地方経済を再生させる企業とまちのたたみ方

冨山和彦(経営共創基盤(IGPI)代表取締役CEO)×荒田英知(PHP総研主席研究員)

souseihonnbukanban1
出典:首相官邸ホームページ

 
2、産業政策と社会政策は別ものである
 
荒田 これまで地方自治体は、地域の産業政策と称して、地場企業に対してさまざまな補助金や助成金を出してきました。しかし、それは産業振興政策というよりも、延命するための社会福祉政策になっているのが実態だと思います。
 
冨山 バブル崩壊以降は、人手余りは続いていましたから、それを失業という形で顕在化させるよりも、企業の側に社会政策を代替してもらったということですね。その限りでは延命政策は功を奏したといえなくもありません。しかし、いまや人手不足の局面ですから、そういう政策を引っ張る必要は社会政策的にもなくなったのです。
 
荒田 「緩やかな退出」という方向性は地域で共有できると思うのですが、それが予定調和的に進むとは限りません。ご著書では地域金融機関の「目利き」としての役割を重視していますが、はたして金融再編が続いた中で地場の金融機関にそうした人材が育っているかが気になります。
 
冨山 結局は人材の問題に帰着します。解決策は2つしかなくて、もし大都市と地方で人材の不均衡があるなら、それをどう還流させるかです。ちょうど、当社(経営共創基盤)のスタッフがみちのりホールディングス傘下の東北のバス会社に張り付くイメージです。もう一つは、どこにも人材がいないなら、時間をかけて育てるしかないということです。
 
荒田 地域のコーディネート役としては、地方自治体への期待もあるのですが、多くの場合は目利き役までは期待できそうにありません。しかし、たとえば農業の退出戦略を考えようとすると、農地の土地利用の問題とか、自治体の積極的な関与というかデザイン力が求められる場面も想定されます。
 
冨山 ここは難しい問題です。役人が「こういう風にすれば、うまくいく」というように商売の中身に口を出すと必ず失敗します。それは無理なんです。それができるなら自分でやればいい。そうすると自治体ができることは何か、という話になります。地方自治体にしても中央政府にしても政府部門の役割は、能力があってやる気のある人たちが起業しようとした時に「邪魔をしない」ことにつきます。邪魔の仕方には2つあって、1つは余計な規制をいっぱいつくること。2つめは能力もやる気もない人でも貰える補助金をつくることです。弱者救済型のお金の出し方はダメです。この2つをずっとやってきたのです。大事なことは、規制にしても政策金融による支援にしても、よりイノベイティブで高収益な会社、ブラックな会社よりもホワイトな会社の方が得をするような監督や支援の仕方をすることでしょう。
 
荒田 そういう見極めは、中央政府が一律にやるよりも、本来なら地域に密着した地方自治体の方が得意でないといけないですよね。
 
冨山 それはそうです。近くでみた方が、規制やお金の使い方は判断がしやすいでしょう。だからこうした政策転換の効果をきめ細かく測定して、PDCAを粘り強く回す役割は重要です。けれども、近くにいると弊害もあって、近くの困った人たちがすごい勢いで来るので、しがらみでたいへんなことになります(笑)。その意味では、近いのと遠いのと五分五分でしょうか。しがらみにお付き合いしなくて良い防衛線を国が設定して、自治体が「国のせいでできません」といえるようにしてあげることも必要かもしれません。
 
荒田 だれが悪者になるか、という話ですね。
 
冨山 ある意味、不利益の再分配ですからね。従来は強い人も弱い人も救われるやり方をやってきました。結局、弱い人が足を引っ張って全体が沈んでいくという構図が地方の産業にはあったわけです。これを「強い人は天まで上がれ、弱い人は穏やかにエグジットを」ということを進めていくわけですから、前者は応援するけど後者はできないというルールは、現場から離れた霞が関で決めた方がうまくいくのではないでしょうか。
 
 社会政策的にみれば、これには不公平感があるでしょう。「強きを助けて、弱気を挫いて」いるような見え方をするんです。でも、産業政策とは、そういうものです。「強きを挫いて、弱気を助ける」のは社会政策の役割です。社会政策は本来的には企業ではなく個人に対して講じられるべきでしょう。企業に対して社会政策をやると、成長力を阻害するという大きな社会的コストが発生するということを肝に銘じるべきです。

関連記事