「伝統に回帰する」か「さらに国を開く」か -憲法改正論の新潮流―

政策シンクタンクPHP総研 研究主幹 永久寿夫

 昨年、参院選を前に、憲法第96条、改正規定についての議論が起こった。今年は集団的自衛権をめぐる議論が活発化している。自衛隊の合憲・違憲は昔から議論されてきたテーマであり、「アメリカから押しつけられた憲法」という立場から、新憲法制定を目指す向きもある。さらに、社会が大きく変化する中で、それに適合するよう修正すべきという議論もあり、さまざまな憲法改正案が出されるようになった。
 
 その草分けは、94年発表の読売新聞の改正案だろう。その後、PHP研究所から04年、世界平和研究所から05年に、改正案が出されている。日本青年会議所(JC)は06年と12年に草案を発表。さらにゲンロン憲法委員会が12年、その翌年には産経新聞も憲法草案を発表している。自民党からは05年と12年に改正案が示された。
 
 このように憲法論議は長年にわたって盛んに行われてきたが、実際のところ、私たちは憲法をどれだけ理解しているのか、どれだけ真剣に考えたことがあるのか。憲法を専門家のものとせず、主権者である国民が、憲法をきっちりと考えてみる機会が必要なのではないのか。そうした問題意識から、PHP総研では、7月25日に、「なぜ、いま、憲法が問題なのか」をテーマにフォーラムを開催し、JCとゲンロン憲法委員会といった憲法に関してはいわばアマチュアの集団がつくった草案をたたき台に、専門家の見解を交えながら憲法について考えた。そのフォーラムの内容をまとめたのが今特集である。
 
 
 第5回「変える力」フォーラム 
 
【テーマ】
「なぜ、いま、憲法が問題なのか」
 
【パネリスト】
曽我部真裕(京都大学大学院法学研究科教授)
西田 亮介(立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授)
松原 輝和(公益社団法人日本青年会議所憲法論議推進委員会副委員長)
【モデレータ】
永久 寿夫(政策シンクタンクPHP総研研究主幹)

JC松原輝和氏

1.憲法見直しの契機は東日本大震災
 
永久 それでは、JCの松原さんから、草案をつくった背景・理由、特徴や重視すべきポイントなどについて、ご説明ください。
 
松原 契機は、東日本大震災です。私たちは日々の生活の中で、日本民族としての誇りや精神性を見失い、社会に閉塞感を感じているのではないか。そこに大震災が発生しました。被害は甚大でしたが、日本人の行動が世界から称賛され、私たちは日本人の価値観にあらためて目覚めました。なぜ、そうした大切なものを、忘れてしまっていたのか。その一因が、憲法にあるのではないかと思ったのです。
 
 歴史的背景を検証し、現憲法は日本の弱体化のためにつくられたという結論に至りました。だから、いま、公や家族を大切にせず、個人主義に走る人が多いのではないか。JC草案は、公の心、公共の利益、公助の精神を大切にし、そのための義務を明記する内容になっています。
 
 
 安全保障に関する内容も特徴的です。自衛隊を「国防軍」にし、集団的・個別的自衛権を認めると明記しました。それによって、国民一人ひとりに、国防への認識を強めてもらいたい。国家非常事態条項にもご注目ください。これは津波で流された車を勝手に取り除くことが憲法上できないといった問題が復興を遅らせる障害になっていることを踏まえ、つけ加えました。また、憲法の顔である前文にもこだわりがあります。歴史的背景、人々の暮らし、この国のかたちなど、「日本らしさ」を表現することで、真の自主独立、主権国家として国民が国を想い、自主的に創り上げた憲法であることを内外に明示しました。
 
永久 次に、ゲンロン草案について、西田さん、お願いします。
 
 
西田 ゲンロン草案は、哲学者の東浩紀さんを中心に、楠正憲さん、境真良さん、白田秀影さん、そして僕をメンバーとするゲンロン憲法委員会の手で作成されました。2011年に東日本大震災があり、社会秩序の大きな変動が起きました。このような問題に直面したときに、東さんが、一度、国の根本原理を見直すような思考実験をすべきではないかということで、この問題に取り組もうとメンバーに声をかけていったことが出発点でした。東日本大震災を出発点にするという意味では、JCさんと似ていますね。ただし、寄って立つ価値観は異なると感じます。
 
