体への期待もあるのですが、多くの場合は目利き役までは期待できそうにありません。しかし、たとえば農業の退出戦略を考えようとすると、農地の土地利用の問題とか、自治体の積極的な関与というかデザイン力が求められる場面も想定されます。
 
冨山 ここは難しい問題です。役人が「こういう風にすれば、うまくいく」というように商売の中身に口を出すと必ず失敗します。それは無理なんです。それができるなら自分でやればいい。そうすると自治体ができることは何か、という話になります。地方自治体にしても中央政府にしても政府部門の役割は、能力があってやる気のある人たちが起業しようとした時に「邪魔をしない」ことにつきます。邪魔の仕方には2つあって、1つは余計な規制をいっぱいつくること。2つめは能力もやる気もない人でも貰える補助金をつくることです。弱者救済型のお金の出し方はダメです。この2つをずっとやってきたのです。大事なことは、規制にしても政策金融による支援にしても、よりイノベイティブで高収益な会社、ブラックな会社よりもホワイトな会社の方が得をするような監督や支援の仕方をすることでしょう。
 
荒田 そういう見極めは、中央政府が一律にやるよりも、本来なら地域に密着した地方自治体の方が得意でないといけないですよね。
 
冨山 それはそうです。近くでみた方が、規制やお金の使い方は判断がしやすいでしょう。だからこうした政策転換の効果をきめ細かく測定して、PDCAを粘り強く回す役割は重要です。けれども、近くにいると弊害もあって、近くの困った人たちがすごい勢いで来るので、しがらみでたいへんなことになります(笑)。その意味では、近いのと遠いのと五分五分でしょうか。しがらみにお付き合いしなくて良い防衛線を国が設定して、自治体が「国のせいでできません」といえるようにしてあげることも必要かもしれません。
 
荒田 だれが悪者になるか、という話ですね。
 
冨山 ある意味、不利益の再分配ですからね。従来は強い人も弱い人も救われるやり方をやってきました。結局、弱い人が足を引っ張って全体が沈んでいくという構図が地方の産業にはあったわけです。これを「強い人は天まで上がれ、弱い人は穏やかにエグジットを」ということを進めていくわけですから、前者は応援するけど後者はできないというルールは、現場から離れた霞が関で決めた方がうまくいくのではないでしょうか。
 
 社会政策的にみれば、これには不公平感があるでしょう。「強きを助けて、弱気を挫いて」いるような見え方をするんです。でも、産業政策とは、そういうものです。「強きを挫いて、弱気を助ける」のは社会政策の役割です。社会政策は本来的には企業ではなく個人に対して講じられるべきでしょう。企業に対して社会政策をやると、成長力を阻害するという大きな社会的コストが発生するということを肝に銘じるべきです。

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3、地方に足りないのは「高質」な仕事
 
冨山 人手が不足している局面では、企業に雇用を吸収してもらう必要はなくなります。むしろ期待すべきは、生産性と賃金をあげること。「地方に仕事がない」とよくいいますが、地方でバス会社をやっている実感からするとウソです。都会よりも生産労働人口が先行的に減っているので、量的な意味での仕事は相対的に十分にあるんです。地方に足りないのは「高質」な仕事です。賃金水準が高く、雇用形態が安定的な仕事がない。現実に、地方で公共工事を増やしているけれども消化できずにいます。あれだけ労賃が上がっているのに、やる人がいないんです。理由は簡単で、仕事がハードということもあるけれど、工事が終わったら仕事がなくなるということをわかっているから。一方で、継続的に雇用されるサービス業の方は相対的に賃金が安い。そうすると、高質な仕事はなんとなく東京にあるように錯覚して、「都会へいってみよう」ということになる。ところが実は、東京でも事情は同じで、一般事務職の正社員という雇用はほとんどないんです。地方から出てきた若者が、気がついたらコンビニや居酒屋のバイトだった、ということになっています。
 
荒田 都会に出て行っても、地方で就ける仕事と大差なくなっていると。
 
冨山 そうなってしまうんです。これは不幸な状況です。もちろん、運のいい人は最近のユニクロみたいに正社員化の流れに乗ったりします。この流れを全国に広げるべきです。なぜユニクロが正社員化できるかというと、高生産性だからです。赤字の会社に賃金を上げろといってもできません。つぶれますからね。まず、赤字の会社が生産性を上げて黒字にするのが先なんです。黒字になったら賃金を上げられます。これが地方の企業のやるべきことです。
 