 これまでの、とくに近年の憲法改正案は、いずれも経済団体や政治団体、メディアによるものなどであって、草の根から議論を立ち上げていくという性質のものではありませんでした。しかし、憲政史を紐解いてみると、大日本帝国憲法策定の時も、現憲法制定の時も、民間から活発に提案がなされていました。ゲンロン草案は、社会科学、人文科学を中心とする人間が集まってつくったものですが、そのような草の根的な伝統を継承するという側面を持っているといえます。
 
 特徴は、大きく二つあります。一つは、現状肯定です。今の日本社会は様々な問題を抱えていますが、比較的裕福であり、文化も発展していて、様々なコンテンツも輸出している。こうした社会を積極的に擁護しているといえます。情報化社会の恩恵を少なからず受けているといえますが、そのような必ずしも伝統に回帰しない「日本の良さ」のようなものを肯定的に捉えているといえます。
 
 もう一つは、問題解決の手法としての側面です。現実に存在するさまざまな社会問題を、制度の根源である憲法、そして機能する統治のシステムを通じて解決していくことはできないか。そのような問題意識があります。例えば、安保に関しては、自衛のための組織は有するが、戦争のための組織ではないことを明示しています。このように、今ある価値を積極的に肯定し、かつ、現状の問題や機能不全を制度的に解決する機能を折り込みました。
 

京都大学曽我部教授

2.古き良き日本の復興か、さらなる開国か
 
永久 二つの草案は両極にあるように見えます。JC草案は、すごく保守的なイメージ。ゲンロン草案は、新しい価値というか、現状の価値を肯定的に捉える姿勢。ですが、じっくり読むとそれほど違いはないようにも見える。このあたり、憲法の専門家が読まれるとどうなのか。曽我部さん、お願いします。
 
曽我部 憲法改正案を考える場合、大きく二つの側面があります。一つは、理念や価値のレベルで構想する。もう一つは、ねじれ国会や財政規律をどうするかなど、法技術的な観点で構想することです。二つの案はいずれも理念にウエートを置いた案だと思います。
 
 両者とも、現行憲法の理念とは多かれ少なかれ異なった理念を打ち出していますが、グローバル化とか、安全保障環境の変化とか、現状認識は大きく違いません。対極的なのは、その対応です。ゲンロン草案の前文には「開かれた国」という文言があります。グローバル化時代の日本を開かれた国にしなければならないが、現行憲法はその点が不十分だと見ている。それ以外は、日本国憲法の基本理念が踏襲されています。「開かれた国」という理念と国民主権は、対立する局面もあるのですが、かなり巧妙にその両立をはかっています。
 
 JC草案は、グローバル化時代だからこそ、日本人はアイデンティティーを持たなければならないという姿勢です。それには、古きよき時代に回帰しなければならない。現憲法にはない「共同体」という言葉が何度も出てきますが、これは、家族、地域、あるいは日本全国、要するに、天皇を中心とする日本人の共同体なのでしょう。
 
 過去に回帰するに当たって、制度だけではなく、国民も変わらなければならないという点が特徴的です。例えば、国民は、歴史や伝統を尊重し、公益、国益に尽くす責務がある。そうした責務を果たしている限りは、保護される。国家緊急権の規定がありますが、一般には国家権力の濫用のおそれがあるとして批判されますが、むしろ、国家たるものは日本人を守らなければならないという発想によるものでしょう。他方、国民以外、あるいは国民であったとしても、共同体の義務に反するような者には冷たいという印象で、外国人の権利や刑事被告人の権利などが大幅にカットされています。
 
 一方、ゲンロン草案は、国民に対して冷たい。住民という概念をつくり、外国人であってもかなりの権利を認める。国民を甘やかすのではなくて、国を開いて外国人と競争させるということが、逐条解説には書いてあります。
 
 まとめると、JC草案は、伝統的な日本の復興を目指す。国民はこの伝統を受け入れる限り、非常に心地よく守られるというイメージ。ゲンロン草案は、開かれた環境の中で、在日外国人も含む住民が競争と協働をしながら、政治的な意思形成を行っていくというイメージです。
 
永久 ただ、制度については似ている部分もあるように見えます。例えば、元首。JC草案は、「天皇は元首であり、日本国民統合の象徴」。ゲンロン草案は、2人元首がいて、天皇は象徴的行為を行う象徴元首、首相は行政権の行使をする統治元首、とあります。二つとも、実質的に今と変わらないのではないのでは。
 
曽我部 相当違うと思います。元首は対外的に国を代表する象徴的な意味を持ちますが、もともとは統治権を総覧する実権を持った人です。
 
 元首は国の一体性を象徴するものだから、ゲンロン草案の二元制は、概念矛盾の感じがします。また、例えば、天皇と総理が二人で外国訪問した時に、どちらが外交儀礼上優先されるのか。天皇の元首性は各所で言われているので、天皇は元首とする。それだけだと天皇の権力強化ととられる恐れがあるので、もう1人元首をつくったという妥協策のように見えます。いずれにしても、他の条文も併せ読むと、天皇の権力強化は想定されていません。
 
 JC草案は、天皇1人を元首と明記しただけでなく、条文もかなり変えている。例えば、現行第3条「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」の「承認」と、第4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行」うの「のみ」が消えている。これだと、天皇は憲法に定めのない国事行為を内閣の承認がなくともできることになり、場合によっては、政治的な責任が発生する可能性もある。
 
 また、皇室典範は今の憲法ではそういう名前の法律ですが(現行第2条)、JC草案では、皇室が自分で内部ルールとして決めることが許容されています。さらに、皇室に財産などを献上する場合、現行第8条所定の国会の議決が不要とされており、皇室の経済的な自立性を拡大させる可能性があります。
 
永久 「承認」と「のみ」を削除したのは、天皇の権限拡大を意識した結果ですか。
 
松原 今が中途半端ということです。天皇陛下は海外では元首あつかいです。にもかかわらず、憲法では元首ではない。元首であると地位を明記することで、国民だけでなく、広く諸外国に対しても立憲君主制度の君主であると定めました。権限については、そこまでの認識があったかどうか、明言できません。
 
 
永久 ゲンロン草案のほうは、2人元首がいる。
 
西田 JC草案と同じように、天皇はどういう存在なのかを明記すべきということです。機能的には現状を追認しています。
 
 

ゲンロン西田亮介氏

3.被選挙権を外国人に拡大するゲンロン案
 
永久 首相と内閣の在り方について、ゲンロン草案は、首相は「総理」という名前で国民が直接選び、行政権は内閣ではなく「政議院」にある。これは、しばらく前まで言われていた「決められない政治」を解決する一つの方法ではないかと理解できます。
 
 自民党の改正案でも首相の権限強化がテーマの一つで、行政権は内閣に存在しますが、例外的に、行政各部の指揮監督・総合調整、国防軍の最高指揮権、衆議院解散の決定権については、首相の専権事項とされています。ゲンロン草案にも似たような意識があったのでしょうか。
 
 
西田 統治の考え方として、まずは国政と地方自治を切り分け、補完性の原理に基づいて地方の問題は極力地方に還元していく。国政のほうは、スピーディーな意思決定が様々な問題に対応する上で必要と考えました。具体的には、ねじれ国会が生じた時に大問題になるのが予算なので、これを政争の材料にならないようにすることなどです。
 
  ただ、よく言われるように一院制がいいかというと、必ずしもそうではない。参議院に期待された良識の府というか、様々な知見を提供する役割を持つ仕組みは必要である。その時に、国民に限らず外国人をも取り込む仕組みがよいということで、いまの衆議院にあたる「住民院」とはべつに、外国人も議員になれる「国民院」をつくりました。
 
永久 総理は直接国民が選ぶと言うことですか。第13条を読むと、「総理は、法律の定めるところによる日本国民の直接投票によって、国民の中から国会が指名する」とあります。
 
西田 そうです。ただ、ポピュリズムに陥らないように設計しています。
 
 
永久 JC草案の首相は、今と同じですが、国会のほうはかなりいじりましたね。二院制で、片方が衆議院と同じような「国民議院」。もう一方が「評議院」という名前で、地方自治体から代表を選ぶ。これは地方自治体から首長が行くのですか。
 
 
松原 そのあたりまで議論していません。ただ、大きさにかかわらず、各都道府県から1人ずつ代表を出す仕組みです。
 
永久 面白いのは、法律の大半は国民議院が決めるところ。評議院の同意が必要なのは、地方自治体の租税に関する法律案、地方自治体の官庁の組織及び行政手続を規律する法律案、地方自治体の固有事務として執行する法律案、そして国の予算と条約。地方自治体に関わることは評議院の同意が必要ということですね。
 