荒田 今回の地方創生の成否を占う尺度として、若者の流出に歯止めがかかるかがあります。潜在的な大都市への憧れに対抗できるだけの、働く場としての地方都市の魅力をいかにつくるかが問われていると思います。ご著書では、退出と集約が進んだ後の課題として、寡占的安定と適度な規律の両立が重要と指摘し、それを実現する仕組みの一つとして「非営利ホールディングカンパニー」という概念を提唱していますが、どのような形態なのでしょうか。
 
冨山 株式会社と公益法人の中間形態として、医療・介護をはじめとした公共性の高い分野で成立可能とみています。サービス産業はもともと公共性の高い分野ですから。公共交通も当てはまるかもしれません。教育もいけるかもしれませんね。そうした領域で生産性を高めていくためのフォーマットとして、このやり方があるのかなと思います。サービス産業の中でも、社会福祉系に加えて地方公共交通は隠れた成長産業なんです。要は高齢者が増えるからです。
 
 こうした産業分野は、資本価値の最大化だけの価値観で走られたのでは困るんです。典型的なマルチステークホルダー型の企業形態です。社会や公共の利益と株主の利益、従業員の利益、サービス受益者の利益それぞれを持続的にバランスを取る。地域の中で共創共生的にやっていくための会社のガバナンスのあり様なんです。だから、資本の構成は工夫する必要があります。近年、アメリカでも広がっています。
 
荒田 日本でも再生可能エネルギーを大手資本でなく地域主導で進めていこうという問題意識をもった地域で、似たようなスキームが生まれています。たとえば長野県の飯田市では市民出資の「おひさまファンド」を活用して、公共施設や一般家庭の屋根にソーラーパネルを置いて太陽光発電の普及を進めています。ここでも持続性が活動のキーワードになっています。
 
冨山 エネルギーも公共的ですから、似ていますね。持続性というのがとても大事なんです。G(グローバル)の論理でいくと、グローバル競争に生き残るための持続性の方が大事になってしまうから、L(ローカル)における持続性は犠牲にして、グローバルでトータルに生き残るという志向になります。このグローバル経済圏の論理を地域に持ち込むと必ず軋轢が生じます。地域はあくまで地域循環型のモデルを考えなければなりません。
 
荒田 持続的な地域循環モデルを構築するためにも、退出と集約を進めるべき分野があるのかもしれません。医療・介護に加えて、公共交通、エネルギー、場合によっては教育はどうでしょうか。
 
冨山 教育の生産性格差も極めて大きいと思います。今日の公共サービスは、経済的な自立力と公共的な責任との関係がトレードオフではなくて、経済的自立力が高いから、より少ない税金でより高い公共サービスを担うことができるという関係になっています。したがって、より高い生産性や付加価値をより高い効率で実現するということからすれば、生産性の低い人は公共性という付加価値をつけることができないということになります。結局のところ、良い経営をするという点においては、教育機関も同じだと思います。
 
 短期的な収益性を追求するだけなら、バス会社でも古いバスを使い続けて排気ガスもどんどん出せばよいということになります。しかし、それでは地域と折り合いがつかなくなります。持続性がないのです。そういう会社で働きたいと思う人も減っていきます。地域と持続的に共創共生していくという命題が入った瞬間に、先ほどのトレードオフの議論はナンセンスなものになってしまうのです。
 
 Gの世界の人はLの世界から逃げも隠れもできるんです。地域から逃げも隠れもできない存在が大事で、だから金融でいえば、地域金融機関が大事なんです。ほかの地域では競争力もなにもないから(笑)。彼らは、地域の中でやっていくことにこそ比較優位があります。

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荒田英知(PHP総研主席研究員)

 
4、大学にも当てはまるGとLの世界
 
荒田 地方創生を進める時の地域資源として、大学をどうみますか。文部科学省も、従来からの研究と教育につぐ第3のミッションとして地域志向を掲げた、「地(知)の拠点」というモデル事業をスタートしています。また、この夏、九州の大学の学長の方々と意見交換した時に、「優秀な学生ほど東京に出ていく」と嘆いていました。いい大学ほど、人材流出の拠点になってきたという皮肉な現実があります。地域における大学のあり方もまた、問い直されていると思います。
 