松原 地方へ分配されるお金については、中央からの一元的な決定ではなく、地方の代表から同意を得るということです。
 
永久 曽我部さん、両草案の、首相と内閣の関係、国会の在り方など、総括的にコメントをお願いします。
 
曽我部 90年代以来、日本政治の課題の一つだった首相のリーダーシップは、小選挙区制の導入、中央省庁再編の際の内閣機能の強化など、法律レベルの相次ぐ改革によって、かなり高まってきました。
 
  ゲンロン草案は、国会が最終的に指名するのですが、今の議院内閣制をほぼ維持した上で、首相だけ公選にするという仕組みです。ただ、リーダーシップの確立には逆効果かもしれません。ある政党が国政を掌握するには、首相選挙で勝って、総選挙でも勝たないといけません。そうしないと、米国のように、行政府と立法府でねじれが生じます。しかし、時期の違う選挙で連勝するのは難しい。できたとしても、またすぐ次の選挙が来る。今の問題は国政選挙が、実質、約2年に1回行われ、権力が不安定化するところにありますが、この案だと同じ問題が別な形で出てくる恐れがあります。
 
 二院制について、JC草案は、上院を地方自治体の代表にするオーソドックスなものです。フランスが似た仕組みで、日本と同様に連邦国家ではありませんが、上院は地方自治体の代表で、間接選挙で選ばれます。JC草案にはこのあたりの具体性はありません。
 
 権限については、評議院の権限は弱く、普通の法律には何も関与できず、幾つかの地方に関わる法律、予算と条約についてのみ同意権がある。予算はまだわかりますが、条約については別になくてもいいのでは。また、地方自治体の利益だけを代表する機能に特化するのなら、別に国と地方の協議の場をつくるのでもいい。二院制である限りは、もう少し幅広に権限を持たせたほうがいいように思います。フランスでは、あらゆる法律を上院、下院で通します。
 
 ゲンロン草案は、参議院が良識の府と言われながらも、権限が強すぎて大所高所から物が言えないところに着目していて、思い切って権限を弱めて、意見は言うが、採用するもしないも、住民院、今でいう衆議院の自由、という考え方です。ただ、どういう人が議員になるのか、どのようにいわゆる賢人を選ぶかは、とても難しく、ゲンロン草案でも明確な回答は示されていません。
 
西田 今の衆議院に当たる住民院の議員になれるのは日本国民だけで、住民院が国内在住の国民と長期合法滞在外国人を含む「住民」にかかわることを決めます。国民院は今の参議院にあたり、被選挙権は「住民」ならびに在外の国民と外国人にあり、選挙権は国民にあります。権限は弱く、基本的には提案と意見を付することだけです。否決はできますが、住民院で再可決しやすいようになっています。一院制と二院制のよいとこ取りを試みた仕組みです。
 
 国民院で、誰が、とりわけ外国人の方が、議員に選ばれるかというと、大所高所から議論やアドバイスをし、国民及び住民の利益になると思われる方々を想定しています。どのように利益になるのかは、選挙の中でボトムアップで決まっていくのではないでしょうか。
 

永久専務

4.都道府県の廃止か、現状維持か
 
永久 地方自治に話を移します。ゲンロン草案では、基礎自治体と国の役割を分離し、さらに、広域自治体をつくっていき、道州制につなげていく。最初から区割りをするのではなく、自然発生的な道州制になればいいという議論ですね。最終的には一国多制度に向かう。
 
 
 一方、JC草案は、国会に地方自治体の代表による評議院をつくるわりには、地方自治には積極的ではない印象です。現憲法にはない、基礎自治体の設置、住民の負担とか、財政の自立などはあるが、制度面では踏み込んでいません。
 
西田 補完性の原理で、住民に密着したサービスは基礎自治体である市町村が担い、広域で行う方が合理的な事務については、スケールメリットを出すために道州という広域行政体をつくり、県はなくします。道州制は、人々が合意する道州の区割りをつくるのがなにより難しいという認識です。経済規模や交通網などに基づいた様々な提案がありますが、それを上から決定できるのか。それより、住民の意思によるボトムアップ的な決定のほうが現実的かつ納得できるものになるのではないか。そこで、基礎自治体の競争的な試行錯誤の中で道州の区割りをつくっていく建てつけになっています。さらに、運営の組織と形式も住民の総意と合意、クリエイティビティに基づいて選択するという仕組みです。
 
松原 根本的原理は、日本を単一国家として日本全体をとらえる思想です。基本的な方向性は国が決める。「地域主権」はうたっていません。いまの地方自治で十分です。草案の中の広域自治体は都道府県、基礎自治体は市町村と基本的に考えています。将来的に、例えば、道州制などが導入された場合には、その枠組み自体が変わる可能性もあるでしょう。評議院の議員には、道州制が導入された時でも、市町村や都道府県単位から選ばれてもいいという、柔軟性を持たせた設計になっています。
 
曽我部 ゲンロン草案だと、県を設置している現在の地方自治法は違憲になります。また、一律に道州を設置する法律をつくっても、違憲になりますね。憲章を設けるとか、自治体の組織や運営を自分たちで決めるというのは、日本国憲法をつくるときに議論されました。これは米国的な発想で、日本にはなじまないということで下火になりましたが、ある種伝統的な考え方とも言えます。
 
 
 
 JC草案は現状ベースですが、気になったのは、財務です。地方自治体の経費は基本的に自前で、かつ健全に維持、運営されなければいけない、という厳しい規定があるのに、国の財務に対する規定はない。国に対しても、健全財政の義務や地方自治を尊重する財源確保の義務を課す必要があるのではないかと思いました。
 

会場の様子1

5.私たちが憲法に求めるべき役割はなにか
 
永久 質問はありますでしょうか。
 
質問 人の心の問題や社会情勢の悪さを、憲法の中に義務などの条文を盛り込むことで解決できるのでしょうか。
 
曽我部 ゲンロン草案は国民の義務を取り去っています。ただ、基本的人権は濫用してはいけないなどの責務は、完全に排除し切れていません。やはり、みんながプライベートに閉じこもっていては、政治共同体は運営できません。公民、市民としての責務をまったく入れないという考え方を採る必要はないでしょう。
 
 JC草案は、日本という共同体の構成員である日本国民の責務や義務などが書かれてあり、ある種の色がついています。そこに違和感があるかもしれません。
 
永久 国民としてなすべきことをいかに担保するかが重要で、教育などの政策で対応すべきと思います。憲法で義務と書かれると、むしろ抵抗感が出るかもしれません。
 
質問 国、県、基礎自治体による法体系と憲法をいかに整理していったらよいのか。
 
曽我部 地方自治制度一般の存在意義として、事務をナショナルと地方に分割して処理するのが効率的であるということ、他方で、国と地方を分け、民主主義をよりよく機能させるという二つの側面があります。ですが、実際には、事務の重複や、民主主義が十分機能しないことがある。そういう場合は、本来のポテンシャルを発揮できるように改革するのがスジでしょう。
 
 法治国家、法制など、つまり憲法についてあまり議論がなされてこなかったことは不幸な歴史です。イデオロギー対立の一つのターゲットになり、学校で憲法が教えられませんでした。普通の公民教育もできなかった。55年体制も終わった今こそ、そうした議論や教育をやったほうがいいと思います。
 
西田 そういえば、憲法を学校で読んだ記憶がないですね。どのように社会が運営されているのか。何を変えればどう変わるのかといった関係を捉える思考のトレーニングをやってこなかった。憲法の機能の、いわば「生態系」を理解する訓練が必要ではないでしょうか。
 
松原 JC草案には国民に課す義務が多いかもしれません。ですが、祖先から今日まで積み重ねてきた歴史的共同体を未来に継承していくためには、国民の自由や権利だけでなく、対となる責務や義務も明記する必要があると考えたわけです。
 
西田 やはり今のお話は、価値の側面が強い。価値を入り口にすると、共通体験や革命の記憶が乏しい社会においては、いつまでも合意に至らず、国民感情を分断してしまうのではないでしょうか。だからこそ、機能的な側面から捉え直していくべきだと思います。
 
永久 前文を見ると、JC草案では、天皇がいきなり出てくる。ゲンロン草案では一切出てこなくて、「開かれた国」という特徴的な価値があらわれる。これでは全然合意に至らない。
 
 PHPの改正案は、それを意識して、前文は極めて短くしました。価値を含めた長い前文だと合意できないだろうから、機能を中心に見ていくことにしたんです。
 
質問 憲法は国民が権力を縛るものという立憲主義の考え方が一般的ですが、「機能」として考えるべきという議論もずいぶん前からありました。そのころは異端扱いをされていましたが、現在はどうなのでしょうか。
 