冨山 もし、大学発のグローバルベンチャーみたいなことを想定しているとしたら、九州という単位で1つか2つできれば上出来でしょうね。残りの大学は、職業訓練校になった方がいいと思います。「卒業までに大型二種免許を取らせる」といったことをやるのです。
 
荒田 フィンランドの大学を訪ねた時に、日本でいう高専(5年制の高等専門学校)のイメージに近いなと思ったことがあります。
 
冨山 世界の大学の常識はそちらですよ。大学をアカデミック・スクールとプロフェッショナル・スクールに分けるとすると、前者はほんの一握りで、Gの世界で求められる知識のレベルはどんどん上がって競争も厳しくなっています。そうなるとそこで勝負できる人の数も自ずと限られてきます。日本でも昔なら3割くらいの学生が関われたかもしれませんが、それが2割になり1割になっているという印象です。テニスの全米オープンで準優勝した錦織圭になれるのは、ほんの数人だけということなんです。ワールドカップやオリンピックで活躍することは素晴らしいことなんだけれども、それを全ての人に求めるのは全くもってナンセンスです。
 
荒田 私もテニスをやりますが、錦織選手とは別のスポーツだと思ってやってます(笑)。
 
冨山 ほとんどの人がそうなんです。それでいいんです。地域に存在する大学が担うべきは、現実にそこに存在する仕事、看護師かもしれないしバスの運転手かもしれないし、あるいは観光業かもしれません。そこで本当に必要な職業能力とは何か。観光業だったら英語や中国語が必須でしょう。その時にアカデミックな英語や中国語を教える必要はないのです。観光業の中で必要な英語や中国語を教えればいいのです。
 
 そうなると、今度は大学の先生がアカデミック・キャリアでエデュケーショナル・キャリアでないために、ミスマッチが生じてしまいます。教授自身は研究で生きていきたいのですが、教育では大型第二種免許を取らせることが求められます。はたして大学教授の何パーセントが大型第二種免許をもっているでしょうか(笑)。経済学部で教えるべきことは簿記・会計につきます。目指すべきは、卒業生全員が簿記二級をもっていることです。その方が、難しい何とか均衡論を学ぶよりはるかに役に立ちます。
 
荒田 大きな可能性を感じますが、実際に大学がそちらに舵を切るのはかなりたいへんそうですね。とくに教員のプライドが邪魔をしそうに思います。
 
冨山 研究をしているというプライドを、人を育てているというプライドに変えてもらうことですね。あれだけの時間と税金を投じて人材育成をしているわけですから。物事を戦略的に考える際のポイントは、「簡単だけど効果の大きいものは何か」をまず考えることです。ロー・ハンギング・フルーツ(低いところにぶらさがっている果物)というのですが、日本の地方都市においては、大学で教える中身を変えることが、所得の増加と生産性の向上に直結することは間違いないです。
 
 今年にかけて訪日外国人観光客が増加しましたが、それで生じたのが観光ガイド不足、バス運転手不足です。ホテルも部屋はあっても賄いの人手が足りなくて断ることがあると聞きます。政府目標の2000万人が本当に来たら、たいへんなことになりますよ。この時の課題は、こうしたサービス業に従事する人の賃金をどれだけ高い水準にできるかです。最低賃金ぎりぎりの非正規雇用で回していたのでは、地域の定住人口の流出は止まりません。この機会を捉えて、地域に高質な仕事とその仕事を担うことができる人材をつくれるかが問われます。
 
荒田 地方創生を進めるうえで、地場企業の緩やかな退出戦略とともに、大学という大きな可能性が見えてきました。GとLというコンセプトは、大学にも当てはまりますね。
 
冨山 全国にミニ東大をつくって、キャッチアップ型の経済の中で「みんなで上がっていこう」とやってきたけれど、もうやめた方がいい。本気でGを目指し続けるのか、Lの一番を目指すのか。相当な有力校でもこの選択は問われてきますよ。Lモードに特化して、「うちは卒業までにこれだけの資格を取らせます」という大学が出てこないかな。そうなるとライバルは自衛隊ということになります(笑)。