松原 この国がどのような歴史的、地理的背景で成り立ち、作られてきた国と民族なのかを原点に考えた結果、JC草案はこうなりました。立憲主義を基本としておりますが、その概念は一方的に国民を国家権力から守るためという考えでは、日本という国の歴史的な成り立ちには合わないと考えております。現行憲法がつくられた状況を踏まえ議論すべきではないだろうかというのが、私たちの考えです。
 
西田 ゲンロン草案は、明確に統治機構である国家を縛るものです。現代憲法とはそういうもののはずです。ちなみに、教育の義務がないというご指摘もありましたが、権利を保障するという形で書いてあります。書き方を変えても、現在の憲法の義務を実質的に導入できます。立憲主義は歴史的な知恵であり、基本的に変えなくてよいと考えます。
 
質問 グローバル人材が求められるなか、外国人参政権や二重国籍についてどのようにお考えでしょうか。
 
西田 外国人に対する生活保護は違憲であるという判断がありましたが、ゲンロン草案の価値観からは受け入れられないと考えます。前文に、私たちの国が平和と安全のうちに繁栄することこそ国民及び住民の幸福の位置づけであることを確認する、と書いています。外国人も住民に含まれますから、生活保護の対象になります。在日外国人の参政権を認めない姿勢も、受け入れません。在日外国人に対しても、広く様々な便益と福祉を提供すべきと考えます。
 
松原 在日外国人の地方参政権は認めるべきという向きがありますが、JC草案は、外国人は帰化して日本国籍を取得することで選挙権が得られるとしています。在日外国人の納税については、福祉政策などの行政サービスを受け、利益が還元されていると考えます。
 
曽我部 日本は二重国籍を憲法で禁止しているわけではなく、法律を改正すれば認められます。最高裁は、これは国会で決めることと言っています。
 
質問 不文憲法や、理念を盛り込むだけの五箇条の御誓文のような簡単な憲法にすることについて、どう思いますか。
 
松原 一番大切なのは、国民一人ひとりに憲法に対する意識を持ってもらい、一人ひとりがどうすべきなのかを考えた中で憲法を制定していくことだと考えます。五箇条の御誓文については、当草案の前文にも掲載しております。
 
西田 不文憲法には、ある種のコモンセンスが必要です。日本を見ると、僕たちはすでにいろいろなものを共有しない社会になっているのではないか。そのような観点に立つと、概ね100条あると、様々な問題を網羅できます。また、改正にかかる時間をいとわないことも重要ではないでしょうか。国民の議論を醸成するには時間が必要だし、様々な政治問題の解決に時間をかけることについては、必ずしも否定的に捉えるべきではないと考えます。
 
曽我部 皮肉な見方をすれば、現憲法は不文憲法に近いのです。例えば、第9条では、ご承知のような文言ですが、自衛隊も集団的自衛権も合憲ということになっています。憲法の条文はありますが、その規律力はかなり緩やかです。その意味で、「不文憲法」ですね。もう一点、価値の問題ですが、個人がどういう価値観を持とうが自由だが、それを押し付けたり、義務づけたりしてはいけないというのが、日本国憲法の立場で、あらゆる価値を平等に認めるためのプラットホームになっています。JC草案は、一定の価値観を国民みんなに推し及ぼそうとするから、逆の立場の考え方が出てきて争いになり、最終的には宗教戦争のようになる恐れがありますね。
 
永久 元に戻ってしまいますが、今、社会の様々な側面がグローバル化で変わりつつあり、この変化にどう対応するかが、二つの草案を比較するポイントでした。一方は、伝統に戻っていこう、もう一方は、もっと国を開いていこう。どちらも大事なことだと思います。開かなければ国としての発展が滞る恐れがある。だが、開けば開くほど我われにとってアイデンティティーが重要になってくる。この連立方程式を解くことが、これからの憲法の論点ではないでしょうか。
 
 また、私たち、実は、憲法のことを勉強してこなかった、議論してこなかった。イデオロギー対立を超えて憲法を議論し始めたのは、つい最近です。シチズンシップ教育という言葉がありますが、いかに良き市民になっていくかという教育もしてこなかった。今後は、そうしたところもきっちりと進めていく必要があると思いました。
 
【写真:遠藤宏】

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