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5、問われる「まちのたたみ方」
 
荒田 地方創生を進める時には、今日おうかがいした「企業のたたみ方」とともに、人口減少が進む中での「まちのたたみ方」が問われると思います。今年5月に増田元総務大臣がまとめたレポートでは、2040年に市区町村の半数に消滅可能性があると指摘され、今回の地方創生の問題意識に火をつけるかたちになりました。
 
 この状況の中で、地方に高質な仕事をつくるという時に、どのような都市の規模や特性を備えていることが必要かについてもお聞きしたいと思います。ご著書の中では、青森市や盛岡市のような人口30万人規模の都市を例示されていますが、東京圏に対抗する高質で魅力的な仕事をつくれるかという点からは、東北なら仙台市、九州なら福岡市のような、もう少し大きな規模の都市の可能性により期待できるのではないかと思います。この点はいかがでしょうか。
 
冨山 私の感じでいうと、仙台や福岡は大きすぎるかなと思います。東京の最大の弱点は「大きすぎる」ことです。仙台や福岡はこのままでも膨張を続けていくでしょうし、高質な仕事もそれなりに生まれると思います。逆にこれらの都市が大きくなり過ぎると東京化してしまって、出生率の低下などの東京と同じ問題がでてくる恐れがあります。ヨーロッパやアメリカの都市と比べても、仙台や福岡、札幌はいまでも十分に巨大都市です。
 
 だから、政策的に何か手を打つとしたら、盛岡や青森の規模かなという感じなのです。30万都市では高質な仕事をつくりにくいとするなら、それをどうやって50万都市にするかを考える方が、全国的な拠点都市の形成という意味では妥当ではないかと思います。
 
荒田 たしかに職住近接的なイメージはつくり易い規模だと思います。よくコンパクトシティといわれますが、都市を核とした集約化についてはどう考えますか。
 
冨山 公共サービスの効率性、持続性を考えれば、都市の密度が重要になります。ただ数だけ合わせた50万都市をつくっても仕方がありません。中心市街地に人を寄せて、周辺地域にはほとんど人が住んでいないという状況をつくることが望ましいと思います。
 
荒田 そのためには、過疎地や限界集落に住んでいる人たちの「退出戦略」が必要になります。
 
冨山 基本的人権を尊重しながら、独りになった高齢者に中心市街地の施設や介護付マンションに移ってもらうための支援策などを粘り強く講じることが必要でしょう。点在する集落に公共サービスを提供し続けると結局はコストにはね返ります。その分を退出するコストに振り向ける方が賢明だと思うのです。企業でも創業するときよりも退出する時の方がコストがかかります。時間がたてば自然と集約化されるというのは間違った見方で、退出コストを公共が負担して集約化を進めることが必要です。
 
荒田 地方創生の鍵が「延命よりも退出」にあることがよくわかりました。地方創生の具体化局面で、政府が腹をくくって政策の舵を切れるかどうか、注目していきたいと思います。同時に、政府や自治体頼みではない、民の力や人の力にも期待したいところです。
 
 山梨市牧丘町に株式会社hototoという農業生産法人があります。代表を務める水上篤さんは、外資系企業に身を置きニューヨークでバリバリ働いたGの側の経歴をもつ人物です。それが超富裕層の田舎志向のライフスタイルに刺激を受け、リーマンショックを契機に「自分のオリジナルに立ち返る」と決意し郷里の牧丘で帰農。ブドウなど果樹に加えて、無農薬野菜や養鶏、研修事業や飲食・宿泊施設などの多核経営に取り組み、最終的に「地域で回る30億円企業」をめざしています。
 
 水上さんに話をうかがうと、事業展開では常に持続性を意識しているのだそうです。ローカル経済の中でお金を回すことが大事で、昔のモデルに戻れば地域は回る。そのために自分は地域資源を活用するファシリテーターなのだと水上さんはいいます。地域から逃げないという姿勢は、冨山さんの指摘ともピタリと符合するものです。そんな水上さんのもとには、全国から農業で地域を再生したいという意欲をもつ人たちが続々と集まってきます。こうした自発的な人の力こそが、地方創生の真の原動力だといえるでしょう。
 
【写真:遠藤宏】

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